嘉納治五郎の生涯年表と経歴をわかりやすく解説!実は東大出身だった

「柔道」を生み出した「嘉納治五郎(かのう じごろう)」の【生涯】が、この記事ですぐにわかる!

現在、世界中で行われている格闘技「柔道」を生み出した「嘉納治五郎」。

実は「格闘家」というだけではなく、「教育者」としてかなり有名な人物。

しかも強いだけではなく、かなり頭の良いお人で「東京大学」の出身だった。


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この記事を短く言うと

  1. 嘉納治五郎」先生は、兵庫県で誕生。その後「柔道」を創始し、国際オリンピック委員として、日本のスポーツ振興に尽力した
  2. 「嘉納先生」は、柔道のみならず、教育者として、多くの功績を残した
  3. 柔道の「武」だけではなく、嘉納先生は「東京大学」出身で、「文」をも兼ね備えた人だった

嘉納治五郎の生涯年表

嘉納治五郎(かのう じごろう)

≪嘉納治五郎≫
「引用元ウィキペディアより」

「柔道の父」「日本の体育の父」と呼ばれた「嘉納治五郎」先生の生涯を、簡単な年表にしました。以下の通りです。

 

1860年12月10日、現在の「兵庫県 神戸市 灘区 御影」(兵庫県御影村)に生まれる

明治3年(1870年)10歳、父の「嘉納治郎作」とともに兵庫から東京へ

明治8年(1875年)14歳、「官立外国語学校」卒業後,「官立開成学校」に入学

明治10年(1877年)16歳、「東京大学」文学部に編入。身体の小さかった「嘉納治五郎」先生は、この頃から「柔術」を始めています。

同年2月、「西南戦争」勃発。同年9月に終結。「西郷隆盛」戦死。

明治14年(1881年)20歳、「東京大学」文学部政治学・理財学部を卒業。道義学・審美学部へ入学

明治15年(1882年)21歳、「東京大学」道義学・審美学部を卒業

同年、「講道館柔道」を創始


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明治24年(1891年) 30歳、「須磨子」と結婚

明治26年(1893年)32歳、「東京高等師範学校(筑波大学)」の校長に就任(この後、合計25年もの間、校長を務めることになる)

明治31年 (1898年)37歳、「文部省・普通学務局長」に就任。「全府県に高等女学校の設置」という計画を推し進める

明治42年 (1909年)48歳、東洋で初めて「IOC(国際オリンピック委員会)」の委員に就任(終身委員だった)

明治44年(1911年)50歳、「大日本体育協会」設立。そこの「初代会長」に就任。(2019年現在の会長は「味の素」会長の「伊藤雅俊」さん)

大正元年(1912年)51歳、「スウェーデン・ストックホルムオリンピック」に団長として参加。「金栗四三」「三島弥彦」を率いて参加した。

大正9年(1920年)59歳、「ベルギー・アントワープオリンピック」に出席。この大会の「マラソン」に参加した「金栗四三」は「16位」を記録。

大正11年(1922)61歳、「講道館文化会」を創立


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大正13年(1924年)63歳、「フランス・パリオリンピック」開催。マラソンに参加した「金栗四三」は「途中棄権」。

同年、関東大震災

昭和7年(1932年)71歳、「アメリカ・ ロサンゼルスオリンピック」に出席

昭和11年(1936年)75歳、ベルリンオリンピックに出席。IOC総会で「1940年」東京オリンピックの開催が決定

同年、「エジプト・カイロ」で行われたIOC総会で、「1940年東京・夏季オリンピック」、「1940年札幌・冬季オリンピック」の開催を確認する(両大会ともに日中戦争の激化で、開催の権利を返上)

昭和12年(1937年)76歳、「支那事変(後の日中戦争)」勃発

昭和13年(1938年)5月4日、77歳、ギリシャからアメリカを経由して「カナダ・バンクーバー」から船で帰国の途中、船内で肺炎のため逝去。享年77歳。

棺は五輪旗で包まれ、横浜港から帰国。

墓地は千葉県松戸市の「東京都立八柱霊園」。


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経歴まとめ

「嘉納治五郎」先生の「経歴」を簡単にまとめてみます。

 

兵庫県御影村で誕生

「官立外国語学校」出身

「官立開成学校」出身

「東京大学・文学部」出身

「講道館柔道」を創立

「高等師範学の校長」就任(25年もの間、校長を務めた)

「文部省・普通学務局長」就任

東洋で初めての「IOC委員」就任(終身委員)・・・IOCとは「国際オリンピック委員会」のこと

「ストックホルムオリンピック」の「団長」を務めた

「大日本体育協会」設立。「初代会長」に就任

 

嘉納治五郎先生といえば「柔道」を編み出した「格闘家」というイメージがありますが、それだけではなく、その功績は「教育者」としてのものが圧倒的に多いです。

嘉納先生は、後進育成に尽力し、その後の日本の「日本の体育の父」とまで呼ばれたのです。


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実は「東京大学」出身だった!

「柔道の父」と呼ばれ、「格闘家」というイメージが強い「嘉納治五郎」先生

しかし、嘉納治五郎先生は当時、とても小柄で、「柔術を学びたい」と言っても、親からは大反対されたと言われています。

そんな嘉納先生ですが、実は「東京大学」出身の秀才でした。

それだけではありません。治五郎先生が生まれた「嘉納家」は、酒造業などを営み「嘉納財閥」と呼ばれる財閥を形成するほどのお金持ち・・・まさに「名家」なのです。

「講道館四天王」と呼ばれた「横山作次郎(鬼横山)」「西郷四郎」「富田常次郎」「山下義韶(よしつぐ)」や、「グレイシー柔術」を編み出した「エリオ・グレイシー」の師「前田光世(通称 コンデ・コマ)」などを弟子にもつ「嘉納治五郎」先生。しかも甥は、西日本を代表するヤクザ「嘉納健治」。

猛者たちを育てあげたので、嘉納治五郎先生も「武闘派」かと思いきや、実は誰からも尊敬された「知的な紳士」だったのです。


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『嘉納治五郎』について「ひとこと」言いたい!

東京大学出身で、生まれた家も「酒造業者」として、かなりのお金持ちだった「嘉納治五郎」先生。

2019年の大河ドラマ「いだてん」に登場。俳優「役所広司」さんが「嘉納治五郎」役を演じています。

「いだてん」の主人公であり、「マラソンの父」と呼ばれた教え子「金栗四三」も、嘉納治五郎先生ととてもよく似た生い立ちです。

「金栗四三」も、没落したとはいえ「酒造業者」だった「金栗家」の出身。四三は「アスリート」というだけではなく、勉強の成績もかなりの秀才でした。兄弟たちの中でも、その学力は抜きんでており、長兄「実次」は弟「四三」だけは優秀な学校へ行かせたいと希望していました。その結果、金栗四三は「東京高等師範学校」へ進学。「東京高等師範学校」とは、現在の名門国立大学である「筑波大学」のこと。

「文武両道」・・・・・・・「嘉納治五郎」先生も、「金栗四三」も、ともに「柔道」「マラソン」で功績を残した偉人であると同時に、かなりの「高学歴」。


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そんな二人には、他にもたくさんの共通点があります。

二人とも「幼い頃は身体が弱かった」ということ。「教育」を重視した人物であるということ。

嘉納治五郎さんは、幼い頃「虚弱体質」で、力が弱くても相手を倒せる「柔術」に熱中。金栗四三はというと、こちらも身体が弱く、長距離を走って学校に通うことができなかった・・・と言われています。

嘉納治五郎先生は、言わずと知れた「教育者」。「東京高等師範学校」の校長を25年も続けています。金栗四三さんも、「ストックホルム」「アントワープ」「パリ」と、三度のオリンピックに参加した後は、「後進育成」に全力を注ぐようになります。

二人は師弟関係なわけですが、このように、どういうわけか共通点がたくさんあるのです。

「日本の体育の父」「柔道の父」と呼ばれた「嘉納治五郎」先生。「マラソンの父」と呼ばれた「金栗四三」さん。

二人の出会いは、大河ドラマ「いだてん」でドラマチックに描かれていますが、もしかしたら本当に「運命的な出会い」だったのかもしれませんね。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 「嘉納治五郎」先生は、兵庫県出身で「柔道」を創始した人。日本のスポーツ振興に大きく貢献し、「IOC委員」として、東京オリンピック開催の道筋をつけた。
  2. 嘉納先生は、柔道を創始した「格闘家」としてよりも、「教育者」として数多くの功績を残した。
  3. 嘉納先生は「柔道」という格闘技だけではなく、「東京大学」出身で、頭も良かった

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

「嘉納治五郎の子孫を家系図の画像つき解説!子も孫も柔道の達人だった」の記事はコチラ
「【嘉納治五郎の名言全集】柔道の父が残した言葉と教えの意味がスゴイ」の記事はコチラ
「【金栗四三とは】その生涯と最期!大河ドラマ『いだてん』主人公の物語」の記事はコチラ

 

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