オリンピックの創立者「クーベルタン」男爵について、その「功績」や「名言」を簡単に解説いたします。
2019年の大河ドラマ「いだてん」にも登場した、フランスの教育者「クーベルタン」男爵。
近代オリンピックの創立者にして、「五輪マーク」の考案者。
実は秘密結社「フリーメイソン」のメンバーだった!
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この記事を短く言うと
- クーベルタンとは、古代オリンピックを復活させた「近代オリンピック」の創立者
- クーベルタンは「オリンピックは参加することに意味がある」という名言を残したと言われているが、実際にはこの言葉、他人が口にした言葉だった
- クーベルタンは「フリーメイソン」のメンバーだったと言われているが、「差別主義者」でもあったと言われている
目次
クーベルタン男爵とは、何者なのか?
「クーベルタン男爵」とは、いったい何者なのでしょうか?

《クーベルタン男爵》
「引用元ウィキペディアより」
クーベルタン男爵とは、フランスの教育者。
そして、古代ヨーロッパで行われていた「オリンピック」を復活させ、近代オリンピックの第一回「アテネオリンピック」を開催した創立者です。
クーベルタン男爵がいなかったら、2020年に予定されている「東京オリンピック」もまた、開催されなかったことでしょう。
クーベルタン男爵の功績を、簡単解説
「クーベルタン」の功績
クーベルタン男爵の功績を短く解説いたしますと
・今も続く「オリンピック」を創立した人物。
ということになります。
オリンピックはもともと、古代ギリシャで行われていた巨大な「競技大会」でした。それは紀元前9世紀頃から、紀元後4世紀頃まで行われていたのです。
その「オリンピック」を、19世紀の世界に復活させたのが「クーベルタン男爵」。
彼の影響もあって、日本では「嘉納治五郎」さんが「日本オリンピック委員」となって、「金栗四三」「三島弥彦」ら日本選手団のオリンピック参加が実現したわけです。
有名な「五輪マーク」を考えたのも、クーベルタン男爵
オリンピックといえば、「五輪マーク」

《オリンピック・シンボル》
「引用元ウィキペディアより」
実はこの「五輪マーク」を考案したのは「クーベルタン」男爵なのです。
クーベルタンが古代オリンピックの開催地の一つだった「デルフォイ」の祭壇にあった休戦協定の象徴である「五輪の紋章」をもとにして考案し、1914年にIOC設立20周年記念式典で発表されたものです。
この「5つの輪」は、それぞれ「ヨーロッパ」「南北アメリカ」「アフリカ」「アジア」「オセアニア」の五大陸。そして相互の結合と連帯を表しています。とはいえ、「どの色がどの大陸を表しているか」は定められておらず、ときには「すべて単色」で表示されることもあります。
クーベルタンの名言集
クーベルタンの残した名言を探ってみましょう。
彼が残した名言といえば、以下のものが最も有名でしょうね
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」
実はこれ、クーベルタン男爵が考えた発言ではありません。
これは1908年の「ロンドンオリンピック」に参加した「アメリカ選手団」が、イギリス選手団から嫌がらせを受けて疲れ果てていたところに、教会の偉い大主教さんが、アメリカ選手団を勇気づけるために、かけた言葉・・・・。それをクーベルタンが省略したのが
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」
という言葉なのです。
その大主教さんというのは「エセルバート・タルボット」さん。
彼が「アメリカ選手団」にかけた言葉は、少し長いです。以下に記しておきます。
「オリンピックについて考えてみましょう。
世界中から優れた肉体を持つ若者が集まる大会のことです。
そしてこれはまた、国際主義の時代としては、危険な要素をもはらむものだと、私は思います。
もちろん、選手たちがスポーツへの貢献のためではなく、祖国のために努力していることは明らかです。
しかしそのため、新しい闘いが始まるのです。例えばイングランドが川の上での競技で相手を打ち負かしたり、アメリカの選手が、競技で相手を引き離したり・・・。
これらが原因で争いが起こってしまうことは、オリンピアの精神に反する。答えは「オリンピアの教え」あるではありませんか。
『オリンピック自体が、レースや賞状よりも、遥かに優れているのだ』と。
聖人「パウロ」は、賞状が重要ではないことを、我々に教えてくれているのです。我々一人一人が手にした賞状は、決して腐敗しません。
『月桂樹の花輪を授けられるのはただ1人。しかし誰もが試合の喜びを分かち合うでしょう』
だから声援は爽快で、魂を救済してくれる、活発で公平で清廉なスポーツからくる利益を与えることになるのです。」
これを聞いたクーベルタンは、この教えを省略し
「オリンピックは参加することに意味がある」
と言ったのです。
クーベルタン男爵が残した名言は、もう一つあります。
「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである」
アスリートは、自分自身をコントロールし、諦めてしまいそうな自分の心に打ち克つ。それがアスリートの義務。
という意味でしょうね。
クーベルタン男爵は、アスリートとは「自分に勝利する者」であると考えていたようです。
『クーベルタン』について、レビュー(評論)!
クーベルタンが生まれる50年ほど前の1815年、フランス皇帝「ナポレオン1世」は、「ワーテルローの戦い」でイギリス軍に敗北しました。
その原因を、クーベルタン男爵は、「心身を鍛える英国式の教育」にあると考えたのです。
彼は裕福な家庭に生まれ育ち、進学。しかしそこで待っていたのは、「憎しみ」をはらすための教育でした。決して子供たちの「心身」を鍛えるためのものではありませんでした。
当時のヨーロッパは、新興国「ドイツ」の鉄血宰相「ビスマルク」がコントロールしていました。
ビスマルクはフランスとの戦争に勝利して「ドイツ帝国」を建国。その後は「曲芸」と呼ばれる複雑怪奇な外交を駆使して、「フランス」と「ロシア」の同盟を阻止し続け、ドイツを守っていたのです。
ドイツに負けたフランスは、教育において「反ドイツ」教育をすすめていました。これに反発したクーベルタンは、学校を飛び出したのでした。
その後、彼は「古代オリンピック」の精神を学んで感銘を受け、オリンピックの復活を志すようになります。
ビスマルク・・・・近代日本を作り上げた大政治家「大久保利通」も尊敬した名宰相。彼の存在が、「近代オリンピック」の誕生を後押しすることとなっていたのです。
フリーメイソンのメンバーだった
都市伝説で語られる秘密結社「フリーメイソン」
実はクーベルタンもまた、「フリーメイソン」のメンバーだったと言われています。
では、クーベルタンは世界を支配する組織の一員として、世界をコントロールする立場の人間だったのか?
そうではないと思います。
実はクーベルタンは、「優劣民族は、劣等民族に社会的な恩恵を与える必要がない」と考えていたとされ、一種の「差別主義者」であったと考えられています。
ドイツの「アドルフ・ヒトラー」により統率された「ベルリンオリンピック」におけるドイツ代表の強さを、クーベルタンは喜んでとも言われています。もちろんヒトラーの「ホロコースト(ユダヤ人虐殺)」らを支持したわけではないと思いますが・・・。
フリーメイソンは、イギリス本部を中心として、「差別」を嫌う組織であるとされています。フランスの「フリーメイソン」は、それとは異なり、一部メンバーが差別主義的な思想を持っていることで有名です。
クーベルタンが「フリーメイソン」のメンバーであったとしても、その差別的思想に、イギリスやアメリカの「フリーメイソン」主力組織が協力するとは思えません。
ですので、クーベルタンが「フリーメイソン」メンバーとして、世界を裏で操っていた・・・なんてことは、ないと思います。
クーベルタンは、都市伝説で噂される「フリーメイソンの権力」を使わずに「近代オリンピック」を創立したのです。その功績が素晴らしいものであることは、疑いようもありません。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- クーベルタンとは、「古代オリンピック」を復活させ「近代オリンピック」を創立した人物
- クーベルタンは「オリンピックは勝利よりも、参加することに意味がある」という名言残した・・・とされているが、実際には別の人が言った言葉だった
- クーベルタンは、「フリーメイソン」メンバーだったと言われているが、世界の黒幕・・・というわけではないだろう
以上となります。
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