【田畑政治とは】経歴・プロフィールを簡単紹介!その生涯と功績がスゴイ

東京にオリンピックを呼んだ男「田畑政治」の「経歴」「功績」などを簡単に解説します。

「朝日新聞」の記者・代表取締役であり、「水泳日本代表」の指導者でもあった田畑。

オリンピック招致の中心人物であり、東京オリンピックを成功させたことが、最大の功績。

田畑政治のおかげで、日本の水泳は、とても強かった!


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この記事を短く言うと

  1. 「田畑政治(たばた まさじ)」さんは、「東京オリンピック招致」を成功させた人物
  2. オリンピック招致のみならず、水泳監督として「ロサンゼルスオリンピック」のメダルラッシュを支えた
  3. 「東京オリンピック委員(JOC)」の要職を歴任。東京オリンピックを実現させ、戦後復興を決定的にした功労者でもある
  4. 2019年の大河ドラマ「いだてん」で、「田畑政治」は後半の主人公を務めている。ちなみに前半の主人公は「金栗四三(かなくり しそう)

田端政治の功績とは?何をした人?

2019年の大河ドラマ「いだてん」で、「マラソンの父」と呼ばれた日本最初のオリンピック選手「金栗四三」とともに、主役を務めているのが、「田畑政治(たばた まさじ)」。

田畑政治さんとは、いったい何をした人なのでしょうか?

「田畑政治」の功績

田畑政治さんの功績を短く解説いたします。

・1964年「東京オリンピック」を実現させた。

・1928年「アムステルダム」1932年「ロサンゼルス」の両オリンピックで、日本水泳選手によるメダルラッシュに「日本代表監督」などで貢献した。

・「水泳連盟会長」や「日本オリンピック委員会(JOC)会長」などを歴任した。

戦後、わずか19年で「東京オリンピック」を実現させた日本ですが、東京オリンピックの招致は、田畑政治さんの尽力によるところが大きかったのです。

しかし田畑さんはオリンピック招致だけではなく、「日本水泳」によるメダル獲得を実現させた・・・という功績も残しておられます。


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田端政治の「プロフィール」と「経歴」

プロフィール

名前・・・・・・・田畑政治(たばた まさじ)

生年月日・・・・・1898年(明治31年)12月1日

死没・・・・・・・1984年(昭和59年)8月25日(享年85歳)

出身地・・・・・・静岡県 浜松市 成子町

最終学歴・・・・・東京帝国大学(現・東京大学)

経歴

大学卒業後に「朝日新聞社」に入社し、編集局政治部に配属。その後、政治経済部長、常務を歴任。

その後は水泳指導舎として活躍。

1932年の「ロサンゼルスオリンピック」では、「水泳監督」として日本水泳のメダルラッシュを支えました。

ちなみに「ロスオリンピック」で日本代表は「金メダル7個」「銀メダル7個」「銅メダル4個」で、国別順位は5位。そのうち日本水泳は「金メダル5個」「銀メダル5個」「銅メダル2個」。実に全メダルの「3分の2」を「水泳」で獲得しているのです。

1936年「ベルリンオリンピック」では、「大会本部役員」に就任。

その後は「第日本水泳連盟理事長」、戦後には「日本水泳連盟会長」を歴任。

1948年(昭和23年)には「朝日新聞」の代表取締役に就任。昭和27年には朝日新聞社を退社。

その後もオリンピックとの関わりは深く、「メルボルンオリンピック」の「日本選手団団長」に。

「日本水泳連盟名誉会長」

「東京オリンピック組織委員会事務総長」

などを歴任し、東京オリンピック招致に大きく貢献。

その後は「JOC委員長」「JOC名誉委員長」を歴任し、「JOC功労賞」を授与。

日本のアスリートたちに対する貢献は、半端なものではありません。


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田端政治の生涯年表!

1898年12月1日、静岡県浜松市成子町で「田畑政治」誕生

1924年(26歳)、東京帝国大学卒業と同時に「朝日新聞社」に入社

1929年(31歳)、「大日本水上競技連盟専務理事」

1930年(32歳)、「大日本体育協会専務理事」

1932年(34歳)、「ロサンゼルスオリンピック」で「水泳監督」に就任。

1936年(38歳)、「ベルリンオリンピック」で「大会本部役員」に就任。

1939年(41歳)、「大日本水泳連盟理事長」

1945年(47歳)、終戦。

1946年(48歳)、「日本体育協会常務理事」に就任。

1948年(50歳)、「日本水泳連盟会長」「日本オリンピック委員(JOC)総務主事」「朝日新聞代表取締役」を歴任。

1951年(53歳)、「日本体育協会専務理事」就任

1952年(54歳)、「朝日新聞社」を退社。

1956年(58歳)、「メルボルンオリンピック」の「日本選手団団長」を務める

1961年(63歳)、「日本水泳連盟名誉会長」「東京オリンピック組織委員会事務総長」に就任

1971年(73歳)、「日本体育協会副会長」に就任。

1973年(75歳)、「日本オリンピック委員長」に就任。

1977年(79歳)、「日本オリンピック委員名誉委員長」に就任。「日本オリンピック委員功労賞(銀賞)」を受賞。

1984年8月25日、「田畑政治」逝去。享年85歳。


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日本復興の奇跡と「三宅久之」氏の名言

「私は、戦後日本の焼け野原を知っている。

その後、日本は『オリンピック』をやったし、新幹線もはしらせた。

(奇跡の復興を成し遂げたのだから)私は、日本は必ず復活すると信じている」

2011年11月15日、82歳で亡くなられた政治評論家「三宅久之(みやけ ひさゆき)」先生のお言葉です。

平成の日本・・・政治が腐敗し、バブル崩壊後の日本が次々と力を失っていく有様をみて、三宅先生はこのようにおっしゃっておられました。

「東京オリンピック」・・・・戦争で焼け野原となった日本が、その後わずか19年でオリンピックを実現させるほどにまで復興をとげたのは、まさに「東洋の奇跡」と呼べる一大イベントだったのでしょう。

言い方をかえれば、「復興」を決定的にしたのが「東京オリンピック」だったのかもしれません。

そしてその「東京オリンピック」招致を成功させたのが「田畑政治」さんなのです。

そう考えると、田畑政治さんの功績は「東京オリンピック招致に成功した」というだけではなく、「敗戦国日本の復活を決定的にした」とも言えるのかもしれません。


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『田畑政治』について、レビュー(評論)!

2019年の大河ドラマ「いだてん」で、俳優「阿部サダヲ」さんが演じる「田畑政治」さんが主人公となっています。

阿部サダヲさんが言うには、「田畑政治」さんという人は、かなり口の回る方だったようですね。マシンガントークで相手を説得する力を持っていたのだとか。
その反面、「策略家」としての一面もあり、数々の策略を張り巡らせて、日本のアスリートたちの実力を世界にアピールし、戦前戦後の「日本アスリート」の底上げを図っておられます。
「田畑政治」さん・・・。もうひとりの大河主人公で、日本最初のオリンピック選手「金栗四三」さんに比べたら、かなり知名度は低いですが、貢献度は決して「金栗四三」さんにも負けないものがあるのではないでしょうか。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 田畑政治さんは、東京オリンピック招致に貢献した人物。
  2. 田畑さんは、オリンピック招致のみならず、水泳指導者として、オリンピックメダル獲得に貢献した。
  3. オリンピック招致とは、戦後日本の復興を決定的にしたものであり、貢献度は計り知れないのではないだろうか。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

「【金栗四三とは】その生涯と最期!大河ドラマ『いだてん』主人公の物語」の記事はコチラ
「金栗四三の家系図と子孫を画像付きで解説!54年8ヶ月の道のりとは?」の記事はコチラ
「【クーベルタン男爵とは】オリンピック創始者の名言と功績をご紹介!」の記事はコチラ

 

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