【ストックホルムオリンピック】日本人の選手一覧!金栗四三と三島弥彦

1912年、日本が初参加した「ストックホルムオリンピック」の参加選手が「ひと目」でわかる!

参加選手は「金栗四三」と「三島弥彦」の2名のみ。選手団団長は「嘉納治五郎」。

その結果は「惨敗」だった。

しかし「金栗」「三島」の挑戦は、現代につながっており、二人がいなかったら、近年の日本の活躍はなかった。


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この記事を短く言うと

  1. 1912年「ストックホルム・オリンピック」、日本からは「三島弥彦」「金栗四三」の2名が出場した
  2. 「三島弥彦」は、100m・200mで惨敗。400m準決勝は棄権。「金栗四三」はマラソンで「失踪」・・・後に「54年8か月」という記録を残した。
  3. 金栗四三は惨敗してもあきらめず、後進育成に力を尽くした。三島は後進育成はしなかったものの、三島をパイオニアとして「北京」「リオデジャネイロ」でメダルを獲得している

ストックホルムオリンピック!日本人選手・一覧

1912年、スウェーデン「ストックホルム・オリンピック」。

《ストックホルム・オリンピック》
「引用元ウィキペディアより」

上に「ストックホルムオリンピック」に参加した選手たちの開会式の写真をご用意いたしました。

「日本の国旗」を持っているのが、短距離走者「三島弥彦」。

そして三島弥彦の左、シルクハットを右手に持っているのが、選手団長「嘉納治五郎」先生。

大河ドラマ「いだてん」の主人公である「金栗四三」さんは、三島弥彦のもつ日本国旗に隠れているようです。

日本選手一覧

ストックホルムオリンピック、参加した日本選手は以下の通り

・金栗四三(マラソン)

・三島弥彦(短距離)

そして「金栗四三」が通っていた「東京高等師範学校(筑波大学)」の校長だった「嘉納治五郎」が、日本選手団の「団長」として参加していました。

また、「大森兵蔵」が「監督」として参加しています。


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日本人選手の結果!惨敗だった

三島弥彦の結果

100m予選、敗退(トップの選手に1秒以上の差をつけられて敗退)

200m予選、最下位で敗退

400m予選、ライバル選手が棄権したため、準決勝に進出したが、三島は『右足の痛み』を理由に棄権

 

三島は惨敗したあと、金栗に対して

「金栗くん、日本人にはやはり短距離は無理なようだ」

と語ったのだとか。

それまで日本国内では「スポーツ万能」「負け知らず」で通っていた名家出身・文武両道の「三島弥彦」。

この惨敗はかなりショックだったようで、400m準決勝の棄権は、「精神的疲労」が原因とも言われています。


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金栗四三の結果

・マラソン・25マイル(40.225km)、結果『54年8ヶ月6日5時間32分20秒3

【この当時、マラソンはまだ42.195kmではなく、40.225km(25マイル)だった】

 

金栗四三の結果は有名です。

40度近い気温、コンディション調整の失敗、白夜による睡眠不足、送迎の車が来なかったため走って会場入り、などの不運が重なり、金栗四三はレース途中で失神。

担ぎ込まれたペトレ家の方々に介抱され、そのままゴールに向かうことなく帰国。

金栗は、55年後の「ストックホルムオリンピック55周年記念大会」に招かれ、そこでマラソンのゴールテープを切りました。

公式タイムは「54年8ヶ月6日5時間32分20秒3」。

「長い道のりでした。その間に孫が5人できました」

このタイムは、公式タイムとして記録され、最も長い「オリンピックタイム」となっています。


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選手たちのその後!諦めなかった金栗と、『北京・リオ』に繋げた三島

その後、金栗と三島は、どうなったのでしょうか?

金栗四三のその後

金栗は、教育者として「マラソン」の後進育成に着手。数々の大会を考案。「箱根駅伝」「福岡国際マラソン」などを開催して、「世界に通用するマラソンランナー」の育成に尽力。

その甲斐あってか、1964年「東京オリンピック」で、「金栗四三」に憧れてマラソンを始めた「円谷幸吉」が銅メダルを獲得。(その後、円谷は銅メダルという結果を恥じて自死)

現在の「箱根駅伝」では、最も活躍した選手に対して「金栗四三杯」が与えられています。

三島弥彦のその後

ストックホルムオリンピックが終わったあとの三島は、4年後の「ベルリンオリンピック」を目指します。

しかし、ベルリンオリンピックが「第一次世界大戦」の影響で「中止」になってしまい、選手としてのピークを過ぎてしまいます。

その後は「横浜正金銀行(現・三菱UFJ銀行)」に入行して、アスリートとしての活動を停止。

金栗と違い、後進育成はしなかったようです。

しかし、ストックホルムオリンピックから約「100年後」の「北京」「リオデジャネイロ」の両大会で、日本は「4×100mリレー」で「銀メダル」を獲得。

「日本人は短距離では無理なようだ」

その言葉をくつがえす結果を叩き出した日本選手。その結果は、開拓者としての「三島弥彦」の挑戦と「惨敗」という結果がなくては、ありえないものでした。


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『ストックホルムオリンピック』について「ひとこと」言いたい!

ストックホルムオリンピック、実は「金栗四三」は、参加を嫌がっていました。

なぜかというと、「勝つ自信がないから」。この時代、いかなる競技でも、海外勢を相手に惨敗することは、「国の威信を傷つける行為」として、今以上に恐れられておりました。

しかし、恩師の「嘉納治五郎」先生から説得されます。

「オリンピックで、日本が勝利をおさめるのは難しいだろう。

しかし、挑戦することにこそ意味がある。

金栗くん、黎明の鐘となってくれ」

「オリンピックの父」と呼ばれた「クーベルタン男爵」の言葉・・・・「挑戦することに意味がある」・・・その言葉に勇気づけられた「金栗」は、参加を決意。

しかし、「失踪」という結果に、参加した日本のお偉いさん達は怒り心頭。金栗を罵倒した人までいたといいます。さらには父親代わりだった兄「実次」も、弟「金栗四三」を叱責。

ところが、嘉納治五郎先生は、金栗や三島を責めることはありませんでした。むしろその悔しさを、次回大会で晴らすようにと勇気づけたほどです。

嘉納・金栗・三島らは、閉会式を待たずに、次のオリンピック地「ドイツ・ベルリン」へ移動。そこで、現地視察を行い、雪辱を誓ったと言われています。

残念ながら「ベルリン大会」は「第一次世界大戦」の影響で中止となりました。しかしこの時、100年後の今まで続く、日本人による「オリンピックへの挑戦」が始まったと言えるでしょう。

ストックホルム大会の結果は「惨敗」だったかもしれません。しかし、「オリンピックへの挑戦」という大いなる挑戦は、今もまだ終わっていないのです。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 1912年「ストックホルム・オリンピック」、日本からは「三島弥彦」「金栗四三」の二名が参加した
  2. 「三島弥彦」は、100m、200mで惨敗。400m準決勝を棄権。「金栗四三」は「マラソン」で「失踪」。後に「54年8か月」を経てゴールした
  3. 惨敗しても、金栗はあきらめず、後進育成に尽力。三島弥彦は後進育成はしなかったが、100年後の「北京」「リオデジャネイロ」で、短距離「銀メダル」を獲得した

以上となります。

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