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【西郷四郎とは】子孫のゆくえを徹底調査!姿三四郎のモデルじゃない?

【西郷四郎とは】子孫のゆくえを徹底調査!姿三四郎のモデルじゃない?

「講道館四天王」の1人「西郷四郎」の「子孫」のゆくえが、この記事ですぐにわかる。

柔道の父「嘉納治五郎」の弟子「西郷四郎」。のちに小説「姿三四郎」のモデルとなったと言われている柔道の達人。

しかし、実は西郷四郎は「姿三四郎」のモデルではなかった?


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この記事を短く言うと

  1. 「西郷四郎(さいごう しろう)」とは、明治に活躍した「柔道家」。「嘉納治五郎」の弟子で「講道館四天王」の1人。会津藩家老「西郷頼母」の養子
  2. 「西郷四郎」に実の子はおらず、二人の養子がいた。養子「西郷孝之」は父の伝記を発表している。
  3. 小説「姿三四郎」のモデルと言われているが、作者「富田常雄」は、「姿三四郎は空想上の人物であり、西郷四郎ではない」と言っている。

西郷四郎とは何をした人?実は会津藩の「あの人」の養子

西郷四郎(さいごう しろう)

《西郷四郎》
「引用元ウィキペディアより」

西郷四郎・・・明治期に活躍した「柔道家」。「柔道の父」と呼ばれた「嘉納治五郎」の弟子であり、「講道館四天王」の1人に数えられる達人です。

小柄な体格ながら、柔道技「山嵐」を使って、強敵を倒し続けた猛者「西郷四郎」。

彼の名は、後に発表される作家「富田常雄」の小説「姿三四郎」で、広く世に知られることとなります。

作家「富田常雄」は、西郷四郎と同じく「講道館四天王」の1人「富田常次郎」の息子ですね。

「姿三四郎」は、昭和45年にドラマ化されています。



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西郷四郎の養父「西郷頼母」について

西郷四郎の実父は「志田貞二郎」。会津藩士であり「戊辰戦争」のひとつ「会津戦争」で、悲劇的な最期をとげた少年部隊「白虎隊」とならぶ部隊「朱雀隊」の一員として戦った人物です。

西郷四郎は16歳で、会津藩家老「西郷頼母(さいごう たのも)」の養子となっています。

西郷頼母といえば、会津藩主「松平容保」に仕えた家老。会津戦争で長男を除く一族全員が自決してしまった悲劇の人物。その後、唯一生き残った長男にも先立たれています。頼母は新選組副長「土方歳三」や「榎本武揚」らとともに、「五稜郭の戦い」で新政府軍と最期まで戦い、生き残っています。

西郷四郎は、その西郷頼母の養子となって、「西郷家」の名前を引き継いでいるのです。

余談ですが、「西郷頼母」は同時代の英雄「西郷隆盛」と同族。二人の先祖をさかのぼると同じ先祖に行き着く関係なのだそうです。



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子孫のゆくえを調査!実子はいなかった?

西郷四郎の子孫は、いまどこで何をしているのでしょうか?

結論から言えば、血のつながった末裔・子孫は存在しません。理由は「西郷四郎には実子がいなかった」から。

《西郷四郎の家系図》
「家系図の引用などご遠慮くださいませ」

「中川チカ」・・・西郷四郎の奥様の名前です。西郷四郎とチカさんの間には「実子」はおらず、二人の養子がいたとのこと。

その養子の一人「西郷孝之(神保孝之)」さんが、養父「西郷四郎」さんの伝記を書いておられます。



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姿三四郎のモデルではない?しかし共通点がたくさんある

昭和45年、連続ドラマでテレビ放送された「姿三四郎」。小柄な主人公「三四郎」が、必殺「山嵐」を武器に強敵を倒していく物語は、人気でした。最近でもリメイクドラマが作成されるほど、「姿三四郎」という作品は人気です。

そんな「姿三四郎」・・・「西郷四郎」をモデルに書かれたものであることは、かなり有名です。

「富田常雄」・・・・小説「面」で直木賞を獲得した人気作家。「西郷四郎」と同じ嘉納治五郎の弟子「講道館四天王」の一人「富田常次郎」の息子です。

富田常雄さん自身も、柔道の有段者なわけですが、おそらく若い頃にみた「西郷四郎」さんをモデルに「姿三四郎」を書いたのでしょう。

と思いきや・・・実は「富田常雄」さん、「姿三四郎は西郷四郎ではない」と明言しているのです。

「姿三四郎は、西郷四郎をモデルにしているわけではない」

と・・・。

それにしては、「姿三四郎」と「西郷四郎」のあいだには、共通点がたくさんあります。

・必殺技が「山嵐」

・会津出身

・16歳で上京した

などなど。

富田常雄さん・・・「姿三四郎と西郷四郎は別人だ」と言っているわけですが、同時にこんなことも言っています。

「姿三四郎を描くにあたり、西郷四郎さんが頭に浮かんだこともある」

・・・・・・。やっぱり西郷四郎さんをモデルにしたってこと???

富田常雄さんからすれば、「西郷四郎」さんは父「富田常次郎」の盟友であり、尊敬する大先輩。憧れを抱いていた人物なのかもしれません。

そんな西郷四郎をモデルにして小説を書いた、しかも大人気作品となったということに富田常雄さんは、どこか罪悪感があったのかもしれません。

富田常雄さんは「姿三四郎と西郷四郎は同一人物ではない。空想上の人物である」と言っていたとしても、西郷四郎をモデルにして姿三四郎を形作ったことは、間違いないでしょう。

当時の厳しい上下関係の世界では、「西郷四郎をモデルにして小説を書いた」というのは、どこか後ろめたさを感じさせるものだったのかもしれません。



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『西郷四郎』について「ひとこと」言いたい!

西郷四郎、彼は「柔道」のみに人生を費やした人物ではありません。「大陸運動」と呼ばれた、東アジアでの「政治活動」を志した人物でもあります。

「金玉均(きん ぎょくきん)」・・・朝鮮半島の近代化・民主化を志してクーデターを起こした人物です。クーデターに失敗した金玉均は日本へ亡命。「福沢諭吉」らの支援を受けたりしていたわけですが、西郷四郎はその「金玉均」をかくまっていました。

金玉均はその直後、上海へ渡った直後、朝鮮国王妃「閔妃(びんひ)」の刺客により暗殺されています。

その後西郷四郎は、「東洋日の出新聞」の創刊に参加しています。

当時の日本は「ロシア」という巨大な軍事国家による圧力を受け、存亡の危機に瀕していました。一刻も早い「富国強兵」が求められていたのです。

西郷四郎は、そんな日本の未来を心配し、その命を祖国のために費やそうとしていたのでしょう。

志を持った、国士であったと言えるのではないでしょうか。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 西郷四郎とは、「柔道の父」こと「嘉納治五郎」の弟子。「講道館四天王」の一人であり、会津藩家老「西郷頼母」の養子
  2. 血の繋がった子孫はいないが、養子「西郷孝之」さんが「西郷四郎」の伝記を書いている
  3. 「姿三四郎」の原作者「富田常雄」さんは、「姿三四郎と西郷四郎は別人で、姿三四郎は空想上の人物」と言っていたが、西郷四郎をモデルにしていることは明らかだろう。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました

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コメント一覧 (1件)

  • 西郷四郎は西郷頼母の実子なのか。二人を研究した牧野登氏によると結論は出ていません。四郎の実家は津川の御用場役志田家、西郷頼母の先祖保科正興の墓が近くの水沢にあり、志田家との関係があった。「資料が語る、保科近悳の晩年」に、身内の手紙に四郎は実子ではないと示唆する内容がある。実母説のある後妻キミは、四郎が生まれた翌年に結婚し子供を産んだ。霊山寺の側女三留安の墓は四郎が建てたといわれる。三留姓は故郷津川に多く、家老西郷家の女中になった。安の墓に戒名がないのは保科の意向で建てたのではなく、実子の可能性は低い。四郎兄弟の子孫に、四郎のそっくりさんがいた。したがって、実子説は永遠の謎のままでしょう。

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