大森兵蔵と妻・大森安仁子の子孫を探してみた!二人に子供はいたの?

オリンピック監督「大森兵蔵」と「大森安仁子」夫婦の「子孫」について、この記事ですぐわかる!

二人の年齢差は20歳!妻「安仁子」のほうが年上でした!

そんな「年の差夫婦」の子孫はどこにいるのか?

そもそも子供を授かっていたのでしょうか?

カンタンに理解できるよう、解説いたします。


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この記事を短く言うと

  1. 「大森兵蔵」とは体育の教授で、「ストックホルムオリンピック」で「日本代表監督」を務めた人物
  2. 「大森兵蔵」と妻「安仁子」の間に子供はいない。姪の孫「佐藤玖美」さんが現在「実業家」として活動しておられる
  3. 大森兵蔵は1913年に36歳の若さで病死。妻・安仁子さんは1943年に日本で亡くなっている

『大森兵蔵』と妻『阿仁子』について、ザッと紹介

大森兵蔵(おおもり ひょうぞう)

《大森兵蔵》
「引用元ウィキペディアより」

大森兵蔵とは、明治期に活躍した体育教授だった人物。
アメリカ・スタンフォード大学へ留学し、日本に初めて「バスケットボール」と「バレーボール」を持ち込んだ人物でもあります。
何より、日本が初めて参加した1912年「ストックホルムオリンピック」にて、「日本代表チーム監督」として日本代表を率いたのが、この「大森兵蔵」さん。
「柔道の父」と呼ばれ日本のオリンピック参加を実現した「嘉納治五郎」先生や、日本最初のオリンピック選手「金栗四三」「三島弥彦」とともに、「大森兵蔵」さんは「ストックホルム」へと渡っています。
そして、彼の妻が「大森安仁子(おおもり あにこ)」さん。アメリカの画家で、もともとのお名前が「アニー・シェプレー」さん。日本に帰化したため「大森安仁子」と名乗っておられました。
安仁子さんが17歳の頃、父親を何者かに殺害され、その後「妹婿」の支援もあって「画家」として活動。
アメリカ留学中だった「大森兵蔵」をコックとして雇ったことがきっかけで、二人は結婚。
安仁子さんは兵蔵さんより20歳も年上でしたが、二人は年の差と国籍の違いを乗り越えて、1907年に結婚。このとき大森兵蔵さん30歳。安仁子さん51歳。
しかし二人の結婚生活は長続きせず、1913年、大森兵蔵が病死。36歳という若さでした。

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二人の子孫を探してみた!しかし・・・

大森兵蔵と大森安仁子の子孫は、今どこで何をしているのでしょうか?

《大森兵蔵の家系図》
「家系図の引用などご遠慮くださいませ」

結論から言えば、大森兵蔵さんと安仁子さんの直系子孫は存在しません。
結婚したとき、安仁子さんは51歳。しかも結婚生活はわずか6年で終わったため、子供を授かることはなかったようです。
ただ、安仁子さんには1人の「養子」がいました。その名も「兵蔵」。大森兵蔵の姪「藤原澄江」さんと、文部大臣などを歴任した国会議員「松田竹千代」さんの長男「兵蔵」さんを、「大森兵蔵」さんが亡くなったあと安仁子さんは養子として迎えたのです。しかし不幸なことに、養子「兵蔵」さんは戦争で若くして亡くなります。

二人の間に子供がいなかったため、子孫と呼べる人はいませんが、大森兵蔵さんの姪「藤原澄江」さんと「松田竹千代」さんの娘「松田妙子」さんと「佐藤玖美」さんの親子が、現在「実業家」として活動なさっておられます。


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大森兵蔵と、安仁子の最期

大森兵蔵さんは、結婚してわずか6年後の1913年、36歳という若さで亡くなっています。

ストックホルムオリンピックから日本へ帰国する途中、病状が悪化し、そのままアメリカで亡くなってしまうのです。

夫の死を見届けた妻・安仁子さんは、日本へ帰国。夫とともに設立した社会福祉施設「有隣園」の活動に専念します。関東大震災などの災害に見舞われながらも、「松田竹千代」らの支援もあって、安仁子さんの活動は続いていきます。

その後、安仁子は1943年85歳で他界。河口湖の湖畔にあった彼女の別荘で、自ら描いた夫「兵蔵」の肖像画や親族たちに看取られた、穏やかな最期でした。


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『大森兵蔵』『安仁子』について「ひとこと」言いたい!

大森兵蔵さんと安仁子さん。二人の結婚は困難の連続だったみたいですね。

もともと年の差婚である上に、当時は珍しい国際結婚。大森兵蔵は元サムライの家系ですから、家族からも反対されたと言われています。

二人はその後も夫婦として、困難を次々と乗り越えていきます。わずか6年の短い結婚生活ではあったものの、安仁子さんは夫の志を引き継ぎ、日本で社会福祉活動を継続。

夫の死後30年以上も日本で活動を続け、日本で亡くなった安仁子さん。日本的な妻としての役割を見事に成し遂げたと言えるのではないでしょうか。

国際結婚の果てに、夫の死後も日本で活動したアメリカ出身の奥様・・・。そういえば同時代を生き、作家で教育者でもあった「新渡戸稲造」の妻「メアリー・エルキントン」さんも、夫が亡くなった後、日本で「教育」に尽力なさっておられます。

「安仁子」さんと「メアリー・エルキントン」さん。当時から、日本は海外出身の人たちを引きつける魅力あふれる場所だったのかもしれません。また夫として選んだ人物が魅力的で尊敬を集める人物であったことも大きいのでしょうけども・・・。こういった歴史は、日本人からすると誇らしく、嬉しくなるものですね。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 大森兵蔵とは「体育の教授」で、日本が初めて参加したオリンピック「ストックホルム大会」では、「日本代表監督」として「金栗四三」らを率いた人物。
  2. 大森兵蔵と妻・安仁子の直系子孫は存在しないが、大森兵蔵の姪の孫にあたる「佐藤玖美」さんが、現在「実業家」として活動しておられる
  3. 大森兵蔵さんはストックホルムオリンピックの翌年、日本への帰国途中に病死。妻・安仁子さんはその後も日本で活動を続け、1941年に河口湖の別荘で他界。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

「【ストックホルムオリンピック】日本人の選手一覧!金栗四三と三島弥彦」の記事はコチラ
「嘉納治五郎はオリンピック招致に成功していた!幻の1940年東京五輪とは」の記事はコチラ
「【三島弥彦とは】子孫と家系図がスゴイ!大久保利通や麻生太郎の親戚だった」の記事はコチラ

 

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