初代内閣総理大臣「伊藤博文」の「功績」や「エピソード」について、わかりやすく解説します。
「松下村塾・吉田松陰」の弟子にして、総理大臣を務めた「伊藤博文」。
高杉晋作の「功山寺挙兵」に協力し、「大日本帝国憲法」発布の中心人物として活躍。
伊藤博文が生きていたら、韓国は消滅しなかったかもしれません。
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この記事を短く言うと
- 伊藤博文は「明治維新」に尽力。初代「内閣総理大臣」を務めた。「日清日露戦争」の戦後処理や、「大日本帝国憲法」の発布という功績を残した
- 初代韓国統監となった伊藤博文は、1909年10月26日、清国のハルビン駅で韓国人活動家「安重根」に暗殺された
- 伊藤博文は「女好き」で有名で、特に芸者を好んだ。明治天皇に叱られるほど、女好きだった
伊藤博文は何した人?功績一覧
初代内閣総理大臣「伊藤博文(いとうひろぶみ)」
彼はいったい「何をした人」なのでしょうか?
その功績をザッとならべると、以下の通りとなります。
- 「松下村塾」に入門して「吉田松陰」に学び、兄弟子「高杉晋作」が起こしたクーデター「功山寺挙兵」に参加。明治維新に貢献した。
- 明治新政府では、「大久保利通」のもとで「殖産興業」に力を尽くした。
- 初代内閣総理大臣に就任。合計4度、内閣総理大臣をつとめ、「日清日露戦争」の講和に力を尽くした
- ウィーン大学の「ローレンツ・フォン・シュタイン」教授に師事し、憲法について学び、「大日本帝国憲法」の起草に中心人物として力を尽くした。1889年2月11日に「黒田清隆」内閣で、大日本帝国憲法が発布された。
- 韓国統監府の初代韓国統監に就任。韓国民の教育に力をつくし、韓国併合には最期まで反対した
幕末、伊藤博文がうまれた長州は「尊王攘夷」の思想が強く、長州藩は過激な行動を繰り返していました。
そんな中、長州藩は幕府による「第一次長州征伐」に敗北。藩は幕府へ降伏する道を選択します。
これに反対した「高杉晋作」は、ただ一人でクーデターを画策。伊藤博文は、無謀なクーデター計画に、真っ先に駆けつけ、見事クーデター成功。
藩の方針を「討幕」へと転換させます。
明治維新後は、大久保利通の元で「殖産興業」に尽力し、イギリス留学で身につけた英語や技術を駆使し、近代化を勧めます。
その後、初代内閣総理大臣に就任。
明治15年(1882年)、憲法をつくるためにヨーロッパへ。ウィーン大学の「ローレンツ・フォン・シュタイン」教授に教えをうける
「憲法とは、その国の歴史や伝統によって形作られている。まずは日本の歴史を学べ」
と言われて、憲法起草に中心人物として着手。
明治22年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法発布。
「日清日露戦争」が起こると、戦争回避を主張する穏健派でありながら、開戦してしまうと、即座に戦後処理に奔走。
明治38年(1905年}「韓国併合」に反対しながらも「韓国統監府」が設置されると、初代韓国統監に就任。
「国民の94%が文字を読むことが出来なかった」という韓国人に「教育」をおこない、韓国の国力向上に協力する。
その後、「韓国併合」に反対しつづける
明治42年(1909年)10月26日、ロシア蔵相「ココツェフ」と会談するためにおとずれた「清国」のハルビン駅で、韓国活動家「安重根」にピストルで撃たれて亡くなる。
伊藤博文の最期!韓国併合に反対したのに「安重根」に暗殺された
明治42年(1909年)10月26日、伊藤博文は日露戦争後の「満州」と「朝鮮半島」の処置について、「ココツェフ」と会談するため「清国・ハルビン」にいました。
日本はこのとき、日清戦争に勝利して独立させた「韓国」を「日本に併合しよう」と考えていました。伊藤博文だけは、この「日韓併合」に、最期まで反対していたのです。
韓国独立を主張する活動家「安重根」は、ハルビン駅で伊藤博文をピストルで襲撃。3発を伊藤の身体に撃ち込みます。
「俺を撃ったりして、馬鹿なやつだ」
伊藤は死の半年前、「韓国併合」を容認するかのような態度を「桂太郎」たちに見せたと言われていますが、それでもやはり「韓国併合」に消極的な態度をとった「最期の大物」でした。
安重根は「東洋の平和」を実現することを目的に「伊藤博文」を暗殺したと主張。暗殺の動機を、安重根は自白したが、その中には
「孝明天皇を暗殺した」
などの荒唐無稽なものまで有りました。
伊藤が亡くなった1年後、韓国は日本に併合され、韓国は消滅。
現代において、アメリカの文学者「ドナルド・キーン」さんや評論家「渡部昇一」さんは
「伊藤が亡くなったことで、日韓併合が加速した」
と主張しています。
伊藤博文が生きていたら、韓国併合はなかったかもしれません。
日本国内の開発でも金がなくて苦労していたのですから、韓国を併合して、韓国を開発するなんて気が遠くなる話です。総理大臣を何度もつとめ韓国統監をもつとめた伊藤博文は、そのことが痛いほどよくわかっていたのです。
「伊藤博文暗殺事件」について、くわしくは以下のリンク記事をお役立てくださいませ。
伊藤博文エピソード!女好きすぎて天皇に叱られた
伊藤博文は、「女好き」で有名な人物でした。
久坂玄瑞・高杉晋作・吉田稔麿と並ぶ「松下村塾四天王」の一人「入江九一」の妹「すみ子」と結婚。
しかし「梅子」という女性と交際をつづけ、梅子に子供ができたため、「すみ子」と離婚。「梅子」と再婚したのでした。
芸者を好み、明治天皇に叱られるほど女好きだったといいます。
新聞などには
「女に汚い『伊藤博文』、金に汚い『大隈重信』」
と書かれたりしていました。ちなみに「両方汚いのが井上馨」・・・井上馨は伊藤博文の盟友中の盟友です・・・。
その女好きの度合いは図りしれず、二流の芸者をはべらすことを好んだそうです。高熱で唸っていたときにも、両脇に女性を侍らせていた・・・なんてことも・・。
どうやら「人妻」を好んでいたようですね・・。
伊藤博文の子孫
伊藤博文の子孫が、現在も「政治」にたずさわっています
「伊藤博文」の「玄孫(孫の孫)」にあたるのが「松本剛明(まつもとたけあき)」衆議院議員。
松本剛明議員は、「民主党」の議員でしたが、その後「自民党」で活躍しています。
「松本剛明」議員の父で、伊藤博文の「ひ孫」にあたる「松本十郎」氏も衆議院議員(防衛庁長官)でした。
同じく「伊藤博文」の玄孫で、「アメリカ大使」「外務審議官」などを務めた外交官「藤崎一郎」さんと「松本剛明」さんは「いとこ同士」です。
「伊藤博文」名言集
伊藤博文の名言を、一覧でご紹介いたします。
・「相手にへりくだる人物には警戒せよ。どれだけ強そうに見えても、言動に余裕と味がない人は、大きな事を成し遂げられないものだ」
・「いやしくも、天下に事を成そうとするならが、命がけのことなんて幾度もある。人に頼っていてはいけない。自力でやり遂げろ」
・「我々に歴史はない。我々の歴史は、今ここから始まる」
・「たとえここで学問をして業が成っても、自分の生まれた国が滅びては何のためになるか」
・「今日の学問は、全て実学である。昔の学問は十中八九までは虚学である」
・「本当の愛国心とか勇気とかいうものは、肩をそびやかしたり、目を怒らせてするようなものではない」
・「国家の安危存亡に関係する外構を軽々しく論じ去って、なんでも意のごとく出来るがごとくに思うのは、多くは実験のない人の机上の空論である」
・「お前に何でも私の志を継げなどと、無理を言ったりはしない。持って生まれた天分なら、たとえお前が乞食になっても私は悲しまない。金持ちになっても喜ばない」
一代で「農民の子」から「内閣総理大臣」までのし上がった「伊藤博文」らしい、力強く野心的な名言が多いようですね。
『伊藤博文』について「ひとこと」言いたい!
伊藤博文・・・日本の初代内閣総理大臣。
内閣総理大臣というと、すごい人に思われますが、「松下村塾」で「伊藤博文」は、「山県有朋」とならんで、かなりの劣等生」だったようです。
伊藤博文は師の「吉田松陰」から「取り柄がない」と言われてしまっています。ちなみに山県有朋は、伊藤博文の友人だった「吉田稔麿」から「なんの取り柄もなく、役に立たん」と酷評されていました。
この「伊藤博文」の友人「吉田稔麿」は、「松下村塾四天王」の一人。高杉晋作からも評価された逸材で、生きていたら総理大臣になれたと言われる天才でした。
そんな「吉田稔麿」は、「池田屋事件」で新選組や会津藩士と戦って戦死。
松下村塾の優等生は、吉田松陰に似て、命知らずな者が多く、ほとんどが早死しています。
「久坂玄瑞」「入江九一」は「禁門の変」で戦死。「高杉晋作」は「功山寺挙兵」という無謀なクーデターを成功させたものの、明治をまたずに病死。
伊藤博文は、「初代内閣総理大臣」になったものの、それは残念ながら「大久保利通」や「木戸孝允」のような大物がなくなり、人材難だったから・・・ではないでしょうか。
残念ながら、吉田稔麿・大久保利通に比べたら、伊藤博文は器が小さいと言わざるを得ないのです。とはいえ、死に急いだ「吉田松陰」や「松下村塾四天王」に比べたら、かなりまともかもしれませんがね。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 伊藤博文は「功山寺挙兵」に真っ先に参加。「日清日露戦争」の戦後処理や、「大日本帝国憲法」の発布という功績を残した
- 伊藤博文は、1909年10月26日、清・ハルビン駅で韓国人活動家「安重根」に暗殺され、「俺を撃ったりして馬鹿なやつだ」という言葉を残した
- 伊藤博文は「女好き」で、「女に汚い伊藤博文・金に汚い大隈重信」と呼ばれるほどだった
以上となります。
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