徳川家康の正室と側室一覧!妻達の家系図から「女好き」な性格と判明

天下人『徳川家康』の正室と側室一覧!妻たちの家系図・素性をみると、家康の好みが見えてくる!

実はかなりの女好き?

そして「実績主義」だということが判明した!

家康が女性を選ぶ際に重視するのは「子供が産めるか否か」だった。

特に「子供を産んだ経験がある女性」を好んでおり、「出産」を女性に求めていたことがよくわかります。

この記事では、「家康の側室たち」について、「家系図つき」でわかりやすく解説いたします


スポンサーリンク


歴史専門サイト「レキシル」へようこそ。

拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと
徳川家康の正室は二人いた。「瀬名姫」と、豊臣秀吉の妹「朝日姫」、二人とも家康より身分が高い

・側室達は、ことごとく身分が低い

・側室の中には、再婚で既に子持ちの女性もいた。家康は「身分が低い」「子供が産める」という2つを重視して側室を選んでいた


家康の妻達!正室・側室一覧

徳川家康の妻達を一覧でまとめてみました

《徳川家康》
「引用元ウィキペディアより」

正室

築山殿(今川義元の姪) → 長男【信康】、長女【亀姫】の母

朝日姫(豊臣秀吉の妹)

側室一覧

西郡局  →    → 次女【督姫】の母

長勝院(お万の方) → 次男【結城秀康】の母

お愛の方 →    → 三男【徳川秀忠】、四男【松平忠吉】の母

お竹の方 →    → 三女【振姫】の母

下山殿  →    → 五男【武田信吉】の母

茶阿局  →    → 六男【松平忠輝】、七男【松千代】の母

お久の方 →    → 四女【松姫】の母

お亀の方 →    → 八男【仙千代】、九男【徳川義直】の母

お万の方 →    → 十男【徳川頼宣】、十一男【徳川頼房】の母

お梶の方 →    → 五女【市姫】の母

お梅の方

阿茶局

お牟須(なす)

お仙の方

お六の方

お夏の方

富子

法光院

三条氏

家康の子ども達

家康には十一男・五女、16人の子供がいました。

その中で、50歳以上生きたのは

三男「秀忠」、六男「忠輝」、十男「頼宣」、十一男「頼房」、長女「亀姫」、次女「督姫」

と、わずかに6名のみ。

平均寿命が極端に短い時代とはいえ、あまりに早死が過ぎる気がします。

以下に、家系図のような形で家康の側室と子どもたちをまとめてみました。

「家系図の引用などはご遠慮くださいませ」

非常に女性好き・・・そして、子供の割合が「男の子」のほうが多いことがわかります。


スポンサーリンク


妻たちの素性・家系図について

奥様たちの素性、出身、家系図は、どのようになっているのでしょうか?

正室の素性・家系

築山殿(今川義元の姪・関口親永の娘)

朝日姫(豊臣秀吉・豊臣秀長の妹)

側室の素性

西郡局    →  (今川家臣・鵜殿長照の妹)

長勝院[お万の方]→(家康の従姉妹)

お愛の方   →  (戸塚忠春の娘)

お竹の方   →  (武田旧臣・市川昌永の娘)

下山殿    →  (秋山虎康の娘・穴山信君の養女)

茶阿局    →  (地侍・山田八左衛門の娘)

お久の方   →  (北条旧臣・間宮康俊の娘)

お亀の方   →  (志水宗清の娘)

お万の方   →  (正木時通の娘)

お梶の方   →  (太田康資の娘)

お梅の方   →  (豊臣家臣・青木一矩の娘)

阿茶局    →  (武田家臣・飯田直政の娘)

お牟須(むす)→  (武田旧臣・三井吉正の娘)

お仙の方   →  (武田旧臣・宮崎泰景の娘)

お六の方   →  (お梶の方に仕えた部屋子)

お夏の方   →  (長谷川藤直の娘)

富子     →  (出自不明)

法光院    →  (出自不明)

三条氏    →  (出自不明)

随分と身分の低い女性が多いですね。


スポンサーリンク


家康の好みの女性とは?

家康は66歳で、末娘の「市姫」をもうけています。

かなりの「女好き」だったのでしょう。

そんな女性好きだった家康。

側室たちを見てみると、「好みの女性のタイプ」が見えてきます。

そこには2つのパターンがあるようです。

1,「子供を産んだ実績がある」

2,「身分が低い女性」

1,子供を産んだ実績がある女性

家康は女性に「子供を出産する」ことを望んでいたようです。

そのため、「既に出産を経験している・既に子持ち」という実績を、女性選びの目安にしていたらしく、側室には相当な割合で「未亡人」や「再婚」「子持ち」の女性がいます。

子孫を多く残す・・・という確かな目的を持って側室を選んでいたようです。

それともう一つ・・・どうやら家康は「梅毒」を警戒していたみたいです。

当時「梅毒」は非常に致死率の高い病気でした。

歴戦の猛者であった名将「加藤清正」「浅野幸長」も、遊女を好んだため、梅毒で亡くなったのだとか。

家康は梅毒と遊女を警戒して、出産経験のある女性を好んだのではないでしょうか。

2,身分が低い女性

家康の側室は、軒並み身分が低いです。

豊臣秀吉の場合は、例えば「織田信長の娘や姪」または「名門・京極家の娘」など、ブランドを重視したのか?身分の高い女性を好んでいたみたいです。

しかし家康は、身分の低い武士の娘を好んでいます。

正室「築山殿」や、「朝日姫」の身分が高かったため、相手の実家に気を使ったのでしょうか?

どうやら息子の徳川秀忠にも、身分の低い女性を「側室」として勧めていたようです。


スポンサーリンク


まとめ

本日の記事をまとめますと

・家康の正室は「今川義元の姪」と「豊臣秀吉の妹」

・側室達は、ことごとく「身分が低い」

・どうやら家康は「子供を出産した経験有り」「身分が低い」女性を好んだらしい

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


スポンサーリンク


「徳川家康」関連記事

よろしければ、以下のリンク記事もお役立てくださいませ。

徳川家康家臣団一覧!天下統一に貢献した4人の名臣と十六神将とは」の記事はコチラ
徳川家康と瀬名姫の家系図を簡単紹介!父母・子供達とのその後も解説」の記事はコチラ
「【徳川家康が日光・静岡・大阪と3つある?各場所の歴史と秘密!」の記事はコチラ
徳川家康家系図を簡単に短く解説!嫁と子供、子孫と現在の末裔とは」の記事はコチラ

スポンサーリンク

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

2020年5月
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031
ページ上部へ戻る