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吉田稔麿の生涯と壮絶な最期!辞世の句の意味と真偽を考察してみた

吉田松陰の弟子「吉田稔麿(吉田稔麿)」について、その「生涯」と「最期」、「辞世の句」と「その意味」を、わかりやすく解説いたします。

「むすびても 又むすびても 黒髪の みだれそめにし 世をいかにせむ」

(結んでも結んでも乱れる黒髪のように、乱れる世をどうすればよいというのか)

池田屋事件で亡くなった吉田稔麿の最期とは?


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歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

・吉田稔麿は、久坂玄瑞高杉晋作とならぶ「松下村塾」の秀才

池田屋事件で、新撰組または会津藩兵を相手に戦い、亡くなった

・辞世の句・・・「むすびても 又むすびても 黒髪の みだれそめにし 世をいかにせむ」


吉田稔麿とは何者か?その功績を簡単解説

吉田稔麿

松下村塾に通い、吉田松陰から指導を受けた長州藩の活動家

1841~1864年(享年24)

吉田松陰の義弟「久坂玄瑞」や、「高杉晋作」と並び「松下村塾・三秀」と呼ばれた人物。

松下村塾門下「入江九一」も含めて「四天王」とも呼ばれていました。

そんな吉田稔麿の功績とは、どんなものなのでしょうか?

吉田稔麿の功績

吉田稔麿の功績を一言で言えば

奇兵隊に参加し「屠勇隊」を創設した

・攘夷を決行した際に、奇兵隊に占拠された船「朝陽丸」を開放するように、奇兵隊士たちを説得し、朝陽丸開放に成功(朝陽丸事件)

実は吉田稔麿・・・・はっきりとした功績を残したわけではありません。

とはいえ、後世に功績を残した「高杉晋作」や「伊藤博文」などが、吉田稔麿をとても評価しているのです。

1864年、稔麿は池田屋事件で若くして戦死しています。

この池田屋事件に激怒した長州藩過激派は「禁門の変」を引き起こすわけです。



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吉田稔麿の生涯と壮絶な最期!新選組と戦って死亡?

吉田稔麿

生い立ち

1841年、吉田清内の嫡男として誕生。稔麿の名前は当初「栄太郎」でした。

稔麿は「吉田松陰」に師事する前から、「久保五郎右衛門」という人物が教えていた「松下村塾」に通っていました。

当時から稔麿は、とても静かで眼力のある人物だったとか。

学問のみならず、武術にも秀でていました。「宝蔵院流槍術」と「柳生新陰流剣術」を修得。

その後、「吉田松陰」の松下村塾に通い兵法・兵学を学んだと言われています。

吉田松陰
『引用元ウィキペディアより』

優秀な稔麿のことを、松陰はとても評価しており、「久坂玄瑞」「高杉晋作」「吉田稔麿」の3人を「三秀」と呼んだのでした。

久坂玄瑞
『引用元ウィキペディアより』

 

高杉晋作
『引用元ウィキペディアより』

 

吉田松陰の死後

1859年、師である吉田松陰が「安政の大獄」により刑死。

1863年、高杉晋作が創設した「奇兵隊」に参加。「屠勇隊」を結成。

同年8月、攘夷を決行した長州藩は、関門海峡にて幕府の船「朝陽丸」を砲撃。奇兵隊士が朝陽丸を一時占拠するが、稔麿が奇兵隊士を説得し、解放に成功

同年。「栄太郎」から「稔麿」へと改名しています。



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池田屋事件

1864年、京都の池田屋で行われた長州藩士の会合に、「吉田稔麿」も出席。

しかし一度、長州藩邸へ戻り、改めて池田屋へ行くと、「新選組」によって池田屋は襲撃されていました。

稔麿は、どうやら池田屋から脱出した長州藩士から、池田屋での異変を聞き、即座に現場に駆けつけようとしたのだとか。

池田屋へ向かう途中、加賀藩邸前で「会津藩士」たちに囲まれ、切りあった末に討ち死。

別の説として、池田屋から逃げてきて、長州藩邸に応援を要請するも断られて門前で切腹した・・・とも言われていますが、最新説では「会津藩士」に斬られたというのが有力だそうです。

後に、松下村塾の同門「品川弥二郎」は、稔麿について、こう言いました。

「生きていたら総理大臣になれた」

初代総理「伊藤博文」から

「私などとは比べ物にならない。

天下の奇才だった」

と讃えられました。

《伊藤博文》
『引用元ウィキペディアより』

山県有朋には、ある日稔麿について、高杉晋作に尋ねます。

「(吉田稔麿は)自分と比べてどれほどの差があるのか?」

高杉晋作は笑いながら応えました

「稔麿が座敷にいるとするなら、お前は玄関番にもなれない。

味噌もクソも一緒にするとは、まさにこのことだろう」

高杉晋作からも激賞されていた吉田稔麿。

池田屋事件で、稔麿を筆頭に、長州の優秀な人材が7人も亡くなっており、「明治維新が一年遅れた」と言われています。

吉田稔麿・・・早すぎた最期でした。



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松下村塾の同門で、後に「国軍の父」と呼ばれることになる「山県有朋」が、「吉田稔麿」について語った逸話が残されています。

《山県有朋》
『引用元ウィキペディアより』

それについて詳しくは、以下のリンク記事をお役立てくださいませ。

↓↓↓↓↓↓



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辞世の句・・・その意味と、真の作者を考察

吉田稔麿は、「辞世の句」を残しています。

「むすびても 又むすびても 黒髪の みだれそめにし 世をいかにせむ」

意味は

「結んでも結んでも、まるで黒髪が乱れているようなこの世の中を、どのようにすれば良いというのか」

幕末の動乱に焦りをにじませる、国家を思う稔麿の気持ちがよく現れています。

それにしても、これ・・・本当に吉田稔麿の作品なのでしょうか?

稔麿は、病気や切腹で亡くなったわけではなく「池田屋事件」という突発的な事件で亡くなっています。

つまり「辞世の句」を用意しておく暇などなかったはず。

では誰がこの句を作ったのか????

高杉晋作の辞世

「おもしろき こともなき世を面白く すみなすものは 心なりけり」

は、女流歌人の「野村望東尼(のむらもとに)」という人が「下の句」を書いたと言われています。

では稔麿の「辞世の句」も誰かが代わりに作ったのか?

と思ったら、どうやら「辞世の句」というのは、いつ最期を遂げても良いように、常に用意しておくものだそうですね。

ですので「吉田稔麿」も、事件を予期していたわけではなく、いつでも死ねるように覚悟を決めて辞世の句を用意していた・・・ということでしょう。



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まとめ

本日の記事をまとめますと

・吉田稔麿は、松下村塾で学び「久坂玄瑞」や「高杉晋作」と並び称された逸材

・最期は新選組による「池田屋事件」で会津藩兵と戦い戦死

・辞世の句は、稔麿がつくったもので間違いないだろう。幕末・日本への焦燥感・危機感が感じられる作品。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


吉田松陰」について、よろしければ以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。

↓↓↓↓↓↓


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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 漢字で三文字の人物を調べている時、教科書に登場する外国人として、李成桂、李舜臣、李鴻章、の三名が挙げられていた。調べると、李成桂の読み仮名はりせいけい(イソンゲ)とある。李舜臣は、りしゅんしん(イスンシン)とある。しかし、李鴻章だけ、りこうしょうとあるのみ。調査を進めると、李成桂は、(イ・ソンゲ)、李舜臣(イ・スンシン)と表記するのが正しいようだ。驚いたのは、李鴻章である。リーチャンホンとあり、リではなく、間の・もない。なぜなのだろう。李鴻章の李をLiと表記しているものがあり、リーではないような気はするが。

    ①1行目の吉田松陰の弟子「吉田稔麿(吉田稔麿)」が、分かりません。吉田の吉の文字が土に口となっているのかなど何回見ても分かりません。吉田栄太郎と別名を書く予定だったのか、、、。

    ②1行目「辞世の句」と書いてある、これで「辞世の歌」という表記に関してから解放されそうだ。
    解放について、吉田稔麿の功績3行目に「朝陽丸」開放とあるが、解放の誤りであると思う。吉田松陰の死後、4行目には解放と書かれている。
    池田屋事件6行目に切りあったとあるが、斬りあったの方が良いと思われる。2行下には、斬られたとある。
    高杉晋作は笑いながら応えましたとあるが、相手から自分に向かってなげかけられたことばに対して返事をしているので、答えるが、正しいと思う。

    ③この記事を短く言うと2行目に新撰組とある。新選組と統一して表記すべきだと思う。確かに、隊員のなかにも新選組と書いたり、新撰組と書いたりしているので、どちらでも良いという説があった。しかし、2004年NHKが「新選組」を放映した時に、新選組という表記が主流となり、現在、使用されている教科書も新選組と書かれていると聞く。私は、新撰組と習い、山崎宗鑑を撰者とする「新撰犬筑波集」でも迷うことはなかったが、今の子は新選と新撰を使い分けしなければならない大変だ。

    • お言葉ありがとうございます。
      参考にさせていただきます。

      いつもコメントをいただき感謝しております。
      GWも終わり、これまでのようにお返事が出来なくなりますが、どうかこれからも当サイトをよろしくお願いいたします。
      異議や誤字の指摘など大歓迎です。
      ありがとうございました。
      失礼いたします。

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