この記事では「織田信長の血液型と手相」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。
これを読めば「織田信長の血液型と手相」を、カンタンに理解できます。
「織田信長」は「A型」で「ますかけ線」という幸運に恵まれる手相だったのです。
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この記事を短く言うと
1,「織田信長」の血液型は?
ハッキリとは判明していないが、遺髪の鑑定によると「A型」であると言われている。
2,「織田信長」の手相とは?
信長は「ますかけ線」という大変な強運の者に宿る手相を持っていたといわれている。この手相の持ち主は、「強情」で「ワンマン」な性格らしい。
3,「信長」の性格と強運を裏付けるエピソードとは?
信長は神経質で、掃除をなまけた茶坊主を「へし切長谷部」という名刀で斬り殺したらしい。また、「武田信玄」や「上杉謙信」などの強敵が、絶妙なタイミングで急死してくれている。
「織田信長」の血液型は、何型?
「織田信長」の血液型は、実はハッキリとは判明していません。不明です。
しかし、「信長の遺髪」と思われる髪の毛を使って鑑定をしたところ「A型」という結果が出たのだそうです。
とある「掛け軸」に付着していた「遺髪」が、その「A型」の根拠となったのだといわれています。
しかし近年では、その「遺髪は信長のものではない」とする説が浮上しているのだとか。
筆者の個人的な意見ですが、「織田信長」の血液型は「A型」だったと思っています。
理由は簡単です。
現代社会でよく知られている「血液型と性格の診断」によれば、「A型の性格」は「神経質で几帳面」なのだとか。
織田信長は、まさに「A型」の性格そのものです。
くわしいことは後述いたしますが、織田信長は「神経質で几帳面」という性格なのです。
「織田信長の性格や人柄」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。
「手相」は「強運」を暗示する形だった
織田信長の手相には、「ますかけ線」という特徴的な線があったといわれています。
「ますかけ線」とは、手の「人差し指の付け根」から「小指の付け根」まで、一直線に「手のひらを横断する線」のことです。
この線があると、「類まれなる強運」に恵まれるのだとか。
信長はその生涯において、いくつもの危機を強運によって乗り切っています。
実は「徳川家康」にも「ますかけ線」があったらしいです。
「ますかけ線」の特徴は、以下のとおりです。
「ますかけ線」とは、「感情線」が平坦になり、「知能線」と「生命線」の起点に繋がった状態になること。
「知能線」を有すると「ますかけ線」ではない、という説もある。
運勢の浮き沈みが激しくなり、人から見ると強情で融通の利かない人とみられがち。
しかし、つかんだ運は絶対にはなさないとも言われる縁起の良い相とも言われる。
ギャンブルに強かったり、危機的状況で底力を発揮。
予測は大変難しい。
「徳川家康」の左手は「ますかけ線」であった。
なお、「ますかけ線」は珍しい相といわれるが、片手のみ「ますかけ線」の人はよく見かける。
ただ、両手とも「ますかけ線」の場合は珍しい。
ダウン症の子供の手にもよく現れる。ワンマンで多少強引な性格である。
~引用元ウィキペディアより~
- 「強情で、融通が利かない」
- 「ギャンブルに強く、危機的状況で底力を発揮」
- 「(次に何をするのか)予想が大変難しい」
- 「ワンマンで多少強引な性格」
全て信長の性格とぴったり一致しています。
信長が「ますかけ線」の持ち主だったことには、信ぴょう性があるような気がします。
織田信長の「性格」と「強運」を裏付ける逸話
信長の「性格」
信長の性格は、とても「几帳面で真面目」、そして「神経質」だったと考えられます。
信長の性格を表す逸話として、「へし切長谷部(へしきりはせべ)」という名刀の逸話があります。
あるとき信長は、部屋の掃除を忘れた「茶坊主」を、罰として斬り殺そうとします。
棚のうらに隠れた茶坊主を、信長は刀を押し当てて引いただけ斬り捨てた、という逸話があるのです。
つまり「茶坊主」をへし切った、というわけです。(「へし切り」とは「刀を押し当てて引き斬る技」のことだが、当時からそういう剣術の技があったらしい)
そのことから信長のこの愛刀を「へし切長谷部」と呼ぶのだとか。
信長は、掃除を怠った茶坊主を許せなかったということです。
かなり神経質な性格であることが読み取れます。
また、越前国を支配することとなった家臣「柴田勝家」に対して、こんな手紙を残しています。
「私に足を向けるな」
「私を崇め、尊敬せよ」
むちゃくちゃ神経質な人の命令です。
信長は、「A型」特有の神経質で几帳面な性格であったことがわかります。
余談ですが、「へし切長谷部」は、「豊臣秀吉」の参謀「黒田官兵衛」に与えられ、現在は「福岡博物館」に所蔵されています。
「織田信長の愛刀」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。
信長は「強運」の持ち主だった
信長は強運の持ち主で間違いないです
「桶狭間の戦い」では、豪雨と暴風に恵まれたおかげで、「今川義元」の本陣へ接近することに成功し、勝利できたのですから
織田信長は「梅雨将軍」と呼ばれていました。
なぜなら、信長は大切な戦いで必ずと言っていいほど雨に降られているからです。
信長は、その雨を上手に利用して勝利をもぎ取ったのでした。
強敵「武田信玄」は、信長と直接ぶつかる前に、突然病死しています。
最強の敵「上杉謙信」も、信長を攻める直前に「脳溢血」で亡くなってしまいました。
信長が最も恐れた2人の強敵「武田信玄」と「上杉謙信」は、信長に暗殺されたのではないかと疑いたくなるほど、信長にとって絶妙なタイミングで、次々と病死しているのです。
信長は、歴史上並ぶものがいないほどの強運の持ち主だったといえるのです。
「武田信玄」「上杉謙信」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。
その他の「有名な戦国武将」の血液型とは?
信長の他、有名な戦国武将の「血液型」を、わかる限り一覧でご紹介致します
- 豊臣秀吉・・・O型
- 徳川家康・・・不明
- 上杉謙信・・・AB型
- 武田信玄・・・A型
- 北条氏康・・・O型
- 真田幸村・・・A型
- 伊達政宗・・・B型
- 徳川秀忠・・・O型
これらの血液型は、「血判」や「遺骨」または「遺髪」などから割り出したものであると言われています。
ただ、これらの血液型は、確定しているわけではないとのことです。
今後の研究で、「真の血液型」が判明する可能性も残っているようです。
「徳川家康」の血液型は、わかっていません。
ただ、家康の子供たちの血液型をみてみると、「家康の血液型がAB型である可能性はゼロ」ということだけはハッキリしているようです。
「徳川家康の性格」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。
まとめ
本日の記事をまとめますと
1,「織田信長」の血液型は、ハッキリとは判明していないが、遺髪の鑑定によると「A型」であると言われている。
2,「織田信長」は「ますかけ線」という大変な強運の者に宿る手相を持っていたといわれている。この手相の持ち主は、「強情」で「ワンマン」な性格らしい。
3,信長は神経質で、掃除をなまけた茶坊主を「へし切長谷部」という名刀で斬り殺したらしい。また、「武田信玄」や「上杉謙信」などの強敵が、絶妙なタイミングで急死してくれている。
以上となります。
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