戦国の世を駆け抜け、天下統一を目前にして本能寺の変に倒れた織田信長。彼の強烈なカリスマ性と革新的な行動力は、今もなお多くの人々を惹きつけてやみません。
そんな信長について、ふとこんな疑問を抱いたことはありませんか?
「あんなに激しい性格だった信長は、いったい何型だったんだろう?」
巷では「天才肌のB型」だとか、「几帳面なA型」だとか、まことしやかに囁かれています。しかし、400年以上も前の人物の血液型なんて、本当にわかるものなのでしょうか?
実は、歴史の世界には、遺骨や遺髪から科学的に血液型が判明している武将もいれば、性格からのイメージだけで語られている武将もいるのです。
今回は、織田信長の血液型にまつわるミステリーを徹底的に深掘りし、最新の研究事情や、性格診断から見える意外な一面、さらには他の戦国武将たちの知られざる血液型事情まで、たっぷりとご紹介します。
- 織田信長の血液型にまつわる「A型説」「B型説」の根拠と真実
- 科学的に血液型が判明している戦国武将と、そうでない武将の違い
- 信長の手相「ますかけ線」や「左利き説」に隠された真実
- 歴史上の偉人たちの血液型から見える意外な共通点
織田信長の血液型は本当に判明しているのか?

引用元「Wikipediaコモンズ」より
まずは結論から申し上げましょう。織田信長の血液型について、インターネットや書籍で様々な説が飛び交っていますが、その真相はどうなっているのでしょうか。
遺髪鑑定で「A型」説が浮上した背景
「信長はA型だ」という説を耳にしたことがある方も多いかもしれません。この説の根拠となっているのが、京都にある建勲神社(けんくんじんじゃ)に残されているとされる「信長の遺髪」や「血痕がついた掛け軸」です。
一部のテレビ番組や書籍では、これらの遺物から血液型鑑定が行われ、「A型という反応が出た」と紹介されることがあります。もしこれが事実なら、大発見ですよね。
しかし、歴史学や法医学の観点から厳密に言うと、この「鑑定結果」には公式な学術論文や詳細な報告書が存在していません。
古い毛髪や血液からのDNA鑑定や血液型判定は、非常に繊細な技術を要します。数百年もの間、空気中にさらされていた遺物は、カビやバクテリア、あるいは後世の管理者の汗などが付着(コンタミネーション)している可能性が高く、正確な判定が極めて難しいのです。
したがって、「A型説」は非常に興味深い話ではありますが、科学的に「確定した事実」として扱うには、まだ少し慎重になる必要があります。
性格から推測される「B型」説の根拠とは
一方で、根強い人気を誇るのが「信長=B型説」です。これは科学的な鑑定結果ではなく、主に信長の性格や行動パターンからの推測に基づいています。
一般的に、血液型占いにおいてB型は以下のような特徴があると言われています。
- マイペースで自由奔放
- 既存の枠にとらわれない発想力
- 好き嫌いがはっきりしている
- 熱しやすく冷めやすい
いかがでしょうか?「うつけ者」と呼ばれた奇抜なファッション、既存の仏教勢力への対抗、南蛮文化への強い関心……。信長の型破りなエピソードと、妙にマッチするように感じませんか?
この「イメージの一致」こそが、B型説が支持される最大の理由なのです。「あの信長が、常識人なA型なわけがない!絶対B型だ!」という、ファンの願望にも似た心理が働いているのかもしれませんね。
血液型が確定できない理由──戦国時代の限界
では、なぜ信長の血液型はこれほどまでに謎に包まれているのでしょうか。最大の理由は、確実な「遺骨」が存在しないことに尽きます。

本能寺の変で、信長は炎の中で自害しました。『信長公記(しんちょうこうき)』などの記録によれば、その遺体は完全に焼失したか、瓦礫に埋もれて発見されなかったとされています。
明智光秀も必死に信長の遺体を探させましたが、結局見つかりませんでした。後に豊臣秀吉が行った盛大な葬儀でも、棺に納められたのは信長の木像(香木で作られた像)でした。
現代の科学捜査でも、高熱で焼かれた骨からのDNA抽出は困難を極めます。ましてや遺骨そのものがない状態では、どんな名探偵でも、どんな最新科学でも、血液型を断定することは不可能なのです。
つまり、現時点での結論は「不明」。これが、歴史学としての誠実な回答と言えるでしょう。
「A型説」vs「B型説」──信長の性格から読み解く
科学的には「不明」とわかりましたが、それでは少し寂しいですよね。そこでここからは、あえて「性格」という切り口から、信長がA型なのかB型なのか、歴史ファンの視点でシミュレーションしてみましょう。
A型の特徴:几帳面で神経質な一面
豪快なイメージが先行しがちな信長ですが、実は史料を紐解くと、驚くほど几帳面で神経質な一面を持っていたことがわかります。

引用元「Wikipediaコモンズ」より
| 掃除へのこだわり | 安土城の建築現場で、職人の仕事ぶりや掃除の状態を細かくチェックし、不備があれば激しく叱責したという記録があります。 |
| 組織管理 | 能力主義を徹底しつつも、裏切り者には容赦しない厳格なルールを敷きました。これは「規律を重んじる」A型的な気質とも取れます。 |
| ストレス | 比叡山焼き討ちや長島一向一揆での徹底的な殲滅戦は、普段溜め込んだストレスや、裏切りへの怒りが「我慢の限界」を超えて爆発した結果とも見えます。 |
ルイス・フロイスの記録にも、信長は非常に清潔好きで、身なりを整えることに気を使っていたとあります。こうした「完璧主義」な側面は、確かにA型のステレオタイプに近いものがありますね。
B型の特徴:革新的で行動力抜群
一方で、信長の事績全体を見渡すと、やはりB型的な「破壊と創造」のエネルギーを感じずにはいられません。
楽市楽座による経済の自由化、鉄砲の大量運用、兵農分離……。これらは当時の常識(伝統やしきたり)を完全に無視した、超合理的な改革でした。「周りがどう思うか」よりも「目的のために何が最適か」を突き詰める姿勢は、まさに我が道を行くB型の真骨頂と言えるでしょう。
また、興味を持った対象(茶の湯、相撲、黒人の家臣・弥助など)には子供のように熱中する一方で、興味がないものには一切見向きもしないという「凝り性」な部分も、B型っぽさを感じさせます。
「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」はどちらの血液型?
信長の性格を象徴するあまりにも有名な句、「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」。
この句を血液型診断に当てはめると、どうなるでしょうか?
「自分の思い通りにならないなら、消してしまえばいい」という短気で自己中心的な発想は、しばしばB型の悪い面として語られがちです。しかし、「ルール(鳴くこと)を守らない存在は許さない」という厳格さは、極端なA型の表れとも取れます。
ちなみに、この句は信長本人が詠んだものではなく、江戸時代後期に松浦静山(まつら せいざん)が著した『甲子夜話(かっしやわ)』にある創作だというのが定説です。つまり、これは「信長ならこう言いそうだ」と後世の人々が想像したキャラクターイメージなのです。
江戸時代の人々にとっても、信長は「理解不能なほど過激な人物」として映っていたのでしょう。
信長の「ますかけ線」が示す強運と性格
血液型と並んで話題になるのが「手相」です。信長の手相は、天下人の証とされる「ますかけ線」だったという伝説があります。
ますかけ線とは?天下人に宿る手相の秘密
「ますかけ線(マスカケ線)」とは、感情線と知能線が一本に繋がり、手のひらを横一直線に横切る珍しい手相のことです。「百握り(ひゃくにぎり)」とも呼ばれ、一度掴んだ運は絶対に離さないという強運の持ち主とされています。
この手相は、波乱万丈な人生を送る天才や、組織のトップに立つリーダーに多いと言われています。
ワンマンで強情──手相が語る信長の本質
手相占いの観点から見ると、ますかけ線の持ち主は「頑固」「変人」「ワンマン」という特徴があります。人の意見を聞かず、自分の信念を突き通す強さがある反面、敵を作りやすい性格とも言えます。
まさに、信長の生涯そのものですよね。ただ、残念ながら信長の手形や手相に関する確実な史料は残っていません。「信長=ますかけ線」説もまた、彼の英雄性を強調するための後世のフィクションである可能性が高いのです。
徳川家康も持っていた!強運の手相
一方で、信長と同盟を結んでいた徳川家康については、面白い史料があります。久能山東照宮などに残されている「家康の手形」を見ると、彼の手相は確かにマスカケに近い形状をしているのです。

引用元「Wikipediaコモンズ」より
「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」の家康が、強情なマスカケ線の持ち主だったというのは意外かもしれません。しかし、忍耐強くチャンスを待ち続け、最後に天下を「掴み取った」家康こそ、真のマスカケ線の体現者だったのかもしれません。
他の戦国武将の血液型一覧──判明している意外な事実
信長以外の戦国武将についてはどうでしょうか?実は、昭和以降に行われた学術調査によって、科学的に血液型が「判明」している武将たちがいるのです。
豊臣秀吉はO型、徳川家康は不明
まずは三英傑の残り二人について見てみましょう。
| 豊臣秀吉 | O型(推定) 確実な鑑定記録はありませんが、農民から天下人まで登り詰めたバイタリティと、人たらしな性格から「O型」と言われることが多いです。 |
| 徳川家康 | 不明 「O型」や「AB型」など諸説ありますが、科学的な調査は行われていません。ただし、彼の子孫である徳川将軍家の遺骨調査(増上寺)では、多くの将軍の血液型が判明しています。 |
面白いのは徳川将軍家の調査結果です。1958年に行われた増上寺の徳川家墓所改葬に伴う調査では、以下のような結果が出ています。
- 2代 秀忠:O型(推定)
- 9代 家重:A型
- 12代 家慶:B型
- 14代 家茂:A型
家康直系の子孫たちにバラつきがあるのがリアルですね。特に14代家茂は、甘党で虫歯だらけだったことまで骨の調査で判明しています。
武田信玄・伊達政宗・上杉謙信の血液型とは?
次に、地方の有力大名たちです。ここで注目すべきは伊達政宗です。

引用元「Wikipediaコモンズ」より
- 伊達政宗:B型
1974年に行われた瑞鳳殿(ずいほうでん)の発掘調査において、政宗の遺骨と遺髪から血液型鑑定が行われ、B型であることが科学的に確定しました。

派手好きでパフォーマンス上手、そして料理が趣味だったという「伊達男」の政宗がB型というのは、なんだかすごく納得がいきませんか?
一方、ライバルの武田信玄(A型説が有力)や上杉謙信(AB型説が人気)については、遺骨調査が行われておらず、あくまで推測の域を出ません。特に謙信は「生涯不犯」を貫いた神秘性から、天才肌で二面性のあるAB型のイメージが定着しているようです。
明智光秀・石田三成の血液型は?諸説を検証
最後に、知将として知られる二人です。
- 明智光秀:A型説
主君への忠誠と謀反という葛藤、そして教養人であった側面から、真面目すぎて思い詰めるA型タイプと見られがちです。 - 石田三成:A型またはAB型説
極めて論理的で事務能力に長けていた三成。「融通が利かない」という評価は、A型の悪い面、あるいはAB型の合理的すぎる面として解釈されています。
もちろん、これらも科学的根拠はありません。しかし、こうして並べてみると、現代の私たちが抱く「血液型のイメージ」と「武将のキャラクター」が、いかに密接に結びついているかがわかりますね。
血液型と性格診断は本当に当たるのか?
ここまで血液型の話をしてきましたが、そもそも「血液型で性格が決まる」というのは本当なのでしょうか?
戦国武将に血液型診断を当てはめる面白さ
実は、血液型と性格の関連性を信じているのは、世界でも日本人や韓国人などごく一部だけだと言われています。科学的(心理学・統計学)には、「血液型と性格に明確な関連性はない」というのが定説です。
「えっ、でも当たってる気がする!」と思うかもしれません。これは心理学で「バーナム効果」と呼ばれるもので、誰にでも当てはまるような曖昧な特徴を「自分のことだ」と思い込んでしまう心理現象が関係していると言われています。
科学的根拠はあるの?血液型性格論の真実
日本で血液型診断が広まったのは、昭和初期の古川竹二という心理学者の研究がきっかけでした。その後、1970年代に能見正比古氏の著書が大ヒットし、テレビや雑誌で定着しました。
つまり、これは科学というよりは、日本独自の「文化」や「コミュニケーションツール」として発展してきたものなのです。
歴史ロマンとして楽しむ血液型ミステリー
だからといって、武将の血液型談義が無意味なわけではありません。
「信長はきっとB型だ」と想像することは、信長の「自由で革新的な人物像」を再確認することでもあります。複雑な歴史上の人物を、血液型という馴染みのあるフィルターを通して見ることで、より親しみを感じたり、理解しやすくなったりする効果があるのです。
あくまで「歴史ロマンを楽しむ一つのスパイス」として、血液型ミステリーを味わうのが、最も粋な楽しみ方ではないでしょうか。
織田信長の利き手は左利きだった?
血液型と同じく、身体的な特徴としてよく話題になるのが「信長の利き手」です。ドラマや漫画では、カッコよく左手で刀を抜くシーンが描かれることもありますが、史実はどうだったのでしょうか。
左利きの武将は戦で有利だったのか
一般的に、スポーツの世界では「サウスポー(左利き)」は有利とされます。相手が見慣れていない動きができるからです。
しかし、戦国時代の「集団戦」においては、左利きは不利、あるいは危険でした。槍や鉄砲の部隊が一斉に動く際、一人だけ逆の手を使っていると、隣の味方とぶつかってしまうからです。
信長の利き手に関する史料と伝承
では、信長はどうだったのか。結論から言うと、「左利きだったとする信頼できる史料は存在しない」のが現状です。
『信長公記』などの記録にも、信長が左手を使っていたという記述はありません。当時の武士の作法として、刀は必ず左腰に差し、右手で抜くのが絶対のルールでした。もし信長が公然と左手を使っていたら、それはもっと大きな話題(あるいは批判の対象)になっていたはずです。
戦国時代に左利きはどう見られていた?
当時は今以上に「右利き優位」の社会でした。幼少期に左利きであっても、武士の子であれば厳しく矯正されたことでしょう。
現代の作品で信長が左利きとして描かれるのは、「常識に囚われない異端児」というキャラクター性を強調するための、現代的な演出である可能性が高いです。天才・信長には、マイノリティである左利きのイメージがよく似合う、ということですね。
偉人に多い血液型は存在するのか?
最後に少し視野を広げて、歴史上の偉人たちに共通する血液型はあるのか、見てみましょう。
リーダーに多いとされる血液型ランキング
現代の日本の歴代総理大臣の血液型を調べてみると、実はO型とA型が圧倒的に多いというデータがあります。
O型は「親分肌で決断力がある」、A型は「調整能力が高く組織運営に向いている」とされるため、政治家やリーダーには適しているのかもしれません。一方、B型やAB型の総理大臣は比較的少数派です。
天下人の血液型から見えてくる共通点
戦国時代に話を戻すと、伊達政宗(B型)や、幕末の西郷隆盛(B型説有力・遺髪鑑定など諸説あり)など、変革期には個性の強いB型が輝く傾向がある……と言えるかもしれません。
しかし、最終的に260年の平和な江戸時代を築いた徳川家(A型・O型・B型と多様)を見ると、やはり「どの血液型が一番天下人に近い」とは一概には言えなさそうです。
歴史上の偉人と血液型──日本と世界の比較
ちなみに、血液型診断に関心が高いのは主に東アジアだけなので、ナポレオンやアインシュタインなどの海外の偉人の血液型データは、ほとんど話題になりません(輸血が必要な医療記録などを除いて)。
「偉人に多い血液型」を探すよりも、「それぞれの個性が、その時代の要請とどうマッチしたか」を考える方が、歴史の真実に近づけるのかもしれませんね。
まとめ:織田信長の血液型論争が教えてくれること
今回は、織田信長の血液型ミステリーについて、科学とロマンの両面から解説してきました。
- 信長の血液型は、遺骨がないため科学的には「不明」である。
- 「B型説」は信長の革新的な性格、「A型説」は神経質な一面から来る推測。
- 伊達政宗はB型であることが、遺骨調査で確定している。
- 信長の「ますかけ線」や「左利き」も、英雄伝説の一部である可能性が高い。
結局のところ、信長が何型であったかという真実は、本能寺の炎と共に消えてしまいました。
しかし、「彼はきっとこんな性格だったに違いない」と400年後の私たちが熱く語り合えること自体が、織田信長という人物の桁外れの魅力の証明なのかもしれません。
あなたが思い描く信長は、何型ですか?次に歴史ドラマを見る時は、そんな視点で武将たちを観察してみると、また新しい発見があるかもしれませんよ。

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