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金閣寺を建てた人は誰?いつ何の目的でどんな理由で作られたのか解説

皆さんは金閣寺きんかくじを、ご存知でしょうか?

実は金閣寺について、くわしく知っている方は、それほど多くないみたいです。

この記事では金閣寺を、わかりやすく、みじかく、カンタンに解説いたしました。

今は金閣寺について、漠然としか知らなかったとしても、大丈夫です。

これを読めば、誰かに説明できるほど、金閣寺に詳しくなれます。

この記事を読んで、金閣寺の疑問をスッキリと解消していただけたら、これほど嬉しいことはありません。


歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

  1. 金閣寺を建てた人は、室町幕府の三代将軍だった【足利義満あしかがよしみつ
  2. 金閣寺は、【1397年】に建設が開始され、2年後の【1399年】に完成した
  3. 金閣寺は、足利義満の【住まい・住居】として建てられた。

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目次

金閣寺きんかくじ】を、建てた人は誰?

金閣寺を建てた人は、室町幕府の三代目・征夷大将軍せいいたいしょうぐんだった足利義満あしかがよしみつという人です。

《足利義満》
引用元ウィキペディアより

金閣寺のプロフィール
建てた人 足利義満あしかがよしみつ
建てた年 1397年・建設開始

1399年・完成

建てた時代 室町時代むろまちじだい
建てた理由・目的 足利義満が住むための自宅として
金閣寺の住所・地図 京都府京都市北区金閣寺町1

Googleマップはこちらをクリック

足利義満とは、祖父である足利尊氏あしかがたかうじが開いた室町幕府という臨時政府の三代目征夷大将軍だったお方です。

室町幕府のトップに君臨していた足利義満は、みん国とのあいだで貿易を行って莫大な利益を手に入れていました。

そしてライバルとの権力闘争にも勝利して、室町幕府の最盛期を実現させた人物です。

義満は、金閣寺という金箔を張り巡らされた豪邸を建設して、その絶大な権力を日本国中に誇ったのです。

絶大な権力を持っていた足利義満は、祖父の足利尊氏ですら成し遂げられなかった南北朝なんぼくちょうの動乱を終わらせた偉人です。

 

「足利尊氏」については、以下のリンク記事で、くわしく解説しております。


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【金閣寺】は、いつ建てられたの?

金閣寺は、1397年に建設工事が始まり、1399年に完成しています。

《金閣》
引用元ウィキペディアより

この時代は、室町幕府むろまちばくふという臨時政府が日本を支配していた時代でした。

室町時代むろまちじだいと呼ばれています。

足利義満は、200年以上続いた室町幕府の時代の中で、もっとも繁栄して盛えた時代を実現した人物です。

日本の歴史上でも屈指の権力者だったのです。

1337年から1392年までの55年間、日本は南北朝の動乱と呼ばれる戦乱・混乱の時代でした。

義満はこの南北朝の動乱を終わらせて平和を実現し、日本を安定させることに成功します。

それだけではありません。

義満は大国・みんとのあいだで正式に国交を樹立。

国交を樹立して勘合貿易かんごうぼうえきをおこなって、莫大な利益を手に入れているのです。(勘合かんごうとは貿易許可証のこと)

 

足利尊氏と後醍醐天皇による南北朝の動乱がどうして始まったのか、については、以下のリンク記事で、くわしく解説しております。


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【金閣寺】は、どんな理由や目的で建てられたの?

金閣寺は、足利義満の居住地つまり、義満が住むための家として建設されました

足利義満は、征夷大将軍を辞めたあと、それまで住んでいた京都の室町という場所にあった花の御所と呼ばれる豪邸を出てています。

そして、金閣寺へとお引越ししているのです。

足利義満の死後、金閣寺は義満の妻・日野康子ひのやすこの邸宅として利用されることとなります。

ところが義満の息子・足利義持あしかがよしもちは、広大な規模だった金閣寺を、現在も残っている金色の寺院を残して全て取り壊しています。

足利義持は、父である足利義満を嫌っていた、恨んでいたといわれています。

(義満はこの金ピカの建物で寝起きしていたわけではない)

足利義持
引用元ウィキペディアより

その後、金閣寺は室町幕府の最盛期に花開いた豪華絢爛ごうかけんらん北山文化きたやまぶんかの象徴と位置づけられていきます。

義満の孫にあたる室町幕府の八代将軍・足利義政あしかがよしまさは、金閣寺に何度も何度も足を運んでいます。

そして足利義政は、この金閣寺をモデルにして、京都・東山ひがしやまの地に銀閣寺ぎんかくじを建てたのです。

銀閣

銀閣寺が建てられて以降、豪華絢爛な北山文化から、質素でわびしく寂しい東山文化が栄えるようになるのです。

銀閣寺については、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。


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『金閣寺放火事件』について簡単に解説

現在の金閣寺は、1955年に再建されたものです。

実は金閣寺は、1950年に放火によって一度焼失しているのです。

この放火で、国宝だった足利義満坐像ざぞうが失われています。

犯人は、この寺の見習い僧侶だった林承賢はやししょうけんという、当時21歳の大学生。

「世間を騒がせたかった」

「社会に復讐したかった」

犯人はこのような犯行理由を証言したといいます。

しかし、誰もが納得できるハッキリした動機は口にしないまま、1956年に病死しています。

作家・三島由紀夫は、この金閣寺放火事件を題材にして、三島由紀夫の作品の中でも最高傑作とも呼ばれる小説「金閣寺」を出版しています。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,金閣寺を【建てた人】は誰?

金閣寺は、室町幕府三代将軍・足利義満が建てた。

 

2,金閣寺は【いつ】建てられたのか?

金閣寺は、1397年に建設が開始され、2年後の1399年に完成した。

 

3,金閣寺が建てられた【理由や目的】とは?

金閣寺は、足利義満の住まい・住居として建てられた。

義満は征夷大将軍を辞めたあと、それまで住んでいた花の御所から、金閣寺へ引っ越している。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。

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