天璋院・篤姫とは、何をした人なのか?
そして、どんな功績を残し、歴史に名を刻んだのでしょうか?
西郷隆盛と、恋人同士だったという噂をよくききますが・・・どういう関係だったのか?
この記事では史実上の「篤姫」について、解説いたします。
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どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
篤姫とは、どんな人?
「篤姫」・・・後に「天璋院」と呼ばれることになった「第13代徳川幕府将軍・徳川家定」の正室。
家定とは、「病弱」で有名だった幕末の将軍のことです。
篤姫は、名君との呼び声高かった鹿児島藩主「島津斉彬」の従姉妹にして、養女。
その後、名門・五摂家の一つ「近衛家」の養女となって、徳川家定に嫁入り。
動乱の幕末の時代をたくましく生き抜いた女性として有名です。
病弱だった家定との間に子供は産まれず、結婚後わずか1年9ヶ月で徳川家定は死去!
夫が亡くなったことで、剃髪し「天璋院」と号します。
家定は、紀州藩主「徳川家茂」を養子としてあとを継がせました。
「家茂」も、若くして病死してしまい、最期の徳川将軍「徳川慶喜」の代で、徳川幕府は崩壊。
その為、江戸城・大奥に住んでいた篤姫は、城を退去。
東京・千駄ヶ谷に住んで、徳川宗家の跡取り「徳川家達(いえさと)」を養育。
1883年(明治16年)・・・篤姫は「脳溢血」で亡くなりました。享年49歳(満年齢47歳)
20歳まで住んでいた故郷「薩摩」には、生涯帰ることはありませんでした。
「島津斉彬」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。
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篤姫は何をした人?
大河ドラマの主人公にまでなった女性「篤姫」
彼女は歴史上において、どんな功績を残した女性なのでしょうか?
調査してみましたが、何かしらの功績を残したとは、言えないかもしれません。
「名君・島津斉彬の従姉妹で、後に養女」
「五摂家筆頭・近衛家の養女」
「13代将軍・徳川家定の正室」
「14代将軍・徳川家茂の養母」
「家茂の妻で、孝明天皇の妹・和宮の姑」
などなど・・・。
肩書はたくさんありますが・・・功績は?というと、この時代の偉人たちに比べると、それほどでもありません。
あえて言えば、「戊辰戦争」の際に、篤姫は朝廷に「徳川家の救済」「徳川慶喜の助命」を嘆願しています。
更には、新政府軍の司令官で、篤姫の故郷・薩摩藩の藩士「西郷隆盛」に対して「徳川救済」を願い出ています。
これらの活動に効果があったのか・・・江戸城無血開城され、江戸の街は戦火を免れることとなりました。
その後、江戸城を出た「大奥・女中」たちの再就職に尽力。
江戸幕府の後始末を生涯かけて行った・・・とされています。
「徳川家定」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。
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西郷隆盛と付き合ってた?
2018年の大河ドラマ「西郷どん」にも登場する「篤姫」
演じるのは「北川景子」さん。
この大河ドラマの中で「西郷隆盛」に対し、篤姫が好意を抱くようなシーンがある・・とのこと・・・。
史実上・・・西郷隆盛と篤姫の間に、何かしらの関係はあったのでしょうか?
結論から言うと、なにかあった・・・とは考えにくいです。
篤姫の生まれは分家とはいえ、「薩摩藩主・島津家」
対して「西郷隆盛」は、島津家臣の下級武士出身。
関係があったどころか、会ったことも無いかもしれません。
大河ドラマ「篤姫」では、「宮崎あおい」さん演じる「篤姫」と、「瑛太」さん演じる島津家の家老「小松帯刀(こまつ・たてわき)」が、婚約していたという設定になっていました。
しかし、篤姫と小松帯刀にも、それらしい接点はありません。
ドラマを盛り上げるための創作です。
小松帯刀は、史実上「愛妻家」で知られており、「日本最初の新婚旅行」に行ったとされる「坂本龍馬」より10年も早く、妻「千賀」を栄之尾温泉に連れて行っています。
まぁ・・・愛妻家の割には「側室・琴子」がいましたけどね・・・小松帯刀・・・。
「西郷隆盛」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。
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まとめ
本日の記事をまとめますと
・篤姫とは、13代将軍「徳川家定」の妻
・「江戸城無血開城」を助け、「大奥」の女性たちの再就職を斡旋した
・西郷隆盛・小松帯刀との関係は、ドラマの創作
以上となります。
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「幕末の大老・井伊直弼」について、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。
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