江戸幕府がおこなった「鎖国(さこく)」とは、いったい何なのか、なぜ鎖国をしたのか、をわかりやすく解説いたします。
「鎖国とは、他国と交流しないこと」
オランダは、「プロテスタント」系というキリスト教でも「布教をしない宗派」だったため、貿易を許可されたのです。
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この記事を短く言うと
・【鎖国(さこく)】とは、他国との国交を断絶し、国を閉鎖すること
・「キリスト教カトリック」の布教を恐れた日本は、スペイン・ポルトガルなどの「カトリック諸国」との国交を断絶した
・オランダは布教を積極的に行わない「プロテスタント」系だったため、日本と貿易を続けた
鎖国とは何か?国を閉ざした理由を解説
『鎖国』とは、何のことなのでしょうか?
簡単に言ってしまうと、「鎖国」とは
「他国との交流を遮断し、自ら孤立すること」
です。
なぜ日本は「鎖国」政策を選択したのでしょうか?
キリスト教・・・・戦国時代、日本と貿易をしていた欧州諸国は、日本に対して「キリスト教」の布教活動も行っていました。
戦国時代の日本では「浄土真宗(一向宗)」などとの「宗教戦争」が泥沼化していたため、豊臣秀吉や徳川家康は、キリスト教などの宗教勢力が力をつけていくことを危険視。
鎖国の主な目的は「キリスト教などの宗教勢力の拡大を阻止し、宗教戦争を未然に防ぐこと」だったのです。
鎖国への誤解!当時、日本は最強国
日本が鎖国を行っていたのは、「江戸幕府三代将軍・徳川家光」の時代「1639年」の「ポルトガル船入港禁止」から、「1854年」ペリー来航による「日米和親条約」までの215年間・・・・。
「鎖国」は現代でいうところの「中立」と似ているかもしれません。
スイスのような「中立」について誤解されがちですが、「中立」とは「どちらの味方にもならない」という意味ではなく、「どちらに攻撃されても文句が言えない」という、言うなればすべての国に敵対的な態度をとっている状態です。
軍事大国・資源大国・・・・・・・現在の日本からは想像もできないかもしれませんが、「鎖国」が始まった戦国時代直後の日本は、刀鍛冶で鍛えあげられた製鉄技術を駆使して、高性能な「鉄砲」や「大筒」といった最新機器を備えた軍事大国でした。
そして「黄金の国・ジパング」と称されるほど、当時の日本は「金・銀」の産出量が豊かだったのです。
日本は長い戦国時代で鍛え抜かれた、当時としては珍しい「戦闘民族」と言っても良い、極めて強力な軍団をもっていました。
強大な軍事力と、豊富な資源・・・それが「鎖国・中立・孤立」という、国際的には危険な外交選択を可能としていたのです。
しかし幕末になると、世界では大航海時代を経て、航海術と造船技術が発達。
大型船が開発され、船に巨大な大砲を搭載することが可能となり、軍事技術は飛躍的に向上。
日本の軍事的優位は失われ、イギリス・フランス・ロシアなどの列強による圧力に加え、アメリカのような新興国の圧力にすら耐えられなくなった日本は、「日米和親条約」を締結して鎖国を終わらせることとなったのです。
なぜオランダとだけ貿易していたの?
オランダとだけ貿易・・・と申しましたが、当時の日本は「四口」と呼ばれた「四つの外国と交流する窓口」を持っていました。
- 「朝鮮への窓口・対馬」
- 「蝦夷アイヌとの窓口・松前(現在の北海道南部)」
- 「琉球との窓口・薩摩」
- 「オランダ・明と清(チャイナ)との窓口・長崎の出島」
そして、日本の最大の貿易相手国は「明」と「清」・・つまりチャイナだったわけですが、どうして日本は数多くある欧州諸国の中で「オランダ」を貿易相手国として選択したのでしょうか?
「プロテスタント」・・・・キリスト教において「カトリック」と対する宗派です。
この「プロテスタント」は「カトリック」と異なり、「布教を行わない」という特徴を持つ宗派なのです。
カトリックは
「神の教えを広め、それによって、一人でも多くの人を天国へ送る」
ことを使命としています。
しかし「プロテスタント」は
「神がつくった世界は完全無欠。天国へ行ける人も最初から決まっているので、布教しても意味がない」
という考え方をしているのです。
オランダは、そんな「布教の心配がないプロテスタント」の国でした。さらには、ポルトガルやイギリスのような大国でもありません。
オランダは「布教はせず、貿易のみ」と約束。貿易の利益と輸入品を必要としていた日本は、オランダを欧州で唯一の貿易相手国として選択したのです。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・鎖国とは、外国との国交を断絶すること。日本はキリスト教の布教を恐れ「鎖国政策」を選択した
・当時の日本は「軍事大国」で「資源大国」であったため、「鎖国政策」が可能だった
・オランダは、布教を必要としない「プロテスタント」の国だったため、日本と交易を行うことができた
以上となります。
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