今回のテーマは徳川家康です。
この記事では、徳川家康の辞世の句について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。
これを読めば、徳川家康の辞世の句の意味と、家康の優しさが理解できます。
徳川家康は、あとに残された家来たちの命を守るために、辞世の句を残したのです。
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この記事を短く言うと
徳川家康が残した辞世の句とは?
- 嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空
- 先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ
家康が残した辞世の句の意味とは?
- もう目覚めることはないと思ったが、また目覚めることができて嬉しい限りだ
- わたしは誰も殉死させたいとは思っていない。だれも後追い自殺なんかしてはいけないぞ
徳川家康が大切にしたものと、辞世の句の関係とは?
家康は、命を大切にした武将であったため、辞世の句を利用することで、殉死(後追い自殺)をしかねない部下たちの命を守ろうとした。
徳川家康が残した2つの【辞世の句】をご紹介
天下人・徳川家康は1616年に、73歳(数え75歳)で亡くなっています。
家康は、2つの辞世の句を残しています
嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ
死因は【胃がん】という説が最も有力です。
てんぷらを食べて食中毒で亡くなった説は、近年では否定されています。
→→→→→【徳川家康は真田幸村に暗殺された説】についてくわしくはこちら
徳川家康が残した辞世の句の意味をカンタンに解説いたします。
嬉やと二度覚めて一眠り浮世の夢は暁の空
嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空
もう再び目覚めることはないと思っていたら、嬉しいかな、また目覚めることができた。
この世でみる夢は、まるで夜明けの美しい空のようだ。
さぁ、もう一眠りするとしようかな
先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ
もう一つの句の意味は、以下の通りです。
先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ
たとえ先にあの世へ行こうとも、この世に残ることとなる者たちと、所詮は同じ世界にいるようなものだ。
遅かれ早かれ、人はだれでも死ぬのだから、あの世とこの世の違いなんて、ほとんどないのだよ。
たとえ私が死ぬとしても、誰一人として道連れにしようとは思わない。
さらばだ。
通常【辞世の句】というのは、いつ死んでも良いように、事前に用意しておくものといわれています。
しかし家康の場合、突発的な「戦死」が考えづらい状態でしたので、おそらく臨終間際に用意したものなのでしょう。
その内容は、床についた状態で記したものであることが、うかがいしれます。
家康は亡くなると、静岡の久能山に葬られ、その後、日光東照宮へと移されたといわれています。
家康が生涯で一番大切にしたものと【辞世の句】との関係がすごい
徳川家康は、生涯において人の命をもっとも大切にしていました。
厭離穢土・欣求浄土という言葉をご存知でしょうか?
この厭離穢土・欣求浄土とは、徳川家康が使用した旗印の言葉です。
地獄のようなこの世(穢土)を、極楽浄土に変えていこう
という意味になります。
家康は、戦国という地獄を、平和な極楽浄土に変えようとしていたのです。
そこで、家康が残した辞世の句の意味を考え直してみたいと思います。
先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ
この辞世の句は、当時流行していた殉死、つまり亡くなる主君のあとを追って切腹する後追い自殺を、かたく禁止した歌なのです。
だれも道連れにしようとは思わない。だれも後追い自殺なんかで、私のあとについてこようとしてはいけないぞ
という意味になるのです。
殉死は、有能な家臣を無駄に死なせてしまう行為でした。
しかし、忠義や忠誠心というものを重んじていた当時、殉死した家来の忠誠心を評価せざるをえないという事情もあったのです。
そのため、殉死した家来の相続人には、ある程度のご褒美があたえられていました。
このご褒美を目当てにして、殉死する家来がいたほどです。
家康が辞世の句に歌って、殉死を禁止した理由は、自分の後継者である徳川秀忠につかえるべき、有能な家来が、無駄に死ぬことを防ごうとしたのでしょう。
しかし、それだけだとは思えません。
厭離穢土
欣求浄土
この世を極楽浄土にしようとした徳川家康は、殉死という無駄死にを、放っておくことができたとは思えないのです。
家康は、自分の死によって失われかねない命を、守ろうとしたのではないでしょうか。
実は徳川家康という人は、戦死した人たちに対する供養も欠かさない、とても心根の優しい人だったといわれています。
家康は晩年、戦死していった兵士たちのために、南無阿弥陀仏という文字を写経し続けていたようです。
南無阿弥陀仏とは
「阿弥陀如来さまにすべてをお任せいたします」
という意味です。
家康は浄土宗の信者でしたが、浄土宗では「南無阿弥陀仏」と口にするだけで、極楽へ行くことができるといわれています。
亡くなった人々の代わりに、家康は南無阿弥陀仏と文字で書き、彼らが極楽へ行けるよう祈ったのでしょう。
話を戻します。
この辞世の句には、家康の優しさがあふれているのではないでしょうか。
ちなみに、厭離穢土・欣求浄土という言葉とは真逆の言葉を旗印にしていた勢力がいます。
一向宗の一揆勢力いわゆる一向一揆の人々です。
一向宗とは、現在の大阪城にあった石山本願寺を拠点とする宗教勢力のことです。
一向一揆の勢力は、農民を戦地へ送り込んで、徳川家康や織田信長のような戦国大名に戦いを挑んでいたのです。
彼らは
進めば極楽往生・退けば無限地獄
という旗印をつかっていたといいます。
これは
【敵に突撃すれば極楽へ行くことができる。
しかし逃げ出せば、永遠の地獄へと落ちるだろう】
という意味です。
ただ救われたいだけの弱い農民たちを、こうやって脅して戦争へと駆り出した一向宗に、徳川家康は怒ったことでしょう。
この極楽往生・無限地獄という旗印に対抗するために、家康は厭離穢土・欣求浄土という旗印を用いたといわれています。
「たとえ逃げても地獄に落ちることはない。
生きてこの世を極楽浄土のようにしようではないか」
と、家康は一向宗の門徒たちに伝えたかったのかもしれません。
→→→→→【徳川家康とはどんな人なのか】についてくわしくはこちら
まとめ
本日の記事をまとめますと
1,徳川家康が残した辞世の句は
嬉やと 再び覚めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空
先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ
2,この句の意味は
もう目覚めることはないと思ったが、また目覚めることができて嬉しい限りだ
わたしは誰も殉死させたいとは思っていない。だれも後追い自殺なんかしてはいけないぞ
3,家康は、命を大切にした武将であったため、辞世の句を利用することで、殉死(後追い自殺)をしかねない部下たちの命を守ろうとした。
以上となります。
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