姫路城を建てた人は誰なのか?歴代城主とその歴史をカンタン解説

名城「姫路城」を建てた人・作った人は誰なのか?わかりやすく解説いたします。

姫路城を最初に作ったのは「足利尊氏」とともに戦った猛将「赤松則村」の息子「赤松貞範」。

そして現在の美しく壮大な姫路城へと改修したのは、戦国大名「池田輝政」です。

築城から現代に至るまでの姫路城の歴史を、カンタンに解説させていただきます。


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この記事を短く言うと

  1. 現在の美しい「姫路城」は、「徳川家康」の娘婿「池田輝政」によってつくられた
  2. 「姫路城」は、「赤松貞範」から始まり「黒田官兵衛孝高」「羽柴秀吉」「池田輝政」らが、代々城主をつとめてきた
  3. 姫路城は、もともと「足利尊氏」の家来「赤松円心」の息子「赤松貞範」が築城し、「後醍醐天皇」の軍に対するための城だった
  4. 明治維新の際に、姫路城は、池田輝政の末裔「池田茂正」に攻め込まれ、戦果は免れたものの、戦わずして開城した

姫路城を建てた人は誰?今に残る名城を作った武将とは

岡山県姫路市にある世界遺産「姫路城」。その美しさと壮大さから「白鷺城(はくろじょう)」、または「しらさぎじょう」と呼ばれる名城。

《姫路城》
「引用元ウィキペディアより」

その「姫路城」は、一体だれが建てた代物なのでしょうか?

「池田輝政(いけだてるまさ)」・・・・戦国時代、「織田信長」の乳母をつとめた女性の息子「池田恒興」。織田信長と兄弟のようにして育ったのが「池田恒興」なわけですが、その「池田恒興」の息子が「池田輝政」。

《池田輝政》
「引用元ウィキペディアより」

現在、姫路市にそびえたち、世界遺産となっている「姫路城」をつくったのが、この「池田輝政」。

姫路城は、池田輝政が改築する約300年前、南北朝時代から存在していたお城ですが、今の美しい姿に改築したのは「輝政」公なのです


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池田輝政について、簡単解説

1582年、「織田信長」が「本能寺の変」で「明智光秀」に殺害されると、「池田輝政」の父「池田恒興」は、明智光秀を討ち果たした「羽柴秀吉」に接近。

1584年、「羽柴秀吉」と「池田恒興」は、「小牧・長久手の戦い」で「徳川家康」と戦うことになります。この戦いで、「池田恒興」は「家康」に敗れて戦死してしまうのです。

あとをついだ息子「池田輝政」は、秀吉の家来として活躍するものの、秀吉の死後は父のカタキであった「徳川家康」に接近。

家康は、自分の娘である「督姫」を「池田輝政」と結婚させ、輝政と婚姻関係を結ぶのでした。

その後、輝政は徳川幕府を支える重臣として活躍。徳川家も、輝政を信頼して領地を拡大させていき、最終的には「池田一族」あわせて100万石の大領を得るに至るのです。

池田輝政は、1613年に50歳で亡くなります。

池田家はその後、1868年の「明治維新」まで繁栄を続けていきます。


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姫路城の「歴代城主」一覧

姫路城の歴代城主を一覧でご紹介いたします。

 

1,赤松貞範

2,小寺頼季

3,小寺景治

4,小寺景重

5,小寺職治

6,山名持豊

7,赤松政則

8,小寺豊職

9,小寺政隆

10,小寺則職

11,八代道慶

12,黒田重隆

13,黒田職隆

14,黒田孝高(黒田官兵衛)

15,羽柴秀吉(豊臣秀吉)

16,羽柴秀長

17,木下家定

18,池田輝政

19,池田利隆

20,池田光政

21,本多忠政

22,本多政朝

23,本多政勝

24,松平忠明

25,松平忠弘

26,松平直基

27,松平直矩

28,榊原忠次

29,榊原政房

30,榊原政倫

31,松平直矩

32,本多忠国

33,本多忠孝

34,榊原政邦

35,榊原政祐

36,榊原政岑

37,榊原政純

38,松平明矩

39,松平朝矩

40,酒井忠恭

41,酒井忠以

42,酒井忠道

43,酒井忠実

44,酒井忠学

45,酒井忠宝

46,酒井忠顕

47,酒井忠惇

48,酒井忠邦


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姫路城は、山陽道をふさぐ要衝です。

西国から「薩摩藩」や「長州藩」などの外様大名が「徳川家」を滅ぼすために攻めこんでくるときに、それを防ぐ重要な軍事拠点なのです。

そのため、徳川幕府は「池田輝政」をはじめとして、この「姫路城」を「信頼できる大名」に常に治めさせていました。

例えばそれは家康の娘婿「池田輝政」であったり、徳川四天王「酒井家」「本多家」「榊原家」であったり、徳川家の分家「松平家」であったり。

これら信頼できる重臣たちによって守られた「姫路城」は、徳川幕府にとって、重要な守備の要だったのです。


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姫路城の歴史をカンタン解説

姫路城は「足利尊氏」とともに「鎌倉幕府」を倒し、その後「足利尊氏」の家来として「後醍醐天皇」や「新田義貞」と戦った猛将「赤松則村(赤松円心)」の息子「赤松貞範」が作った城です。

1346年、赤松貞範が「姫路城」を築城。

赤松貞範は姫路城をつくり、後醍醐天皇のひきいる「南朝方」との戦いに備えたのでした。

その後、姫路城は「小寺氏」「山名宗全」らに引き継がれ、戦国時代には「小寺氏」の家来「黒田一族」が城代を務めることとなります。

この黒田氏から秀吉の軍師となった「黒田官兵衛孝高」が誕生。官兵衛は「播磨国」の攻略を目指す織田家の重臣「羽柴秀吉」に姫路城を差し出して家来となります。

「姫路城」は一時期「秀吉」の本拠地となり、その後は秀吉の義弟「木下家定」が城主となります。

1600年関ヶ原の戦い」が勃発。関ヶ原での戦功により「池田輝政」が姫路城の城主として入城。現在の壮麗な姿へと改修されたのでした。

姫路城はその後、重要な地である理由から、「徳川の分家」「徳川四天王」などよって守られていきます。

1868年「明治維新」の際に、戊辰戦争で「池田輝政」の末裔「池田茂正」が「薩長・新政府軍」に味方して、姫路城を砲撃。

一触即発の事態となりますが、豪商「北風荘右衛門貞忠」が大金を使って戦争を止め、姫路城は新政府軍に明け渡され、戦火を免れたのでした。

太平洋戦争」の際に、焼夷弾による爆撃をうけるも、奇跡的に戦火をまぬがれ、姫路城は現在まで、その美しい姿をとどめているのです。


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『姫路城』と「徳川家」について「ひとこと」言いたい!

姫路城・・・・その美しさには、息をのむばかりです。筆者も一度いったことがあるのですが、その壮大さ壮麗さは、他の城郭にはない風格を兼ね備えていたように感じられました。

この姫路城、池田輝政が巨大な城に改築したわけですが、どうしてこれほどまでに巨大な城に改築されたのか?

1600年の「関ヶ原の戦い」で、徳川家康ひきいる「東軍」に属した「豊臣家」の大名たちは、家康によって「九州」「中国」などの西国へと追いやられました。

それら西国大名たちは、徳川家を裏切り、仇なす可能性があったのです。

そのため、これら「西国大名」が、徳川家の本拠地である江戸城へ向かう前に、その進軍を防ぐ必要があったのです。

家康や徳川秀忠は、西国大名たちが江戸へ攻め込んでくることを阻止するために、あらゆることをやっています。

「姫路城を改修し、そこに信頼できる大名を込める」

姫路の東に位置する滋賀県の彦根城に、もっとも信頼していた徳川四天王・井伊直政の井伊家をおく」

「紀州藩に、秀忠の弟・徳川頼宣をおく」

「東海道の入り口である名古屋に、秀忠の弟・徳川義直をおく」

などなど。

しかし、徳川・旧幕府軍が「鳥羽伏見の戦い」で薩長・新政府軍に敗北すると、頼りにしていた「井伊家」も「尾張徳川家」も、徳川家を裏切ることになります。

姫路城を作った「池田輝政」の末裔である「池田茂正」ですらも、新政府側につく有様でした。

圧倒的な強さを誇っていた大名たちを、「姫路」「彦根」「名古屋」などの要衝に込めたことが、かえって仇となったのです。

豊臣秀吉は、徳川家康が大阪へ攻め込んでくることを恐れ、家康を関東へ移動させ、東海道に福島正則や山内一豊ら、自分が信頼していた大名たちを次々と配置しました。

しかし「関ヶ原の戦い」で、これら東海道の大名たちは、ことごとく「家康」につき、秀吉の配慮はかえって仇となってしまうのです。

徳川家は、関ヶ原の戦いから268年後の「戊辰戦争」で、まったく同じ目にあったというわけですね。

九州・中国地方から、江戸までの街道を、強力な大名でかためたものの、それらの大名が裏切ったことで、手も足も出ないまま「江戸城無血開城」まで追い込まれるとは・・・・歴史の皮肉を感じずにはいられません。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 現在の姫路城は、徳川家康の娘婿である「池田輝政」が築城した
  2. 姫路城は、赤松貞範が築城し、その後、「黒田官兵衛」「羽柴秀吉」「池田輝政」などが治め、戦火を免れて現在に至っている
  3. 江戸時代の姫路城は、もともと「西国の外様大名」を防ぐ目的で、巨大な城郭としてつくられた。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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