「大老」。幕末に「井伊直弼」が就任していた役職「大老」とは何かを、わかりやすく解説いたします。
当時の「徳川幕府」で、最高の役職は「征夷大将軍」ですが、将軍は徳川家の人しかなれない役職でした。
一般人の最高職は「老中」。
「大老」は、その「老中」をも超える、「臨時の最高職」だったのです。
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この記事を短く言うと
・「大老」とは、江戸幕府最高の職である「老中」の上に位置する臨時職
・「大老」の仕事は、征夷大将軍にたいしてのアドバイス
・豊臣秀吉の政権における「大老」と、江戸幕府の「大老」は、その職務が異なる
大老とは、そもそも何のこと?どういう役職?
大老・・・あの「井伊直弼」で有名ですよね。
さて、その大老って、そもそも何のことなのでしょうか?
大老とは、江戸幕府という行政機関に設けられていた「最高の階級」のことです。それも、常に置かれていた職ではなく、臨時職。
元々幕府は、「征夷大将軍」をトップとして政治を行う機関。
その征夷大将軍を補佐するのが、老中・・・つまり、実質的に出世することができる限界は「老中」までということになります。
ちなみに、征夷大将軍を今でいうところの「内閣総理大臣」とするならば、「老中」は内閣の「閣僚」・・・といったところでしょうか。(正確に言えば、老中は月ごとに交代制の「月番老中制」でしたので、閣僚と一概には言えませんが・・・。)
しかし大老は、その老中よりも上に位置する最高の階級・・・。
特に将軍の新任厚い人間しか、大老には就任できませんでした
「大老四家」とは
3代将軍「徳川家光」の時代に大老となった「土井利勝」・・・。
土井利勝は実は徳川家康の隠し子・・と言われていた人物です。
4代将軍「徳川家綱」の時代「保科正之」が、実質大老として扱われました。
この保科正之・・・「徳川秀忠」の隠し子でした。
ちなみに保科正之は、正式には「大老」になっていないものの、大老と同等の扱いを受けています。
大老という職がどれほど特別か・・・実は、限られた名門の家出身者しか成ることが出来なかったのです。
「大老四家」と呼ばれる徳川家の名門家臣からしか、大老になれないシステムがありました。
大老職につけるのは、譜代大名「井伊家」「酒井家」「土井家」、そして外様ながら絶対権力者「春日局」による支援を受けた「堀田家」の四家のみ。
かなり特別な存在しか、就任が許されない職だったのです。
大老のお仕事とは?
その大老が行うお仕事とは、一体何なのでしょうか?
大老の主なお仕事は「アドバイス」・・・まだ若い将軍様に対して、経験豊富な「大老」が政治その他について、助言することがお仕事とされています。
とはいえ、全ての大老達が、仕事として助言をしていたというわけではなく、「名誉職」として大老に就任した人もいました。
それまで老中として辣腕を振るっていた「土井利勝」を、「大老」に就任させて激務から開放してあげた・・・という話もあるほどです。
それに対して幕末に大老職についた「井伊直弼」は、アドバイザーや名誉職としてではなく、自らに権力を集中して、執政を行ったことで有名です。
大老・・・時代やその時の政治状況によって、求められる職務が異なっているようですね。
井伊直弼が大老を務めていた時代・・・将軍職にいたのは「イモ公方」と呼ばれた「徳川家定」
押し込め・・・つまり家臣からの強制退場寸前のバカ殿様「徳川家定」・・・そのときに大老を務めていたのが井伊直弼なわけですから、将軍の補佐ではなく、代理という立場だったのです。
権力を集中しすぎて、独裁的になり、恨みを買ってしまった大老「井伊直弼」・・・最期は「桜田門外の変」で襲撃を受けて殺害されてしまったのでした。
「桜田門外の変」について、よろしければ以下のリンク記事もご利用くださいませ
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豊臣秀吉の家臣『大老』と、徳川幕府「大老」の違い
ところで「大老」といえば、「徳川幕府」だけではなく、「豊臣政権」にも「大老」と呼ばれた人達がいましたよね。
「徳川家康」「前田利家」を筆頭に、「毛利輝元」「上杉景勝」「宇喜多秀家」「小早川隆景」
この「小早川隆景」が亡くなった後、「五大老」と呼ばれる様になりました。
さて、この豊臣政権における「五大老」と、徳川幕府における「大老」とでは、何が異なっているのでしょうか?
もちろん、そのお仕事の内容が異なります。
先程申しましたように、德川幕府における大老の主なお仕事は「アドバイス」・・・たまに「独裁」・・。
対して豊臣政権における「大老」は、「浅野長政」『石田三成』「増田長盛」「長束正家」「前田玄以」達「五奉行」と合議の上で政治を行っていました。
つまり、豊臣政権における「大老」は、今で言うところの内閣の「閣僚」・・・徳川幕府で言うところの「老中」のお仕事を務めていたのです。
更に、江戸幕府における「大老」はあくまでも臨時職でしたから、豊臣政権における常に置かれているポストではありませんでした。
アドバイザーであった江戸幕府「大老」と、実権を持っていた「五大老」・・・名前は同じでも、質が異なっていたのです。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・大老とは、行政担当の「老中」より上に位置する臨時職
・大老の主な仕事は「アドバイス」、しかし時には、権力を集中させる者もいた
・豊臣政権における『大老』は、実権を持つ言わば閣僚。江戸幕府の「大老」は、アドバイザー
以上となります。
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