幕末にアメリカへ渡った日本人・ジョン万次郎
2018年の大河ドラマ【西郷どん】で、【劇団ひとり】氏が演じ、【LOVEじゃき】の名台詞で話題になったジョン万次郎
彼の英語発音や覚え方がすごい!
そして彼が作った教科書もすごかった!
歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
この記事を短く言うと
- ジョン万次郎は、漁の途中に漂流し、捕鯨船に救助されてそのままアメリカへわたった
- アメリカで数年を過ごしたのち、万次郎は帰国。薩摩藩主島津斉彬にむかえられた
- 彼の英語学習方法は、聞いて真似るという方法だったと考えられる。現在日本の学校で行われている読む書くを重視する勉強法よりも会話を重視した学習方法だったため、より早くしゃべれるようになった。
- 万次郎の教科書は、COOLを【こーる】、WATERを【わら】と、真似しやすいように発音を似た日本語に言い換えるものだった
ジョン万次郎とは何者?名前は本名なの?
ジョン万次郎とは何者なの?
ジョン万次郎
1827年、幕末の日本・土佐で生まれた人物です。
彼の功績を簡単に言ってしまうと、鎖国された江戸幕府・日本から、偶然アメリカに渡った万次郎は、アメリカの最新知識を学んで日本へ帰国。その後、日米和親条約や明治の礎を築く手助けをしたのでした。
意外な方法で渡米に成功
彼は、土佐国・現在の高知県で漁師の家に生まれました。
貧しかったため、読み書きが出来ず、幼い頃から漁師として仕事をして、家計を支えていました。
14歳の頃、4人の漁師仲間と共に海で遭難。
漂着した伊豆諸島の無人島で約5ヶ月生活したのですが、そのときに、偶然アメリカの捕鯨船ジョン・ハラウンド号が、5人を救助。
鎖国している日本に送り届けることも出来ず、ジョン・ハラウンド号は、ハワイへ寄港。
4人はハワイでおろされましたが、万次郎は船長に気に入られて、アメリカ本土へ。
彼はジョン・ハラウンド号の船長に気に入られ、船長の養子となります。
万次郎はその後、アメリカでオックスフォード学校やバーレットアカデミーに入学、英語や数学のみならず、測量に航海術に造船術も学び、なんと主席で卒業。
その後、万次郎はゴールドラッシュを利用して金採掘で資金を稼ぎ、それを使ってハワイに置いてきた仲間と合流。
上海行きの船に、仲間や小舟アドベンチャー号と共に乗船して帰国へ。
1851年、彼は琉球に上陸し、即座に薩摩へと送られました。
万次郎は薩摩藩で取り調べを受けたわけですが、そのときに万次郎に興味を示したのが、名君の誉れ高き島津斉彬
斉彬は、万次郎の造船術や航海術を高く評価し、彼を厚遇。
その後、万次郎は長崎から土佐へ帰国。
実に11年ぶりに故郷・土佐へ戻ることに成功したのです。
帰国後の活躍
帰国後、万次郎は侍に取り立てられ、土佐藩校の教授に任命
岩崎弥太郎などを指導し、坂本龍馬とも面識があったと言われています。
幕末という時代に鎖国していた日本では、万次郎のような国際感覚を備えた人材は貴重でした。
その為、1853年に黒船が来航した際、徳川幕府は万次郎を旗本・・・つまり幕府直属の部下に大抜擢。
これは、当時の士農工商の身分社会において、異例の抜擢でした。漁師から幕府直臣となったのですから。
万次郎は、中濱の苗字を与えられ、造船などの後進育成にあたりながらも、日米和親条約締結の際には、アドバイスも行っています。
その後、日米修好通商条約の批准書をアメリカに届けるため、勝海舟とともに咸臨丸で渡米。
船長・勝海舟にかわって、実質・船長として船を指揮。
この時、福沢諭吉とともに、アメリカで英語辞書を買って帰国した事は有名です。
その後も、軍艦操練所の教授を務めたり、土佐藩校の教授などに就任。
1869年・明治2年には現在の東京大学の英語教授に就任しました。
万次郎はその後も後進育成に力を注ぎ、1898年・明治31年に72歳で亡くなっています。
墓所は東京・雑司ヶ谷霊園。
偶然の遭難から渡米することとなった万次郎。幕末から明治にかけて、後進育成に力を注いだ彼は、後世まで名を残す偉人となったわけです。
ジョン万次郎という名前は本名?
結論から言えば、ジョン万次郎という名前は、彼の本名ではありません。
あくまでも彼の本名は中濱万次郎です
ジョン万次郎という名前は、【1938年(昭和13年)】の直木賞作品【ジョン萬次郎漂流記】で使われたあだ名です。
|
ちなみに万次郎は、渡米した際の船ジョン・ハラウンド号の名にちなんで、ジョン・マンと船員たちからあだ名を付けられていたみたいです。
彼をジョン万次郎と呼んだ日本人は、当時一人もいなかったのではないでしょうか。
ちなみにこの【ジョン万次郎漂流記】、とてもおもしろかったです。
ジョン万次郎の英語の覚え方とは?
万次郎は、読み書きが、全くできませんでした。
にも関わらず、オックスフォードなどで勉強に努め、首席で卒業しています。
どうやって英語を覚えたのか?
万次郎は日本語の読み書きができない上に、相手は日本語がわからないアメリカ人。
どうやって学んだのか、不思議です・・・と言いたいところですが、答えは極めて単純だと思います。
彼は、日本語を学んだ方法と全く同じ方法で英語を学んだ、のではないでしょうか。
つまり【聞く・真似る】を繰り返して身につけたのではないでしょうか。
例えば、【トイレに行きたい】という言葉を英語で耳にしたとしましょう。
その【トイレに行きたい】という言葉を口にしていた人間は、ほぼ全員が、その言葉を口にした直後にトイレへ直行するはず。
それをみた万次郎は、おそらく
あの言葉は、『トイレに行きたい』という意味なんだ
と閃いたことでしょう。
つまり、赤ん坊が言葉を覚えるように、万次郎は英語を耳で聞き、口で真似して覚えていったのでしょう。
これならば、日本語の読み書きが出来なくても、ましてや通訳や教師がいなくても、英語を身につけることができるはず。
「日本語を学んだ原点に立ち返った」
それが万次郎の英語学習法だったのではないでしょうか。
彼が作った教科書が面白い
万次郎は、帰国後に英語教授として後進育成に励みました。
彼が作った教科書や、採用した教育方法が、極めて面白いものだったと言われています。
彼は英語を耳で聞き、それをそのまま発音していたため、現在のような発音記号などを利用していませんでした。
例えば
- COOLは【こーる】
- WATERは【わら】
- SUNDAYは【さんれぃ】
- 【にゅうよぅ】は、NEW YORK
のように、耳で聞いた音を、そのまま自分の口で再現する・・・・・これらの文字をそのまま教科書に表記して、繰り返し練習させる・・という方法で、後身を育成していたみたいですね。
万次郎の英語学習方法は、現在の英会話教室でも採用されているのだとか。
噂によると【ABCの歌】を日本へ持ち込んだのは、ジョン万次郎だとも言われています。
そんな英語教育の元祖だった万次郎・・・・長い日本での生活は、彼から英語能力を奪ったらしく、晩年は英語が話せなくなっていたようです。
今ならば、世界中どこにいてもテレビやラジオ、DVDなどで日本語や英語に触れる機会があるので、言語を忘れるなんてことはないでしょう。
しかし、英語と触れる機会が乏しい明治の日本でなら、それもあり得るはず。
それでも彼の教育方法は現在でも利用されています。
もしかしたら、現在日本で行われている英語教育よりも、万次郎式英会話のほうが、英会話能力が磨かれるかもしれませんね。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- ジョン万次郎は、漂流しているところを捕鯨船に助けられ、図らずも渡米を果たした
- 彼の英語学習方法は、赤ん坊と同じく、聞く・真似るというものだった
- 万次郎が作成した教科書は、英語発音をそのまま日本語表記したもので、英会話能力向上にとても役立っていたらしい
以上となります。
本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。
ありがとうございました
もしよろしければ、以下のリンク記事もお役立てくださいませ
↓↓↓↓↓
コメント
コメント一覧 (2件)
突然の投稿ですが、教えて下さい
万次郎の英会話本のタイトルとどこで購入できるかおしえてください。
とても興味深い解説でした。是非、読み見したいです。
この度は当サイトへお越しくださいましてありがとうございます。
また、貴重なコメントを頂きましたことも感謝申し上げます。
お返事が遅くなり申し訳ありません。
ジョン万次郎の英会話については、乾隆さんという方の著書「ジョン万次郎の英会話」という本があります。
Amazonや楽天で購入することができます。
https://www.amazon.co.jp/ジョン万次郎の英会話-Jリサーチ出版-乾-隆-ebook/dp/B0836GZVLD
もしよろしければ、また当サイトへお越しくださいましたら嬉しく存じます。
ありがとうございました。
失礼致します。