歴史の授業でも聞いたことがある「生麦事件」とは、いったいどんな事件だったのでしょうか?
薩摩戦争に発展してしまった原因は何だったのか?
生麦事件とは、当時の日本に定められていた法律に違反したイギリス人を、薩摩藩士が惨殺した事件。それに怒ったイギリスの軍艦が、薩摩藩にやり返したのが「薩英戦争」だったのです。
「生麦事件」について、簡単に理解できるように、この記事でわかりやすく短く解説いたします。
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この記事を短く言うと
・「生麦事件」とは、現在の神奈川県にあった「生麦村」で起こった「イギリス人を殺害したり傷つけたりした事件」のこと
・事件現場である「神奈川県横浜市鶴見区」には、現在「碑」が建てられている。
・生麦事件に怒ったイギリスは、薩摩藩に「賠償金」と「犯人引き渡し」を求めるが、薩摩はこれを拒否し、「薩英戦争」が起こった
「生麦事件」とは何か、事件の詳細を解説
1862年8月21日
『生麦事件』
『生麦事件』とは、幕末、武蔵国生麦村(現在の横浜市鶴見区)で、薩摩藩・島津久光の大名行列を横切ったイギリス人を、薩摩藩士が無礼だとして斬り殺し、外交問題に発展した事件です。
外国人を斬り殺した犯人は、奈良原喜左衛門と有村俊斎(海江田信義)(諸説あり)
被害者は外国人は生糸商人のウィリアム・マーシャルと、義理の妹であるマーガレット、アメリカのハード商会社員のクラーク、上海の商人のチャールズ・レノックス・リチャードソンの4名。
このうち「チャールズ・レノックス・リチャードソン」が死亡。
「マーシャル」と「クラーク」は負傷。
彼らは外国人が自由に旅行していい区域の中にある「川崎大師」に向かう途中、薩摩の行列と出会います。
大名行列の前を横切ってはいけない、頭を下げる、というルールを知らなかったため、馬に乗ったまま行列の前を横切ってしまい、無礼だと斬り付けられたのです。
とはいえ、いきなり斬りつけたわけではなく、薩摩藩士たちは身振り手振りで何とかそのことを伝えようと努力します。
それを理解できなかった彼らは、結局斬りつけられることとなってしまうのです。
事件現場は現在、どうなっているの?
現在の神奈川県横浜市鶴見区に、生麦事件が起きた「生麦村」はありました。
有村俊斎がリチャードソンにトドメを刺さしたと言われる場所には、石碑が建てられています。
キリンビール横浜工場の目の前に、石碑は建てられています。
国内法では合法であった事件ですが、この問題は国際問題に発展。
世界最強国「大英帝国」を怒らせることとなります。
「生麦事件」から「薩英戦争」までの経緯
自国の国民を斬り殺されたイギリスは、実力報復を主張。
イギリス代理公使ニールは、外交交渉による解決を図り、幕府に対して10万ポンドの賠償金と正式な謝罪を。薩摩藩には2万5千ポンドの賠償金と犯人の引き渡し、犯人の処罰を要求しました。
5月、幕府はこれに応じますが、薩摩藩は拒否。架空の藩士をでっちあげ、犯人をすり替えます。
この対応に怒ったイギリスは薩摩に7隻の艦隊を派遣し、薩摩藩との直接交渉を試みますが、薩摩藩はやはり交渉を拒否。
そして、7月に薩英戦争が勃発。
戦争に敗北し、鹿児島の街を焼き払われた薩摩藩は、最終的に英国に対して賠償金を支払い、「軍艦購入」などの取引を行い、接近することとなるのです。
「生麦事件」について「ひとこと」いいたい
英国人を斬りつけるなんて、当時の日本は、なんて野蛮だったのだろうか!
現代日本人の感覚からすると、そのように感じられてしまいます。しかし、ここで想像してほしいのですが、当時の感覚では、この事件・・・・そんなにひどい事件だったのでしょうか?
松平春嶽・・・・「幕末四賢侯」の一人に数えられる、とても賢いお殿様。
その松平春嶽は、薩摩藩が起こした生麦事件について、薩摩を擁護しています。なぜなら、この事件は「日本国内の法律では合法」だったからです。
大名行列を横切ったほうが悪い。それが当時の日本では当たり前の価値観でした。
この薩摩藩の行為を、当時の日本国民の大多数は賞賛。さすが薩摩の国父さま、と久光を評価します。
その後、生麦事件をきっかけに「薩英戦争」が起こるわけですが、当時世界最強国の「英国」対「薩摩藩」
今でいうなら「覇権国・アメリカ合衆国」VS「鹿児島県」
西欧列強の恐ろしさを知らない薩摩藩は、その無知を思い知ることとなるのです。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・生麦事件は、島津久光の行列を横切ったイギリス人を、薩摩藩士が無礼だとして斬り殺し、外交問題に発展した事件です。
・生麦事件が起こった生麦村は、神奈川県横浜市の鶴見区で現在石碑が建っている。
・怒ったイギリスの要望を薩摩藩が拒否し、薩摩戦争に発展していく。
なんとなく名前は知ってはいる歴史上の事件「生麦事件」。
ルールや習慣の違いから、大きな戦争につながっていたのですね。
以上です。
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