戦国史上最大の激戦とも言われる「(第四次)川中島の戦い」
名将・武田信玄と、軍神・上杉謙信の激闘・・・真の勝者はどっち?
「一騎打ち」の伝説や、「敵に塩を送る」の故事は、全てデタラメ・嘘だった?
歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。
拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
この記事を短く言うと
・「川中島の戦い」は、双方ともに戦争目的を果たしているが、武田軍のほうが被害は大きかった
・武田信玄と上杉謙信の一騎打ちは、後世の創作
・「敵に塩を送る」という美談も、後世の創作
「第四次・川中島の戦い」勝者は?
1561年「第四次・川中島の戦い」の勝者は、信玄と謙信どちらだったのか?
世間では「引き分け」と言われています。
結論から言うと「どっちが勝者なのか、はっきりわからない」となってしまいます。
どういうことかというと、「勝利と判断するための条件次第で、どっちが勝利したのかが変化してしまう」からです。
被害が大きかったのは「武田信玄」
「戦争で負った被害が大きかった」のは、「武田信玄」のほうです。
名将との評価が高い実弟「武田信繁」を戦死させ、上杉軍よりも1000名弱ほど戦死者数も上。
武田軍は「信繁」以外にも、「山本勘助」などの名将や一門衆を次々失っています。
対して上杉軍は、主だった武将のほとんどが生き残っています。
「武田信玄」も「上杉謙信」も、ともに戦争目的を果たしていた!
「武田信玄」も「上杉謙信」も、ともに戦争目的を果たしたと言えるかもしれません。
この「川中島の戦い」での、信玄と謙信が目指していた目的は、微妙に異なっています。
「武田信玄」の目的は、「領土」・・・信濃の国を制圧するため、最後に残った「川中島」周辺を支配することが目的
対して「上杉謙信」の目的は、「悪人・武田信玄」を懲らしめること。
後に信玄が亡くなった時、謙信は持っていたお椀を投げ打ち、ライバルの死を号泣して悲しんだという逸話がありますが、それは後世の創作。
謙信は、他国侵略を繰り返す武田信玄を毛嫌いしていたという説があります。
川中島の戦いで、弟「武田信繁」を失った信玄は、その後「上杉謙信」と正面から戦うことを徹底的に避け、侵略先を南の「駿河国」へ変更。
謙信からすれば、悪人・信玄を懲らしめたのだから、「勝った」と認識していてもおかしくありません。
対して「武田信玄」・・実はこの「第四次・川中島の戦い」前後で、既に目的としていた川中島周辺地域を支配していたのだとか。
そのため、領地を拡大した信玄もまた「勝った」と認識していたかもしれません。
「信玄と謙信の一騎打ち」は後世の創作?
「第四次・川中島の戦い」では、武田信玄と上杉謙信が「一騎打ち」をしたと言われています。
日本の戦国時代に、トップ同士の一騎打ちは非常に珍しいです。
長野県にある「川中島古戦場史跡公園」には、信玄と謙信の一騎打ちを模した像が建てられているほど、このエピソードは有名です。
三度刀を振り下ろした上杉謙信・・・。
軍配でそれを受け止めた武田信玄。
軍配には、8つの傷が残っていた・・・。
しかし、実はこの一騎打ちのエピソードは後世の創作。
謙信が前線に立って刀を振るって戦ったのは事実ですが、実際に武田信玄に切りかかったのは「荒川伊豆守」という武将。
または「上杉謙信の影武者」が切りかかったという説もあります。
見た目が上杉謙信にそっくりな武将が、信玄に切りかかったので、周囲の人は勘違いしたのかもしれません。
「敵に塩を送る」は嘘だった!
上杉謙信といえば、「敵に塩を送る」で有名です。敵の弱みに漬け込むようなことをせず、苦境にある敵でも助ける・・・「敵に塩を送る」。
今川・北条・武田の三国で結ばれた「三国同盟」
この同盟を、武田信玄は一方的に破棄。
それに怒った「今川氏真」と「北条氏康」の2人が、塩が取れない内陸国「甲斐」へ「塩」の禁輸措置を発動。
困った信玄に対して、宿敵・上杉謙信が大量の塩をプレゼント。
「私は塩の禁輸なんて卑怯な真似はせず、正々堂々と貴様と戦う。
領民には罪はないので、塩を送ろう」
信玄はお礼に、「福岡一文字・弘口」という名刀を謙信にプレゼント。この刀は重要文化財に指定されています。
実際には「積極的に塩を贈った」のではなく、「上杉謙信は、塩の禁輸措置を取らなかっただけ」だそうです。
上杉謙信、実はかなりの商売上手。
青苧(あおそ)と呼ばれる織物の素材で財を成し、おかげで当時の越後領民は「生活水準」が劇的に向上。
上杉家では当時、金がかかる戦争のため、軍資金がいくらあっても足りない状態でした。
謙信は、甲斐国での「塩の不当な値上げ」を禁じていたそうですが、それでも大嫌いな信玄を助けようとしたのではなく、ただ「ビジネスチャンス」と捉えて資金を手にしようとしていただけなのではないでしょうか。
「福岡一文字」は、「塩を贈ってくれた」ことへのお礼・・ではなく、「禁輸措置を取らなかったこと」へのお礼なのでしょう。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・「第四次・川中島の戦い」は、どちらも戦争目的を達しているが、「武田軍」のほうが被害は大きかった
・信玄と謙信の一騎打ちは、後世の創作
・「敵に塩を送る」というのも、実際には「積極的に贈った」のではなく、「禁輸措置を取らなかった」だけ
以上となります。
本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。
ありがとうございました
『武田信玄』関連記事
よろしければ、以下のリンク記事も、お役立てくださいませ。
コメント