今川氏真の最期とは?妻・早川殿との子孫はあの有名人で現在も大活躍

名門・今川家の道楽息子「今川氏真」。「桶狭間の戦い」で「織田信長」に討ち取られた「今川義元」の嫡男

名将「武田信玄」や「北条氏康」と渡り合った「義元」の息子、その最期は穏やかなものだった

妻「早川殿」との子孫は、「忠臣蔵」で有名な「吉良上野介」。平成の現代でも、今川氏真の子孫が大活躍していた!

この記事では、「今川氏真」について詳しく解説いたします。


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この記事を短く言うと

・今川氏真の最期は江戸。1615年。徳川家康が豊臣秀頼を滅ぼした年に亡くなった。

・忠臣蔵で有名な敵役「吉良上野介義央」は、今川氏真の子孫

・名君「上杉鷹山」や宇宙工学者「上杉邦憲」博士も、氏真の血を引いている


今川氏真の最期

1560年の「桶狭間の戦い」で「織田信長」に敗北した武将「今川義元」

その今川義元の息子が「今川氏真」

今川氏真について簡単解説

今川氏真は、今川義元の長男。

幼名は龍王丸。

1560年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に敗れ、戦死。

その時から今川家の家督を相続したのです。

しかし、今川氏真は武将としての能力に乏しく「蹴鞠」や「和歌」などに没頭。

政務を顧みなかったと言われています。

そのため武田信玄徳川家康の攻撃にさらされ、1568年「駿河侵攻」を受けます。

氏真の家臣団からは裏切り者が相次ぎ、全く太刀打ちできずに、氏真は敗走。

その後、朝比奈泰朝の守る「掛川城」へ逃亡。

妻の「早川殿」は、氏真において行かれ、輿も用意してもらえず、徒歩で掛川城へ逃亡。

その後、掛川城は家康との講和で開城し、氏真は妻の実家「北条家」にて世話になることに・・・。

後に氏真は家康と講和して、浜松城に移り住むことになります。

その後は家康に仕え、徳川幕府でも一定の地位を与えられたと言われています。


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今川氏真の最期とは?

1615年12月28日、江戸で亡くなりました。

享年77歳。

1615年は、大阪夏の陣が終わり、戦国時代の終幕の年。

家康はこの翌年に亡くなっており、戦国の終わりと同時に、家康に先立って亡くなったこととなります。

この2年前の1613年、妻で、北条氏康の娘「早川殿」が江戸で亡くなっています。

平穏無事な最期だったと考えられます。

墓は現在の「東京都杉並区今川二丁目」にある「観泉寺」にあります。

子供たちは、二代将軍・徳川秀忠に仕え、氏真の孫・範英は「高家今川家」の初代当主となり、明治まで続くこととなりました。

今川家は明治維新の際の当主「今川範叙(のりのぶ)」を最期に、実質断絶しています。


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子孫はあの有名人

今川氏真の子孫・・・あの有名人がいます。

忠臣蔵のあの人が、氏真の子孫

今川氏真と早川殿の娘が、家康の従兄弟「吉良義貞」に嫁いでいます。

この吉良家から、「忠臣蔵」で有名な「吉良上野介」が生まれているのです。

吉良上野介義央といえば、浅野内匠頭からいきなり切りつけられ、法を遵守して刀を抜かずに耐え忍んだら、いきなり赤穂浪士に討ち入られてなくなってしまったという不運なお方。

浅野内匠頭に対し、嫌がらせをしていたという説もあります。

一部では、「名君だった」という同情的な見方もあるようですが・・・どういう人間だったのかは、定かではありません。

ケネディ大統領が尊敬した名君も、氏真の子孫?

吉良上野介の息子は、妻の実家である米沢上杉家に養子に出されて、米沢四代藩主「上杉綱憲」となっているため、「今川」の名前は継いでいませんが、一応血縁としては、上杉家の当主たちもまた、今川氏真の子孫ということになります。

ジョン・F・ケネディが尊敬していたという名君・米沢藩九代藩主「上杉鷹山」は、吉良上野介義央の玄孫なので、「上杉鷹山」もまた、今川氏真の血を引いていることになります。

案外と、色んな人と血が繋がっていたのですね今川氏真・・・。

おそらくですが、能力が乏しかったからこそ、誰も今川氏真のことを警戒しなかったのでしょう。

「暗愚」であることは最高の生き残り術なのかも・・・・。織田信長の次男「信雄」もまた、暗愚で有名だったため、後世まで生き残っていますしね。


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平成の現代でも、氏真の子孫が活躍中!

氏真の血が、上杉家に引き継がれていることは、分かりましたが、どうやらその縁は現代まで続いているようです。

宇宙工学者の「上杉邦憲」さんは、上杉家の32代目当主。

上杉謙信から数えると17代目、米沢藩初代藩主「上杉景勝」から数えると16代目当主。

上杉博士といえば、惑星探査機「はやぶさ」で一躍有名になった東大卒の学者さんですよね。

他にも血縁としては「徳川吉宗」「島津義弘」「北条氏康」など、名だたる方々と繋がりがありますね。

上杉博士の奥様はなんと「徳川家」の末裔だそうで、奥様の叔父「徳川恒孝」さんは、現在の徳川家当主です。

流石に名門だけあって、名門と繋がりがあるものなんですね。

ちなみに「徳川恒孝」さん・・・・2011年の「家康公シンポジウム」に登場し、同じく招待されていた「徳川四天王」の末裔たちと交流したみたいですね。


徳川四天王の末裔・子孫」について、詳しくは以下のリンク記事を、よろしければご利用下さいませ。

↓↓↓↓↓↓

「本多忠勝の子孫は現在も続いてる?家系図を現代まで紐解いてみた」の記事はコチラ

徳川四天王・最強」について、詳しくは以下のリンク記事を、よろしければご利用下さいませ。

↓↓↓↓↓↓

「徳川四天王で最強は誰?本多正信が含まれなかった2つの理由」の記事はコチラ

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まとめ

本日の記事をまとめますと

・今川氏真は、戦国時代の終わりに江戸で最期を迎えた。穏やかな最期だったと予想される

・子孫には「吉良上野介義央」や「上杉鷹山」などがいる

・平成の現代でも「上杉邦憲」博士など、有能な子孫が活躍している

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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