武田信玄が城を持たない理由を解説!山梨県内・城跡の名前一覧!

武田信玄はなぜ城を持たなかったの?

「人は城、人は石垣・・・」という歌は、実は後世の創作?

本当に城を持たなかったのかどうか・・・山梨県内の城を調査してみました


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この記事を短く言うと

・城をもたなかった理由は、甲斐の国では「城など必要なかった」ため。

・又は、生産力が低い「甲斐の国」では、土地が荒らされる危険性が高い「籠城戦」はできなかったのかもしれない。

・実際には、「甲州流築城術」という流派が伝えられるほど、武田家は築城術に長け、いくつもの城を築城・改修している。

・「人は城 人は石垣」という歌は、後世の創作という説がある。


城を持たなかった理由

城をもたなかった理由は簡単です。

「城なんて必要なかった」ということ。

なぜ城を必要としなかったのか?というと、信玄の領地「甲斐の国」は、盆地で四方を山に囲まれており、元々防御しやすい天然の要害でした。

ただし、「甲斐の国」では城が必要なかった・・・というだけの話であり、駿河・信濃で、信玄は築城を行っています。

新しく城を築いたことこそ少ないものの、元々存在していた城を建て直した例はいくらでもあります。

実は武田家は、「甲州流築城術」と呼ばれる流派が伝えられるほど、築城に長けていたのです。

信玄は、信濃(長野県)や駿河(静岡県東武)では、築城・改修を結構やっています。

信濃の「岡城」「諏訪原城」「大島城」「牧之島城」「小諸城」など。

駿河の「江尻城」など。

そのほとんどに、「甲州流築城術」の特徴がみられるのです。

甲州流築城術の特徴とは、「三日月堀」と「丸馬出」という、特殊な「堀」と「馬出」。

ちなみに「馬出」というのは、簡単に言えば城の入り口を守るために築かれる、小さな砦のこと。

ゼロから新しく築城したことは少ないですが、言うなれば「建て直し」を基本として、優れた前線基地を数多くつくっています。

城を全く必要としなかった・・・というわけではないみたいです。


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「真田幸村」も使った「甲州流築城術」

「甲州流築城術」をもって築き上げられた城「海津城」

「川中島の戦い」で利用され、上杉謙信との決戦前に武田信玄が籠城した城です。

「海津城(松代城)」は、後に真田家の本城となるお城。

その真田家の名将「真田幸村」が、大阪の陣で築き上げた出城「真田丸」も、「甲州流築城術」の特徴である「丸馬出」を使用しています。

真田幸村は、武田家に縁のある武将ですから、甲州流築城術に精通していたのでしょう。

「丸馬出」を利用した「十字砲火」で、真田丸は徳川家康の大軍団を散々に打ち破ったのでした。


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籠城戦では、領地が荒らされる?

戦国時代・・・日本では全国的な不作が続き、食糧難が起こっていました。

そのため、戦国大名は豊かな土地と食料を求めて他国を侵略したのです。

侵略を防ぐ方法は、主に2通り・・「籠城戦」と「迎撃戦(野戦)」

それぞれに長所短所があり、「籠城戦」の長所は「城の防御力を利用することが出来たため、少数で大軍団と戦えた」ということ。

短所は「城に閉じこもるため、生産地を荒らされてしまう」こと。

対して「迎撃戦(野戦)」の長所は、「(敵の領内で迎撃すれば)土地を荒らされずに済む」ということです。

短所は「城という圧倒的な防御施設を利用できない」こと。

武田信玄が治めた「甲斐の国」は、釜無川の洪水により、非常に生産性の低い国でした。

そんな国を敵勢力に荒らされたら、食糧難で国内は荒れ果ててしまうでしょう。

その為「籠城戦」を選択することが出来ず、「迎撃戦」しかできなかったという事情もあるのかもしれません。

「城が必要ない」というのではなく、「城に頼れなかった」というのが、本当のところなのではないでしょうか。


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「人は城・人は石垣・・・」とは言ってない?

武田信玄が「城を必要としなかった」武将と噂されている理由は、以下の短歌が理由です。

「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」

城という防衛施設よりも、人の繋がり、信頼関係、家臣や領民を信じる心こそが大切・・・という意味の歌。

しかし実はこの歌・・・後世の創作という説があります。

この歌は「甲陽軍鑑」という江戸時代の書物に記された有名なもの。

ただ、実際に信玄が「人は城 人は石垣」と言ったという確たる一次資料が存在していない様子。

もしかしたら後世、信玄を偉大な名将に祭り上げるために、甲斐の国に城をつくらなかったという事実を利用して、「人は城」という歌が付け加えられたのかもしれませんね。


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山梨県の城一覧

山梨県に存在した城の一覧です。

以下の記した山梨県のお城・・築城した人物が誰なのか、大半が不明ですが、武田信玄がゼロから築城した城は、一つもありません。

甲府城(武田滅亡後、加藤光泰が築城開始)

躑躅ヶ崎館 (武田信虎【信玄の父】が築城)

要害山城(武田信虎が築城)

熊城(武田信虎が築城)

勝山城

湯村山城 (武田信虎が築城)

浄古寺城 

小田野城

琵琶城

花咲城 

岩殿城 

蜂城

大野城 

小山城 

勝山城

谷村城  

富田城  

上野城 

須沢城 

中野城 

雨鳴城 

笹城

粟倉山城

下山城

菅沼城

古谷城

金山峰城

波木井城

井出城山城

葛谷城

波木井城

真篠城 

源氏ヶ岳城

北山城

御坂城(武田滅亡直後、信玄がつくった狼煙台を元に北条氏が築城)

本栖城

能見城武田勝頼【信玄の息子】が築城)

白山城

新府城(1580年・真田昌幸が普請奉行を務め、武田勝頼が築城)

日ノ出城

吉田城(北条早雲が築城)

旭山城 (武田滅亡後、1582年に北条氏が築城)

獅子吼(ししく)城

若神子古城

中尾城

源太ヶ城

星山古城


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まとめ

本日の記事をまとめますと

・信玄が城を必要としなかったのは、甲斐の国が「天然の要害」だったため

・甲斐の国は、生産力が乏しかったため、土地が荒らされる危険のある「籠城戦」が出来なかったのかもしれない

・信濃・駿河では、築城こそ少ないが「改修」は多数行っている

・「人は城 人は石垣」という歌は、後世の創作という説がある

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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