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赤報隊をわかりやすく解説?漫画「るろうに剣心」にも登場した相楽総三の悲劇

人気漫画「るろうに剣心」にも登場した「赤報隊」をご存知でしょうか?

「相良総三(さがらそうぞう)」を隊長とする一部隊ですが、「年貢半減(税金を半分にする)」という宣伝文句をかかげて江戸に向けて進軍するものの、新政府から「偽官軍」の汚名をきせられて処刑された悲劇の部隊です。

1987~90年にも、日本で「赤報隊事件」というテロ事件が起こりました。幕末の赤報隊とどういう関係があるのか?

この記事で、それらの事件を詳しく、わかりやすく解説いたします。


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この記事を短く言うと

・「赤報隊(せきほうたい」とは、新政府軍の部隊で「年貢半減」を宣伝し「相良総三(さがらそうぞう)」の部隊

・相良は、「鳥羽伏見の戦い」のきっかけをつくった活動家だった

・赤報隊は、偽官軍の汚名を着せられて崩壊。「相良総三」は処刑された

・1987~90年に「朝日新聞」に対して起こったテロ事件「赤報隊事件」は、赤報隊の名前を語っただけで、幕末の「赤報隊」とはかかわりがない


「赤報隊」とは、何なのか?

「赤報隊」とは、幕末に結成された組織のことで、薩摩・長州藩を中心とする新政府の一部隊であったといわれています。

「赤報隊」を率いていたのが、「相楽総三」という人物でした。

幕末、新政府軍は倒幕を実現させるために、百姓や農民の支持を得ようとしていました。

そこで、公約として倒幕に成功したら「年貢を半分にしよう」という「年貢半減令」をうちだしました。

この公約を民衆に周知するために、赤報隊が組織されたのです。

赤報隊は新政府の言われるまま、年貢半減令を全国の百姓・農民に伝え歩きます。

この結果、民衆の支持を得た新政府は倒幕に向けて有利に駒を進めることができました。

しかし、新政府の財政難により年貢半減令は実現不可能という判断が、新政府軍内で下されました。

結果、新政府軍は「年貢半減令は赤報隊が勝手に作り上げた話であり、赤報隊は新政府軍を名乗る偽官軍であり、処断する」と、赤報隊を裏切り者とふれまわったのでした。

そして、新政府によって捕縛された赤報隊は、隊長の相楽総三を含め8名が処刑され、組織も解体されました。



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赤報隊の隊長「相楽総三」の悲劇!赤報隊偽官軍事件

赤報隊隊長の相楽総三は、尊王攘夷派の志士でした。

西郷隆盛大久保利通らと交流を持ち、江戸近辺の倒幕運動に参加していました。

相楽は西郷の任を受け、江戸で放火や略奪、暴行を繰り返して幕府を挑発し、倒幕への工作活動を行なっていました。

鳥羽・伏見の戦いのきっかけとなった、庄内藩による江戸の「薩摩邸焼き打ち事件」の発端は、相楽らによるものだといわれています。

その後、前述の通り、新政府軍の名により、年貢半減令を全国各地に布告して回ったのです。

しかし、新政府軍の方針変換により「年貢半減令は勝手に赤報隊が流しているウソ」とし、赤報隊は偽官軍にせかんぐんであるという「おふれ」が広められたのです。

これにより、赤報隊の大使たちは捕縛。中には殺害されたものもいました。

相楽は同志の釈放を新政府に願い出ますが、相楽自身も投獄。

相楽には弁解の機会すら与えられず、また、ちゃんとした取り調べもしないまま、官軍の名を利用して民衆から不当に金穀を徴収したとして、斬首されたのでした。



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朝日新聞「赤報隊事件」とは、どのような関係があるのか?

現代の未解決事件の中に、「赤報隊事件」と呼ばれる事件があります。

この「赤報隊事件」とは、1987年から1990年にかけて発生したテロ事件。

朝日新聞社の社員が何者かに襲われ、死亡するという事件です。

犯行を行った犯人は、声明で「赤報隊」と名乗っていました。

未解決であるものの、この事件は幕末の「赤報隊」とは直接関係していないとされています。



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「赤報隊」について「ひとこと」いいたい

相良総三と赤報隊・・・・人気漫画「るろうに剣心」にも登場しますね。

「るろうに剣心」の主人公「緋村剣心」の盟友として、ともに戦うこととなる「相楽左之助」は、元赤報隊の隊員。

左之助は、「相良総三」から「相良」の苗字をもらったことになっていますね。

相良左之助は赤報隊を虐殺した「明治政府」にテロを画策するほど、深い憎しみを抱くキャラとして設定されています。

赤報・・・・・赤ん坊の産声・・・赤ん坊が誕生した報せ・・・・新しい時代の訪れを知らせることを示唆した「赤報隊」でしたが、彼らが触れ回った「年貢半減」という政策は、その後どうなったのでしょうか。

赤報隊が約束していた「年貢半減」は当然ですが、実現されませんでした。むしろ「地租改正」という税制改革により決められた税率「3%」は、は、江戸時代よりも高い税率だったのです。

これに怒った民衆は反乱を次々と起こし、「2.5%」への減税を実現。これにより江戸時代よりも税率は軽くなったのです。

今の日本でも、本当なら減税しないと大変なことになると言うのに、「借金1000兆円」だの「次の世代への負の遺産」だの、でたらめが吹聴されて消費増税が推し進められています。

地租改正に反対した民衆のように、今の日本人も、もっと「消費増税反対」を声高に叫ぶべきなのでしょうね。



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まとめ

いかがでしたでしょうか。

今回は赤報隊について解説していきました。

ここまでのポイントは、

・赤報隊とは明治新政府の一部隊であったが、政府の方針転換により排除された

・相楽総三は赤報隊隊長であり、最終的に新政府により処断された

・現代の未解決事件「赤報隊」は、幕末の赤報隊とは関係はない

といえるでしょう。

明治新政府のため、倒幕のため、力を尽くした相楽総三は、30歳という短い生涯を閉じました。

偽官軍として裏切りのレッテルを貼られてしまった相楽ですが、彼もまた新しい世の礎になった重要人物であったといえるでしょう。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

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