豊臣五大老の一人「前田利家」の家系図を、画像付きでカンタン解説いたします。
「槍の又左衛門」と呼ばれた豪傑「前田利家」。加賀100万石の基礎をつくった名君。
その「前田利家」の家系図をわかりやすく解説いたします。
子孫は現在どこにいるのか?
実は「徳川家」の子孫と仲良くしていた!!!
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この記事を短く言うと
『前田利家』の家系図!今も続く加賀前田家の血筋
加賀藩100万石の祖である「前田利家」の家系図をご紹介いたします。
以下の家系図ですが、「前田利長」を始めとする「名前の前にふってある番号」は「加賀藩」の歴代藩主を意味する番号です。
利家の息子「利長」を初代としてカウントしています。
「加賀前田藩」は、13代藩主「前田慶寧(よしやす)」の代で「明治維新」をむかえ、廃藩置県により廃止と成っています。
当然ですが、その後も名門「前田家」は続いております。
子孫は現在何をしている?現在、石川県人会会長!
前田家の現在の当主は、18代当主「前田利祐(としやす)」さんです。
「加賀前田藩」最後の当主「前田慶寧」公の「玄孫(孫の孫)」に当たられるお方です。
学習院大学を卒業後「日本郵船」に入社し、その後は「日本郵船」のグループ会社「八馬汽船」の常務取締役に就任。
その後は「全国石川県人会連合会」の会長を務めておられます。
その「利祐」さんには、「前田利宜」さんというご子息がおられるご様子ですので、「利宜」さんが次期前田家当主となられるのでしょうね。
「徳川家当主・徳川恒孝」さんと仲良しだった!
実は現当主である「前田利祐」さんと、徳川家の現当主である「徳川恒孝」さんは、ともに「学習院大学」「日本郵船」出身の「先輩後輩」の間柄。
「前田利祐」さんのほうが、5年先輩なのだとか。
二人は「日本郵船」で、同じ部署で働いていたこともあるらしく、一緒に上司から叱られたこともあったようですね。
そのとき、二人を叱った上司が言うには
「前田と徳川を呼びつけるなんて、太閤・豊臣秀吉さん以来おれだけだろうなぁ」
と喜んでおられたとのこと。
確かにそうかもしれません。
いや・・・・のちの天下人「徳川家康」と、最大の外様大名「前田利家」を、呼び捨てにして怒鳴りつけるなんて、もしかしたら「豊臣秀吉」でも出来なかったかも・・・。
そんなことができたのは織田信長くらいかもしれませんね。
ちなみに「徳川恒孝」さんは、幕末の会津藩主「松平容保」公の末裔であり、「松平家」から「徳川宗家」を相続するために「養子入り」なさった方です。
「徳川家康」の「子孫」について、詳しくは以下のリンク記事をお役立てくださいませ。
『前田利家』について「ひとこと」言いたい!
前田利家が、どういう人だったのか。諸説あります。
「槍が得意な豪傑だった」と言われていますし、「愛用のそろばんが残っているほど、お金の計算や書類仕事が得意だった」とも言われています。
そんな前田利家ですが、織田信長や豊臣秀吉にたいして忠誠を誓い、「忠誠心にあつい、男の中の男だった」という説もあれば、一方で「計算高かった」という説もあります。
計算高かったとはどういうことかというと、利家はなんだかんだで「勝利する側につき、家名を存続している」のです。
「賤ヶ岳の戦い」では、味方していた「柴田勝家」を土壇場で裏切り、秀吉に付きます。しかし、利家は「裏切り者」という烙印を押されないように、柴田勝家に最大限の配慮をしているのです。
「関ヶ原の戦い」の直前には、徳川家康と和解し、息子の「前田利長」を頼むと言っています。事実上、豊臣家をすてて徳川家についているのです。
利家は、「男の中の男」「義理にあつい」と言われていますが、生き残りの戦略が実にうまい。
一説によれば、「豊臣秀吉は嫌っていたが、尊敬していた主君・織田信長の血を引く豊臣秀頼は尊んでいた」とも言われています。
筆者の個人的な意見を申し上げさせていただくと、利家は前田家の存続を最優先としており、主君は二の次だと思っていたのではないでしょうか。
そんな利家ですが、「人望」はめちゃくちゃありました。
おそらくですが、もう少しだけでも寿命が長かったら、天下を取れていたかもしれません。
しかし、残念ですが「豊臣秀吉」の死の1年後、利家もあとを追うようにして亡くなるのです。
徳川家康もまた、前田利家を恐れていたと言われています。
それにしても、「計算高くて、しかも人望があった」とは・・・。かなり器用な人だったか。またはとてつもなく魅力的な人物だったのでしょうね。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 前田利家がつくった「加賀前田藩」は、13代「前田慶寧」の代でおわる。
- 現在、前田利家の子孫である「前田利祐」さんが、前田家当主をなさっておられる。
- 前田利祐さんと、徳川家の当主「徳川恒孝」さんは、「学習院大学」「日本郵船」の先輩と後輩の間柄。
以上となります。
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