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紫式部はくせ毛だったのか?清少納言が枕草子に記した髪質と美の理想

– 紫式部はくせ毛だったのだろうか?
– 古文書や文学作品では髪質にどのように言及されているのか?
– 清少納言もくせ毛だったという噂がある?

こんな悩みを解決できる記事になっています!

なぜなら、この記事では紫式部と清少納言の外見に関する記録と、特に髪質に関する言及がどのようにされているかを詳細に説明しているからです。

この記事を読み終えることで、平安時代の女性作家の外見に対する現代の見解と古典文学の中での象徴的な描写の違いを理解できるようになります!

記事の前半では『紫式部の外見に関する詳細な記録』について解説し、

記事の後半では『清少納言のくせ毛に関する記述』を具体的な文献例と共に詳しく説明していますので、ぜひ参考にしてください。

それでは本編です!

歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。


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目次

紫式部は、くせ毛だったのか?

紫式部の髪の毛がくせ毛だったかどうかは、実ははっきりしていません。

紫式部の外見についての記録が少ないため、髪質を知ることは難しいです。

紫式部に関する外見の詳細は以下の通りです。

  1. – 紫式部の外見に関する詳細な記録は存在しない
  2. – 古文書には髪質に関する言及が少ない
  3. – 文学作品の中の描写は象徴的なものが多い
  4. – くせ毛だったのは紫式部ではなく、清少納言の方だった

それぞれ詳しく解説していきます。

紫式部の外見に関する詳細な記録は存在しない

紫式部の外見について詳しい記録は、現存していません。

当時の人々は、外見よりも作品や人物の行動に重点を置いて記録を残していたため、髪質についての情報は特に記されていないのです。

そのため、紫式部の髪がくせ毛だったかどうかは、確定的には言えない状況です。

ただ、紫式部は才色兼備であったといわれているので、美女だったと考えられます。

紫式部
引用元Wikipediaより

詳しくは後述しますが、当時は長い黒髪が美しいとされていたので、おそらく紫式部も見事な黒髪だったのでしょう。


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古文書には髪質に関する言及が少ない

古文書や日記、物語などでは、主に人物の行為や性格が語られています。

髪質や外見の細かな記述は少なく、特に紫式部のような女性の髪質を詳細に述べた記録はほとんど残っていません。

これは、当時の記録の優先順位や文化的背景によるものです。

ただ、美しい黒髪、などの美の描写には、ごくたまに髪質についても解説する内容が見られます。

文学作品の中の描写は象徴的なものが多い

文学作品における外見の描写は、しばしば象徴的または比喩的な意味を持っています。

紫式部の作品内でも、特定の髪型や髪質が象徴的な意味を持つことがありますが、それが実際の外見を反映しているとは限りません。

したがって、これらの描写から具体的な髪質を推測するのは困難です。

紫式部の作品「源氏物語」はもちろん、「紫式部日記」にも、紫式部の髪質に関する記述はありません。


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くせ毛だったのは紫式部ではなく、清少納言の方だった

実は、くせ毛に関する言及があるのは清少納言です。

清少納言
引用元Wikipediaより

清少納言の作品「枕草子」には、彼女自身の髪がくせ毛であったことを示唆する記述が見られます。

紫式部についてはそのような記述は特に見られないため、くせ毛だったと断定するには根拠が不足しています。

以上の情報から、紫式部の髪がくせ毛だったとは特に言えないことがわかります。


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清少納言のくせ毛に関する記述:文献からの具体例4つ

清少納言は、彼女自身の外見についても自己表現を行っています。

くせ毛に関する記述を含む具体例を文献から挙げてみましょう。

清少納言のくせ毛についての文献からの具体例は以下の通りです。

  1. – 『枕草子』における自己描写
  2. – くせ毛などではくじけない、明るい性格の清少納言
  3. – 日常生活の苦労話
  4. 当時理想とされた美との対比

それぞれ詳しく解説していきます。

『枕草子』における自己描写

清少納言は『枕草子』の中で、自分の「くせ毛」について記しているのです。

特に、自身のくせ毛について言及している部分があり

「私の髪は自他共に認めるほど強くて癖のあるものです」

と自己評価しています。

このような自己描写から、彼女の人柄や自己認識を垣間見ることができます。


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くせ毛などでは挫けない、明るい性格の清少納言

清少納言は、とても前向きで明るい性格で有名です。

実は清少納言は、相当に悲劇的な一生を生きています。

夫や子供を捨てて、再婚し、兄を源頼光とその配下の四天王(金太郎のモデルとなった坂田金時など)に目の前で討ち取られるなど、かなり波瀾万丈の人生を送っています。

しかも、清少納言が心から尊敬してつかえていた主君である一条天皇の中宮・藤原定子も、悲劇的な最期を遂げ、その実家も没落していきました。

藤原定子
引用元Wikipediaより

ところが、彼女の随筆・枕草子には、それに関しての愚痴や文句が一切記されていません。

ただただ幸せなことばかりが記されているばかりです。

清少納言は、おそらく、くせ毛などでめげる性格ではなかったのでしょう。

枕草子の内容については以下のリンク記事で詳しく解説しています

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日常生活での苦労話

清少納言はくせ毛に関連する苦労話を「枕草子」に記していました。

これは、彼女の人間味とリアリティを感じさせる部分でもあります。

彼女が日常で直面していたくせ毛に関する苦労は以下のようなものです。

  • – 暗くなった時に灯りをともすと、影が出来上がってくせ毛が浮かび上がる
  • -長い黒髪が美しいとされた時代に、くせ毛で自分に自信が持てなかった

これらの苦労話は、彼女が同時代の人々とどのようにつながっていたかを示すものです。

清少納言の人となりや日常生活の一面を理解することで、彼女の作品に対する理解も深まるでしょう。

また、どのような状況でもポジティブに捉える姿勢を見せることが重要です。


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当時の理想とされる美しさとの対比

平安時代における理想の美しさと清少納言のくせ毛との間には、顕著な対比がありました。

平安時代の美の基準では、長くてストレートな黒髪が理想とされていましたが、清少納言のくせ毛はその理想からは、かなり外れていたのです。

この対比は以下のような形で表れています。

  • – 理想とされる髪型と異なるために生じる身だしなみの課題
  • – 他の貴族と異なる外見による個性の強調
  • – 時には冷やかしや批判の対象となることも

清少納言はこのような差を理解し、くせ毛という特徴を、自分にしかできないひとつの自己表現として、うまく取り入れていたのです。

この対比を通じて、清少納言は自分の存在を強調したのではないでしょうか。

実際に、千年後の現在も、清少納言は「くせ毛」であるという特徴が知れ渡たり、その存在を強調する特徴となっています。


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まとめ

紫式部とくせ毛の関連性について検証しました。

紫式部がくせ毛だったのかどうかについての確固たる証拠は見つかりませんでした。

紫式部の外見に関する詳細な記録は存在せず、古文書においても髪質に関する言及が極めて少ないことがわかりました。

また、文学作品の中での髪の描写は、象徴的な要素が多く含まれているため、具体的な事実として捉えるのは難しいです。

興味深いことに、くせ毛の記述があるのは、実は紫式部ではなく清少納言の方だったことが明らかになりました。

以下の4つのポイントから、清少納言のくせ毛について理解を深めることができます。

– 『枕草子』内での自己描写を通じて、清少納言自身の外見に言及している場面があります。
– 清少納言は、くせ毛など自身の外見に動じない、明るい性格で知られています。
– 日常生活での苦労話にくせ毛がどのように影響していたかについても言及が見られます。
– 当時の理想とされる美しさと自身の外見との対比について触れている部分があります。

以上の情報から、清少納言が自身のくせ毛をどのように受け止め、それが彼女の文学作品にどのように反映されているかを探求することは興味深いでしょう。

くせ毛に関する歴史的背景や、それが文学にどのように表れているかについてさらに知りたい方は、『枕草子』の関連章を読むことをお勧めします。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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