真珠湾攻撃を成功させた連合艦隊司令長官「山本五十六」の最期を解説いたします。
飛行機に乗っていたところを撃墜されて、そのまま戦死。
しかし、外傷があったとか、なかったとか、目撃者の証言がコロコロ変わって謎が多い?
子孫は今どこにいるのか?お孫さんが今もお元気になさっておられるらしいが・・・。
山本五十六について、分かりやすく、カンタンに解説いたします。
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この記事を短く言うと
- 山本五十六は、1943年4月18日、乗っていた飛行機をアメリカ軍に撃墜されて亡くなった。
- 孫の「山本源太郎」さんが、2015年の山本五十六の法要に参列していた
- 残念ながら「山本五十六」を名将と呼ぶことは、できないのではないか
「山本五十六」の死因!謎につつまれた最期とは?
「太平洋戦争」において、前人未到の奇襲作戦「真珠湾攻撃」を成功させた、日本の連合艦隊司令長官「山本五十六(やまもといそろく)」
彼の最期は、謎につつまれていると言われています。
1943年4月18日、山本五十六は「ブーゲンビル島」「ショートランド島」の最前線基地にいる兵士たちを慰労するため、飛行機に乗ってラバウルから飛び立ちました。
しかし、これらの予定は通信機を傍受していたアメリカ軍に筒抜けとなります。
4月18日7時50分、山本五十六長官が乗っていた飛行機が被弾し、ジャングルに墜落。この時「山本五十六」は亡くなったと考えられます。享年59歳。
翌日の4月19日、山本五十六の遺体は捜索隊によって発見されます。
しかし、遺体の検死には不審な点があったのです。
第一発見者によると、山本五十六の遺体は墜落機の座席に座ったまま、刀を持って凛としていたとのこと。頭部や身体に目立った傷はなかったそうです。
ところが、検死をしてみると、「戦闘機の機銃が頭を撃ち抜き、背中を貫通」していたのだとか。
他の検死によると「死因は全身打撲と内臓破裂」。
さらに、山本五十六の御遺体を清めたものの証言によると、頭部に外傷はなかったとのこと。
そして山本長官の遺体を捜索した吉田少尉によると、即死ではないと判断できたのだとか。
とにかく「検死」「目撃情報」がコロコロ変わっており、何が真実なのかはっきりしていないのです。
また、べつの説によれば、「飛行機が墜落した時点で、山本長官は生きていた。敵の捕虜となることを恐れて、ピストルで自決した」のだとか。
話を整理してみましょう。
これまでに、「山本五十六」司令長官がの死因については、「3つの説」が浮上しています。
1,アメリカ軍の機銃をうけて亡くなった
2,飛行機が墜落したときの衝撃で、「全身打撲」「内蔵破裂」により死亡
3,捕虜となることを恐れ、ピストルで自決した
この3つのどれか
ただ、現実的に考えて、撃墜された飛行機の中で、生存している可能性は極めて低いのではないでしょうか。
全身打撲・被弾・・・どちらにしても、墜落した時点で、山本長官はなくなっていたと考えるのが自然でしょう。
つまり「自決」の可能性は低いということ。
おそらくですが、「被弾」して亡くなったのではなく、墜落の衝撃で「全身打撲」または「内臓」をやられて亡くなったのではないでしょうか。
もしも機銃で亡くなったなら、傷が激しく、遺体を見た人間の証言が、これほどまでにまちまちになるとは思えません。
「暗殺された」なんて説もあるようですが、可能性は低いと思います。
もしも、撃墜されてなお、軍刀をもって凛として亡くなったのなら、それは凄まじい気がしますね。
山本五十六の子孫はどこに?お孫さんが今も元気にしていた!
山本五十六の子孫は、今どこで何をしているのでしょうか?
山本五十六には「4人」の子供がいます。二男二女。長男の「山本義正」さんは、海軍のパイロットを目指すものの、東京大学を卒業して「製紙会社」に務めていたようです。
その後、山本義正さんは「2014年」におなくなりになられました。
山本五十六の孫「山本源太郎」さんは、2015年の「山本五十六」の法要に参列。この時「源太郎」さんは53歳でした。
おそらく現在もお元気になさっておられるでしょうね。
山本五十六の「評価」とは!名将か?それとも愚将か?
山本五十六・・・・彼の評価は両極端です。
一方では「真珠湾攻撃という偉業をなしとげた名将」と評価され、また一方では「日本軍を敗戦に導いた愚将」と酷評されています。
いったいどちらが真実なのでしょうか?
筆者の意見を述べさせていただくと、残念ながら「名将」とは言い難いのではないかと思います。
理由はカンタンです。「日本を勝利に導けなかったから」
例えば、日露戦争の英雄「東郷平八郎」は、間違いなく名将です。なにせ「バルチック艦隊」に完勝し、日露戦争を勝利に導いたのですから。
ところが、山本五十六は「真珠湾攻撃」を成功させはしたものの、「ミッドウェー海戦」という絶対に勝てる戦いで、アメリカに大逆転負けを喫しています。
さらに、日本は敗戦してしまったのです。結果を出せなかったということで、残念ながら山本五十六は「名将ではない」としか評価できない気がします。
憲政史家の「倉山満」さんや、作家「百田尚樹」さんも「山本五十六」を酷評していますが・・・・。
日本人は、「敗軍の将」に憐れみをもって接する傾向があります。「源義経」や「明智光秀」「真田幸村」を名将とたたえ、「生存説」まで出てくるほど。
山本五十六に対しても、そういう「日本人特有の憐れみ」があるのかも知れません。
情においては忍びないものがありますが、山本五十六を名将と呼ぶことは、残念ながらできないと思います。
『山本五十六』について「ひとこと」言いたい!
「山本五十六は名将ではない」と申しましたが、彼が「対米開戦」に反対していたことは、紛れもない事実です。
しかし、その後の対応がまずかったと思います。
「アメリカ相手に、1年や2年は暴れてみせますが、早期講和しかありません。」
山本五十六は、そう言って真珠湾攻撃を行ったのだとか。山本の部下だった「井上成美」は後年、こう言っています。
「あの時、山本さんは、はっきりと「勝てない」というべきだった」
確かにそのとおりです。1年は暴れてみせるなんて言ったにもかかわらず、日本軍は真珠湾攻撃から半年後、「ミッドウェー海戦」で惨敗し、戦局は一気に逆転してしまうのです。予想がたっていなかったとも言えるかもしれません。
真珠湾攻撃は、確かに偉業だと思います。圧倒的な奇襲を成功させたその戦術は、やはり優れているのでしょう。
しかし、戦略がともなっていませんでした。
アメリカの「フランクリン・ルーズベルト大統領」は、「戦争しない」と公約して大統領選挙で勝利した人物。真珠湾攻撃さえしなかったら、アメリカと日本は戦争などする必要もなかったはずなのです。
真珠湾よりも、むしろ「ドイツ」とともに「ソビエト連邦」を挟み撃ちにすれば、「ソビエト連邦」と「スターリン」をカンタンに倒せたのではないかと思います。
もともと山本五十六が反対していた「三国同盟」なんて結ぶべきではなかったわけですが、ドイツと組んでしまった以上、ソ連を攻めるべきだった気がします。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 山本五十六は、1943年4月18日、乗っていた飛行機をアメリカ軍に撃墜されて亡くなった
- 山本の孫「山本源太郎」さんが、2015年の山本五十六の法要に参列していた
- 山本五十六を名将と呼ぶことは、残念ながら出来ないのではないか
以上となります。
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コメント
コメント一覧 (4件)
「山本提督は名将ではないと思う」との事ですが、比較対象として名指ししている東郷提督は確かにバルチック艦隊に完勝しました。しかしそれはイギリス軍の協力あってこその勝利。戦闘開始前からバルチック艦隊は本来の戦闘力を存分に発揮できる状態ではありませんでした。
結論からして、東郷提督1人が勝ちに導いた戦いではないかと。
ミッドウェーでの敗戦は機動部隊の指揮を取ってた南雲提督が愚将だったからではないですか?例えば南雲提督が撤退した後に指揮を取った山口提督。彼は最後は乗艦していた空母飛龍が撃沈され、艦と共に海に没しましたが、米空母ヨークタウンを大敗させ、戦闘不能に陥れています。
同じ戦いでも、山本提督は指揮に関与しておらず、指揮を取ったのは南雲提督と山口提督の2人です。
それを「勝利に導けなかった」と言うのはおかしい気がします。
それから、「ドイツと共にソ連を攻めればよかったのではないか」との事ですが、連合国のABCD包囲網により、経済的にも軍事力的にも厳しい状況でそれは不可能かと思います。
最後に、ルーズベルト大統領は確かに「戦争をしない」と言って当選しました。では何故、事前に日本軍が真珠湾を狙っているのを知りながら太平洋艦隊にその事を知らせず、被害を受けてから演説で国民に戦争をしようと呼び掛けたのでしょうか?
こんにちは
この度は当サイトをご利用いただき、誠にありがとうございます。
また、貴重なコメントもいただきまして、心より御礼を申し上げます。
いただきましたご意見、ごもっともと存じます。
くだされましたコメントを基として、さらなる研究を重ねた上で、改めて記事作成という形で発表させていただきたいと思います。
この度は当サイトをご利用いただき、コメントまでいただき、重ねて御礼を申し上げます。
今後とも当サイトをよろしくおねがいします。
真珠湾はかなり計画されたものに対し、
ミッドウェーでは無計画だったと。
また周りに急かす人がいたとしたら、それにし従わざるおえない場合もあり、
ノーとも言えません。
サラリーマンと同じで一個人の意見で動けず、誰かに従ってたのではないでしょうか。
以前、でしゃばったために、降格も余儀なくされたとのことで、階級を落とすわけにもいかなかったでしょう。
この度は当サイトへお越しくださいましてありがとうございます。
また、貴重なコメントを頂きましたことも感謝申し上げます。
おっしゃることごもっともです。
もしよろしければ、また当サイトへお越しくださいましたら嬉しく存じます。
ありがとうございました。
失礼致します。