「丸に十の字」。薩摩藩の藩主「島津家」の家紋です。
この家紋は見た目がとてもシンプル。意味については諸説があります。
十字架に似ていますが「キリスト教」と何か関係があるのか?実は全然関係ありません。
島津家の家紋「丸に十の字」について、わかりやすく解説いたします。
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この記事を短く言うと
・薩摩藩・島津家の家紋は「丸に十の字」という比較的シンプルなもの
・その意味するところとしては、「龍を描いている」「戦勝を記念して」など諸説ある
・キリスト教が日本に伝わる前から「丸に十の字」が使用されていたため、キリスト教とは関係がない
《薩摩藩の家紋「丸に十の字」》
薩摩藩島津家の家紋は「丸に十の字」です。以下の画像をご覧ください。
しかし昔は外部の丸はなく十の字だけだったみたいです。
いつから丸がついたかというと徳川幕府の時代に、礼装用の紋に転化したために多くの武家が外側に丸をつけるようになりました。
島津家もこれにならい定着したのです。
《「丸に十の字」が表す意味とは?》
島津家の家紋である「丸に十の字」には意味があると言われています。
しかし、はっきりとした理由はわかっていません。
家紋の意味を表すいくつかの諸説があるので紹介していきます。
一つは、二匹の龍を十字に組み合わせたものであるということ。
からみあって昇天する様子だと言われています。
二つ目は、二本の箸を交えて出陣戦勝の呪いにしたのが始まりだと言われています。
三つ目は、キリスト教の印。
四つ目は、十字をきるという形の呪符からきたとする説です。
はっきりしたことがわからないですが、戦い中のお守りや悪いことが起こらないようにという意味でこの家紋になったのかもしれません。
《キリスト教の十字架と何か関係があるの?》
キリスト教の十字架に似ている島津家の家紋。
しかしキリスト教がまだ日本で信仰されていない時から島津家の家紋は「十の字」でした。
つまり島津家の家紋は、キリスト教には関係ないことがわかります。
たまたまキリスト教の十字架に似た家紋だったので、キリスト教と何か関係があるのかと言われるようになったのかもしれません。
《『薩摩藩』について、レビュー(評論)!》
薩摩藩・島津家は、鎌倉時代から続く名門。薩摩藩を領有していた一族です。
戦国時代には「島津義久」を当主として、弟「島津義弘」らの活躍もあって、九州のほぼ全域を領有します。
九州征伐・・・・豊臣秀吉による「天下統一事業」の一つです。徳川家康を臣従させた秀吉は、大軍を率いて九州を攻撃。
これに屈した島津は、それまで領していた「九州全域」を削減され「薩摩・大隅・日向の一部」を領するに至るのです。
その後、1600年の「関ヶ原の戦い」で徳川家康と対立し、敗北。
しかし粘り強い交渉の末、領地削減などのおとがめはなし。
そのまま幕末まで藩を存続するに至るのでした。
幕末、名君「島津斉彬」を輩出した薩摩藩は、急速に近代化。
藩士「西郷隆盛」が徳川幕府を倒し、盟友「大久保利通」が明治新政府の基礎を作り上げ、近代日本の礎を築き上げたのでした。
《まとめ》
本日の記事をまとめますと
・薩摩藩の家紋は「丸に十の字」
・その意味は諸説あり、龍を形どっている、戦勝を祝したものなど
・キリスト教とは関係ない
以上となります。
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コメント
コメント一覧 (1件)
≪…丸に十の字…≫は、数の言葉(自然数)とも関連している。
数の言葉(自然数)を操る[直交座標](ユークリッド平面)と[極座標]とを結び付けていそうだ。
自然数のお話は、絵本「もろはのつるぎ」(有田川町ウエブライブラリー)