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織田信長と森蘭丸の関係がスゴイ!信長との家臣と主君を超えたBL関係

この記事では【織田信長と森蘭丸もりらんまるの関係】について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

これを読めば【信長と蘭丸がどういう関係だったのか】を、カンタンに理解できます。

森蘭丸は、織田信長の愛人であり、夜のお相手をしていた人物、なのです。


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この記事を短く言うと

  1. 織田信長と森蘭丸は、どういう関係だったのか?
    森蘭丸は、織田信長が寵愛ちょうあいした部下であり、愛人でもあったという
  2. 同性愛は当時めずらしいものだったのか?
    同性愛の関係は、当時それほど珍しくはなかった。前田利家伊達政宗そして徳川家康にも、似たような逸話・エピソードがある
  3. 森蘭丸の父・森可成もりよしなりと兄・森長可もりながよしとは、どういう人たちだったのか?
    森可成は、信長お気に入りの猛者で、【1570年】の宇佐山城うさやまじょうの戦いで戦死。兄・森長可もりながよしは弟・蘭丸の死の2年後【1584年】に小牧こまき長久手ながくての戦いで戦死している。
目次

織田信長と森蘭丸の関係!2人は深い関係だった

織田信長と森蘭丸もりらんまるは、主君と家来・部下という関係だけではなく、肉体関係にあったといわれています。

つまり、現代でいうところのボーイズ・ラブ。

BLというやつですね。

森蘭丸
引用元ウィキペディアより

絶世の美少年・森蘭丸は、信長から夜の相手を命じられて、素直に従っていたようです。

織田信長
引用元ウィキペディアより

森蘭丸といえば、織田信長に仕えた猛将・森可成もりよしなりの息子です。

蘭丸という名前で知られてはいるものの、その正式名称は、森成利もりなりとしまたは森長貞もりながさだ森長康もりながやすともいわれています。

信長の小姓こしょうとしてつかえ、現代でいうところの秘書のような役割を果たしていました。

小姓とは、名門の子弟が任命されることが多く、今でいうエリートコースでした。

森蘭丸は、【18歳】という若さで戦死しています。

蘭丸は織田信長お気に入りの家来・森可成の息子だったため、将来をかなり有望視されていたのです。

小姓として勉強も武術も、最高レベルでのエリート教育を施された森蘭丸。

その優れた容姿もあって蘭丸は、織田信長から寵愛ちょうあいされていたのです。

その寵愛ぶりは半端ではなく、夜の相手もさせられるほどだったわけです。


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当時はめずらしくない同性関係!前田利家や伊達政宗も同性愛の経験あり?

織田信長と森蘭丸は同性で関係をもっていたわけです。

しかし戦国時代の当時、男性同士で肉体関係を持つことは、それほどめずらしいことではありませんでした。

信長の部下・前田利家まえだとしいえは、若いころに信長から愛されて、同僚たちからうらやましがられたという逸話が残っています。

前田利家
引用元ウィキペディアより

伊達政宗だてまさむねも同性の家来を愛して、嫉妬に狂った手紙をその部下に対して送りつけています。(手紙は現存しているらしい)

当時、戦場に女性を連れてくることは、かなり難しいものがありました。

なぜなら家来たちのねたみをかいますし、下手へた風俗嬢ふうぞくじょうをそばにいれたら暗殺されるリスクもあります。

そのため戦国武将たちは長い戦場での生活に、イケメンの若い小姓を連れていって、夜は一緒に寝て相手をさせていたのでした。

徳川家康も徳川四天王のひとり井伊直政いいなおまさに、夜の相手をさせたといわれています。

徳川家康
引用元ウィキペディアより

女好きで有名な豊臣秀吉とよとみひでよしは、超絶美男子をそばに仕えさせてみたところ

「姉か妹はいるか?」

と質問しただけで、何もしなかったとか。

秀吉はおそらく同性愛の気はなく、その美男子の姉か妹を側女そばめにしたいと考えたのでしょう。

幕末明治の英雄・西郷隆盛さいごうたかもりも、美男子の僧侶・月照げっしょうとそういう関係だったといわれています。

当時、同性愛はそれほど珍しくはなかったのです。

 

井伊直政や月照について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。


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森蘭丸の父・森可成もりよしなりや兄・森長可もりながよしについて解説

森蘭丸の父・森可成もりよしなりと、兄・森長可もりながよしは、ともに猛将であり、壮絶な戦死をげています。

父・森可成もりよしなり

蘭丸の父・森可成は、【1570年】の宇佐山城うさやまじょうの戦いで戦死しています。

森可成
引用元Wikipediaより

攻めの三左衛門と呼ばれる猛者で、槍の名人だったという森可成。

1555年】には、織田彦五郎信友おだひこごろうのぶともを討ち取る功績を残しています。

織田信長からとてつもなく気に入られた猛者・森可成は、【1570年】の宇佐山城の戦いで戦死しています。

浅井・朝倉連合軍を相手に壮絶な死闘を繰り広げて、長男・森可隆もりよしたかも、父とともに戦死。


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次兄・森長可もしながよし

森蘭丸の兄・森長可は、徳川家康と戦った小牧こまき長久手ながくての戦いで、戦死しています。

森長可
引用元Wikipediaより

次男・森長可は、兄・森可隆よしたかが戦死したことで、森家の家督を継承。

森長可は、かなり気性の激しかった荒武者だったようです。

信濃北部を領地として与えられ、越後の戦国大名・上杉景勝の攻略を任されていました。

1582年】、本能寺の変で織田信長や弟・森蘭丸が亡くなると、森長可は妻の父である池田恒興いけだつねおきとともに、羽柴秀吉はしばひでよしに仕えます。

羽柴秀吉(豊臣秀吉)
引用元ウィキペディアより

1584年】、小牧・長久手の戦いに秀吉の先陣として参戦。

羽柴秀次ひでつぐや池田恒興とともに、家康の本拠地・三河国攻撃の別働隊に参加し、徳川家康に討ち取られています。

 

織田信長の乳兄弟ちきょうだい・池田恒興について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。


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蘭丸の最期!本能寺の変で弟たちとともに戦死!

森蘭丸は、【天正10年(1582年)6月2日】、本能寺の変で織田信長や弟の森坊丸ぼうまる力丸りきまるとともに、戦死しています。

本能寺の変は、明智光秀が主君・織田信長を裏切って起こした事件です。

このとき、蘭丸は自ら槍を奮って奮戦したものの、明智三羽烏あけちさんばがらすと呼ばれた猛者・安田国継やすだくにつぐに討たれたといわれています。

享年18歳。

余談ですが、安田国継は、信長をも負傷させたといわれています。

森蘭丸の最期
引用元ウィキペディアより

弟たち森坊丸と森力丸も、若くして壮絶な戦死を遂げています。

蘭丸が持っていた槍は、現在【兵庫県赤穂市】にある大石内蔵助おおいしくらのすけたち赤穂四十七士あこうしじゅうしちしまつ大石神社おおいしじんじゃに保管されており、宝物殿で公開されています。

「大石神社のホームページ」はこちら

また、森蘭丸のものといわれる大太刀が、京都・本能寺にて展示されています。

京都・本能寺

森蘭丸の兄・森長可は、本能寺の変の2年後の【1584年】に小牧こまき長久手ながくての戦いで戦死。

兄弟が数多く戦死した森家は、末弟・森忠政もりただまさが継承し、津山藩を立藩しています。(津山藩は【1697年】に改易)

 

本能寺の変について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

蘭丸を討ち、信長を負傷させた安田国継について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

余談になりますが、【2011年】の大河ドラマ【ごう】に、森蘭丸の弟・森坊丸と力丸も登場しています。

その坊丸を演じたのが、【2020年】の大河ドラマ【麒麟きりんがくる】で織田信長を演じた俳優の染谷将太そめたにしょうたさんです。

このとき森蘭丸は俳優・瀬戸康史せとこうじさんが演じて、森力丸は俳優・阪本奨悟さかもとしょうごさんが演じておられました。

ちなみに染谷将太さんは、映画【清洲会議きよすかいぎ】では森蘭丸を演じていました。

染谷さんは、森力丸・森蘭丸・織田信長と、三度も本能寺の変を演じたことになります。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 森蘭丸は、織田信長が寵愛した部下であり、愛人でもあった
  2. 同性愛の関係は、当時それほど珍しくはなかった。前田利家伊達政宗徳川家康にも、同性愛について、似たような逸話・エピソードがある
  3. 森蘭丸の父・森可成は、織田信長お気に入りの部下であり、有名な猛将だった。【1570年】の宇佐山城の戦いで戦死。兄・森長可は弟・蘭丸の死の2年後【1584年】に小牧・長久手の戦いで戦死している。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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