この記事では戦国武将「三好長慶」がつかっていた「家紋」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。
これを読めば「三好長慶の家紋」を、カンタンに理解できます。
天下人「三好長慶」がつかっていた家紋は「三階菱に五つ釘抜紋(さんかいびしにいつつくぎぬきもん)」です。
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この記事を短く言うと
1,「三好長慶」が使った家紋とは?
三好長慶の家紋は、「三階菱に五つ釘抜(さんかいびしにいつつくぎぬき)」というもの。
2,「三階菱に五つ釘抜き」紋の意味とは?
「三階菱に五つ釘抜き」の家紋は、「三階菱」という家紋と、「釘抜」という家紋を組み合わせたもの。
これを使っていた「三好長慶」が、「清和源氏」の支流「小笠原氏」の一族であることを意味している。
3,「三好長慶」の家紋に隠された「9つの城を落とす」とは、どういう意味?
「三好長慶」の家紋に組み込まれている「釘抜紋」は、「くぎぬき」
つまり「九城(くき)を抜く(攻め落とす)」
という意味で解釈され、「城を攻め落とす」という言葉に通じるため、戦国武将にとっては、とても縁起の良いものだった。
三好長慶が使っていた「家紋」の画像はこちら
戦国時代の天下人「三好長慶」がつかっていた家紋「三階菱に五つ釘抜(さんかいびしにいつつくぎぬき)」の画像は、以下に貼り付けておきます。
この家紋は、「菱紋(ひしもん)」と「釘抜紋」という、清和源氏・小笠原氏がつかっていた2つの家紋を組み合わせたものです。
「三好長慶」は、「清和源氏・小笠原氏」の一族です。
この「三階菱」は、「武田信玄」で有名な家紋「武田菱」の派生系であると言われています。
三好長慶の家紋「三階菱に釘抜」紋の意味とは?
この「三階菱に五つ釘抜紋」という家紋は、「菱紋(ひしもん)」という家紋と、「釘抜紋(くぎぬきもん)」という家紋が組み合わせられたものです。
「菱紋」とは、「ヒシの実や葉」をデザインしたもの。この「三階菱に釘抜の紋」は、「三階菱」という、「菱紋」を3つ組み合わせたものです。
まるで「菱餅(ひしもち)」を3つ重ねたような形をしています。
対して「釘抜紋」とは、下の部分にある中央に穴の空いた「ひし形」のことです。
その名の通り、「釘抜」をデザインしたものです。
当時の「釘抜き」は「万力」のような形をしており、その「台座」のデザインを家紋としたのが「釘抜紋」です。
家紋に隠されたもう一つの意味「9つの城を抜く(攻め落とす)」とは?
「三階菱に五つ釘抜」という家紋の「釘抜」には、「九城(くき)を抜く」、すなわち「9つの城を攻め落とす」という意味に通じているとして、とても縁起が良いとされてきました。
「三階菱に五つ釘抜」の家紋は、縁起をかつぐことが好きな戦国武将にとって、縁起がよいとされてきたのです。
戦いを生業とする「戦国武将」にとって、敵の城を落とすということは、大きな手柄。
そのため、9つもの城を攻め落とす意味が隠された「釘抜」の家紋は、とても喜ばれたのだとか。
「釘抜紋」といえば、「豊臣秀吉」のエピソードが有名です。
「丸に釘抜き」という形の家紋を使っていた猛将「一柳直末(ひとつやなぎ なおすえ)」は、【1590年】に起こった「豊臣秀吉」による「小田原征伐」に参陣していました。
難攻不落の名城「山中城」を攻略するにあたり、「一柳直末」は「釘抜き(くきぬき)」の紋所に勝利を誓ったのだとか。
「9つの城を抜く(攻め落とす)」という、縁起の良い家紋に喜んだ秀吉は「一柳直末」をとても気に入ります。
しかし「一柳直末」は「小田原征伐」の最中に戦死。
その死に大きなショックを受けた「豊臣秀吉」は、数日ものあいだ口をきかなかったそうです。
また、「釘抜」には「苦を抜く」という意味も込められていたため、「釘抜紋」は武将たちに人気だったと言われています。
「三階菱に釘抜」紋を使った天下人「三好長慶」について超カンタン解説!
この「三階菱に五つ釘抜」の家紋をつかった「三好長慶」は、「織田信長」の前に天下を制覇していた「天下人」です。
それほど有名ではありませんが、信長が京都と畿内を制圧するまで、三好長慶は日本で最大の軍団をひきいた大勢力だったのです。
その勢力圏は、「四国」から「近畿一体」、実に「11カ国」に及び、ひきいていた軍団も「6~7万」ほどいたと考えられます。
これらの軍団を使って、三好長慶は、足利幕府の管領(かんれい・幕府のNo.2)であった「細川晴元」や、征夷大将軍「足利義輝」と交戦。
両者を京都から追い出すなど、圧倒的な力を見せて、天下をまさに支配していたのです。
そんな三好長慶でしたが、【1564年】に病死。
この翌年には13代征夷大将軍「足利義輝」が、「三好長慶」の一族である「三好三人衆(三好長逸・三好政康・岩成友通)」に暗殺されます。
そして【1568年】、織田信長が大軍団をひきいて京都を攻略。
「三好三人衆」を追い出して、信長は「三好長慶」のあとを引き継ぐようにして、天下を支配したのです。
「三好長慶」については、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。
まとめ
本日の記事をまとめますと
1,「三好長慶」の家紋は、「三階菱に五つ釘抜(さんかいびしにいつつくぎぬき)」
2,「三階菱に五つ釘抜き」の家紋は、「三階菱」と「釘抜」という家紋を組み合わせたもの。
この家紋には、「三好長慶」が、「清和源氏・小笠原氏」の一族であることを意味している。
3,「三好長慶」の家紋に組み込まれている「釘抜紋」は、「くぎぬき」、つまり
「九城(くき)を抜く(ぬく・攻め落とす)」
という意味で解釈され、「城を攻め落とす」という言葉に通じるため、戦国武将にとっては、とても縁起の良いものだった。
以上となります。
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