三好長慶のすべてを徹底解説!子孫・家系図や因縁の名刀など完全網羅

皆さんは「三好長慶(みよし ながよし)」を、ご存知でしょうか?

 

実は「三好長慶」について、くわしく知っている方は、それほど多くないみたいです。

 

この記事では「三好長慶のすべて」を、わかりやすく、みじかく、カンタンに解説いたしました。

 

今は「三好長慶」について、漠然としか知らなかったとしても、大丈夫です。

 

これを読めば、誰かに説明できるほど、「三好長慶」に詳しくなれます。

 

この記事を読んで、「三好長慶」についての疑問を、スッキリと解消していただけたら、これほど嬉しいことはありません。


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歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

 

1,「三好長慶」とは、「織田信長」が【1568年】に「足利義昭」を連れて上洛する以前に機内を制覇していた、事実上の天下人だった人物

 

2,「三好長慶」の家紋は「三階菱に五つ釘抜(さんがいびしにいつつくぎぬき)」

 

3,「長慶」の子孫は、娘を通じて広島藩「浅野家」に仕え、明治維新まで存続している

【三好長慶】とは何者か?何をした人なのか解説

「三好長慶(みよし ながよし)」

《三好長慶》
「引用元ウィキペディアより」

 

「織田信長」が【1568年】に「足利義昭」を連れて上洛する以前に機内を制覇していた、事実上の天下人だった人物です

 

「三好長慶」は支配していた地域は、当時日本の戦国武将たちの中でも最大級でした。

 

近畿地方のみならず、その支配は四国にまで及ぶものだったのです。

 

現在の「大阪府」「京都府」「兵庫県」「滋賀県」「三重県」「徳島県」「香川県」にまで、「三好長慶」の勢力は及んでいました。

 

「三好長慶」・・・名前はあまり有名ではありませんが、信長よりも前に「天下を支配していた人物」なのです。


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【三好長慶】の「家紋」

「三好長慶」の家紋は「三階菱に五つ釘抜(さんがいびしにいつつくぎぬき)」というものです。

《三階菱に五つ釘抜(さんがいびしにいつつくぎぬき)》
「引用元ウィキペディアより」

 

この家紋は「菱紋」という家紋と、「釘抜紋」という家紋と、二つを組み合わせたものです。

 

「菱紋」は、「武田信玄」など数多くの大名が使用していました。

 

「釘抜紋」は、昔の「釘抜き」につかった座金と呼ばれるもののデザインを利用したもの。

 

この「三階菱に五つ釘抜」家紋の下にある、「5つのひし形」、これが「釘抜紋」です

 

「釘抜(くぎぬき)」には「九城(くき)を抜く」・・・すなわち「9つの城を攻め落とす」という意味と通じるものがあるとして、戦いに縁起が良いと考えられていました。


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【三好長慶】の子孫と家系図

三好長慶の子孫は、広島藩「浅野家」に仕えて、明治維新まで存続しています。

 

広島藩に仕えていた最中、広島新田藩の藩主「浅野長賢」の息子「房高」を養子として「三好家」を継承させているのです

 

このことからわかるのは、「広島藩において、三好家はとても格式の高いお家だった」ということでしょうね。

「《三好長慶の家系図》
家系図の引用などはご遠慮くださいませ」

 

この「広島藩」のほかにも、三好長慶の子孫は数多くいたと考えられます。

 

さらに、三好氏は「長慶」以外にも、「十河(そごう)氏」や「安宅(あたぎ)氏」など、数多くの一族が各地で活躍していました。

 

そのため、その子孫・末裔は各地に無数に存在していたと考えられます。


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【三好長慶】の居城「飯盛山城」について(飯盛城)

「飯盛山城」の歴史

三好長慶の居城は、現在の「大阪府大東市」から「四條畷市」にまでまたがる巨城、「飯盛山城」または「飯盛城」でした。

もともとこの「飯盛山城」は、南北朝時代(14世紀中期)に、名将「楠木正成」の息子「楠木正行」がこの城で戦っているようです。(現在は、「楠木正行」の像が建っている)

 

1560年】、三好長慶は、この「飯盛山城」を敵から奪い取りました。

 

その後、自分の居城として改修。

 

南北1200m、東西500m、曲輪(砦)が合計70以上という、とてつもなく巨大な要塞へと生まれ変わることとなります。

 

しかし【1568年】、織田信長が京都へ進軍してくると、飯盛山城も降伏。

 

その後、信長に逆らう反乱軍によって支配されるも、信長に奪い返され、【1576年】、信長によって廃城とされました。

 

おそらく「巨大で強力な飯盛山城が、敵の手に渡ってしまう危険性」を考慮して、廃城としたのでしょう。

「楠木正成・正行」と「横井小楠」

余談ですが、この城跡に建てられている像「楠木正行」公は、父「正成」が「大楠公(だいなんこう)」と呼ばれたことに対して、「小楠公(しょうなんこう)」と呼ばれました。

 

この「小楠」という名前は、幕末の偉人「横井小楠」が名乗った「小楠」という号の由来となっています。

 

「横井小楠」は、「坂本龍馬」に「船中八策」の基礎を教えた一流の学者です。

 

「小楠」と名乗ったわりには、「横井小楠」は「楠木正成・正行」の宿敵「北条高時」「北条時行」の末裔であったと言われています。


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【三好長慶】の拠点だった「大阪府大東市」

「三好長慶」の「武者行列まつり」

三好長慶の拠点であった現在の「大阪府大東市」には、「三好長慶」の歴史を今に伝える「武者行列まつり」というものが行われています。

 

無数の武者姿をした人々が、天下人「三好長慶」の御威光を思いながら、行列をつくって練り歩く、というとても華やかで楽しいお祭りなのです。

 

正式名称は「三好長慶公武者行列 in 大東」。

 

毎年「3月上旬頃」に開催されているみたいですね。

 

一般参加型の武者行列で、数百人が参加しています。

 

2019年に「第3回・武者行列まつり」が行われました。

 

ただ、2020年の「第4回大会」は、「コロナウイルス」の影響で中止が決定。

 

この年は、大河ドラマ「麒麟がくる」が放送され、そこで「山路和弘さん」が演じる「三好長慶」が登場していました。

 

そんな年に限って中止とは、とても残念です・・・。

「三好長慶」の銅像は、どこにある?

天下人「三好長慶」の像は、2ヶ所に建てられています。

 

どちらも、三好長慶の本拠地である「大阪府」にあります

 

一つは「大阪府大東市」。

 

もう一つは「大阪府堺市堺区」に建てられています。

 

堺市の像は、坐像・・・つまり座禅を組んだような姿の像です。

 

これに対して「大東市」は、甲冑を着た姿の像です。

 

個人的には「大東市」の像のほうが、威厳を感じさせている気がします。


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【三好長慶】の愛刀と、伝説の名刀「左文字」の因縁

三好長慶は、数多くの名刀を所持していたことで有名です。

  • 大般若長光・・・(東京国立博物館が所蔵)、徳川家康の孫「松平忠明」が所持していた
  • 岩切海部
  • 正宗短刀
  • 不動国行
  • 安宅貞宗・・・(別名・水に降る雪)

さて、「三好長慶」が所持したわけではないのですが、「左文字」という、「伝説の名刀」をご存知でしょうか?

 

この「左文字」は、三好長慶の宿敵「三好政長」こと「三好宗左(そうざ)」という人物が所持していた代物です。

 

「左文字」には、数々の名前がつけられています

  • 「三好左文字」
  • 「宗三左文字」

そして「義元左文字」

 

全て、「左文字」を所持していた人物の名前を元につけられた名前であり、同じ刀のことです。

 

「左文字」には、「天下を狙うものが所持する名刀」という因縁が込められているのだとか。

 

この「左文字」は、元々「三好宗左」が所持していましたが、「武田信玄」の父「武田信虎」へと送られました。

 

信虎は、娘を「今川義元」に嫁がせる際に、この「左文字」を「今川義元」に贈ります。

 

義元はこの刀を腰に帯びて、「桶狭間」へ出陣。

 

「桶狭間の戦い」で「織田信長」は、義元を討ち取って「左文字」を奪取。

織田尾張守信長

永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀

(永禄3年5月19日、今川義元を討ち果たした際に、義元が所持していた刀)

信長は刀に、このように刻ませ、自らの愛刀とします。

 

その後、刀は「豊臣秀吉」「豊臣秀頼」「徳川家康」と、所持するものを代え、最期は「徳川家」の将軍へ、代々受け継がれてきました。

 

家康はこの「左文字」を、差して「大坂の陣」を戦ったと言われています。

 

明治2年、明治天皇は「織田信長」をまつる「建勲神社(たていさおじんじゃ)」を創建。

 

そこに「義元左文字」を寄進。

 

現在は、建勲神社から「京都国立博物館」へと寄託されています。

「左文字を持つものは天下を制す」

そんな伝説が噂されています。


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【三好長慶】の墓

「三好長慶」のお墓は、各地に複数あります。

  • 「大阪府八尾市」の真観寺
  • 「京都府京都市」の大徳寺聚光院
  • 「大阪府堺市」の南宗寺

 

特に京都市の「大徳寺聚光院(じゅこういん)」は、三好長慶の養子であり後継者だった「三好義継」が【1566年】建立したものです。

 

この聚光院には、「三好長慶」だけではなく、

  • 祖父「三好之長」
  • 父「三好元長」
  • 弟「三好実休」
  • 弟「安宅冬康」(兄「三好長慶」に暗殺された)
  • 養子「三好義継」

の位牌もあります。


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【三好長慶】の勢力

三好長慶の勢力は、近畿地方から四国「阿波」まで、かなり広範囲に至っています。

 

当時は「近畿地方」を《天下》と呼んでいました。

 

織田信長が「天下布武」という印を使用していたことは有名ですが、それは「日本全国を武力で統一する」という意味ではなく、「近畿地方を武力で統一する」という意味だったのです。

 

三好長慶は、その「近畿地方」と「四国・阿波」を支配していたので、まさに「天下を支配する者」すなわち「天下人」だったのです。

 

全盛期の「長慶」の領地は

  • 「山城」
  • 「丹波」
  • 「和泉」
  • 「阿波」
  • 「讃岐」
  • 「淡路」
  • 「播磨」
  • 「近江」
  • 「伊賀」
  • 「河内」
  • 「若狭」

実に11カ国に及び、支配地域の人口も、戦国大名たちのなかでは最多でした。

 

間違いなく、三好長慶は、当時の戦国大名たちから「天下人」「最強」と見られていたはずなのです。

 

領地の広さでいえば、当時は関東の「北条氏康」の、同じくらいの領地を持っていたと考えられています。

 

しかし、関東と京都を中心とする「近畿」では、そもそも人口が違いすぎます。

 

そのため、三好長慶のほうが、チカラは圧倒的に強かったと言えます。

 

織田信長と同じように、「経済」を重視して、強力な水軍をつかい貿易を独占した「三好長慶」。

 

その軍団は、最新式の装備でかためられ、かなり強力だったと言われています。


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【三好長慶】と【三好政長(宗左)】の戦い

三好長慶といえば、同族の宿敵「三好政長(別名・三好宗左)」との戦いが有名です。

 

「三好政長」といえば、先ほどご紹介した「左文字」という刀を持っていた野心家。(三好政長は、「三好三人衆」の一人「三好宗渭(みよし そうい)」の父)

 

「三好長慶」と「三好政長(宗三)」は、遠い親戚の関係です。

 

「政長」と、「長慶」は、主君「細川晴元」を巻き込んで権力争いを開始。

 

「細川晴元」は、「三好政長」につきました。

 

「長慶」は、【1549年】の「江口の戦い」で「三好政長」を討ち取っています。

 

これにより室町幕府の管領「細川晴元」は逃亡。

 

長く室町幕府を支配してきた「細川政権」は、こうして崩壊したのです。

 

これにより「三好長慶」は一気に日本有数の勢力をつくりあげ、天下人へとかけあがることになります


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『三好長慶』が亡くなったその後、何が起こったか?

「三好長慶」が亡くなった後、三好家では「三好三人衆」と呼ばれる有力家臣が権力を握ります。

 

「三好三人衆」とは

  • 「三好長逸」
  • 「三好宗渭(みよしそうい・三好政長の息子)」
  • 「岩成友通」

 

そしてその「三好三人衆」を倒したのが、「織田信長」。

 

1568年】、信長は6万の大軍団で京都へ進軍(上洛)

 

これに対して、「三好三人衆」は徹底抗戦するも敗北。

 

最終的には信長に降伏しています。

 

三好長慶の死後、織田信長が「三好三人衆」を討ち果たし、天下を握ることとなります。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,「三好長慶」とは、「織田信長」が【1568年】に「足利義昭」を連れて上洛する以前に機内を制覇していた、事実上の天下人だった人物

 

2,「三好長慶」の家紋は「三階菱に五つ釘抜(さんがいびしにいつつくぎぬき)」

 

3,「長慶」の子孫は、娘を通じて広島藩「浅野家」に仕え、明治維新まで存続している

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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