斎藤道三が使った2つの家紋!画像付きでその由来をわかりやすく解説

皆さんは「斎藤道三が使った家紋」を、ご存知でしょうか?

 

実は「斎藤道三の家紋」について、くわしく知っている方は、それほど多くないみたいです。

 

この記事では「道三の家紋」を、画像付きで、その意味などをわかりやすく、みじかく、カンタンに解説いたしました。

 

今は「道三の家紋」について、漠然としか知らなかったとしても、大丈夫です。

 

これを読めば、誰かに説明できるほど、「道三の家紋」に詳しくなれます。

 

この記事を読んで、「道三の家紋」に対する疑問を、スッキリと解消していただけたら、これほど嬉しいことはありません。


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歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。 どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

 

1,斎藤道三は「撫子紋(なでしこもん)」と「二頭波紋(ふたがしらなみもん)」という2つの家紋を使用していた

 

2,「撫子紋」とは、「なでしこ」の花を描いた家紋。夏に咲きみだれる「なでしこ」のように、家も富み栄えるように、との願いが込められた家紋

 

3,「二頭波紋」とは、「斎藤道三」みずから考え出した家紋。描かれた「波」が「兵法」にも通じるため、道三はこの家紋を描き、使用した

斎藤道三が使った『撫子紋』と『二頭波紋』

斎藤道三は、「撫子紋(なでしこもん)」と、「二頭波紋(ふたがしらなみもん)」という、2つの家紋を使っていました。

《斎藤道三》
「引用元ウィキペディアより」

もともと道三は、「松波庄五郎」という名前だったのですが、美濃国の守護代だった「斎藤家」の苗字を乗っ取り、「斎藤」と名乗るようになったのです。

 

「斎藤」を名乗るようになると同時に、「道三」は斎藤家の家紋「撫子紋」を使うようになりました。

 

「撫子紋」だけではなく、道三はオリジナルで「二頭波紋」という家紋を自らデザインし、使用し始めます。

 

「水は方円の器に随う」

(みずは、ほうえんのうつわにしたがう)

 

この「ことわざ」は、「水とは器に入れればその器の形にしたがって、自由自在に形を変化させる」という意味です。

 

この言葉は、「兵法」、つまり「戦争のやり方」にも通じるものがあります。

 

戦い方は変幻自在であるべきで、型にハマってはいけない、ということです。

 

この「変幻自在」の「水」または「波」というものに強く興味を惹かれた道三は、「二頭波紋」という家紋をつくって使用し、その「変幻自在」さを常に心がけていたようです


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斎藤家の家紋「撫子紋(なでしこもん)」の由来

「撫子紋」とは、日本における「秋の七草」の一つである「撫子(なでしこ)」を描いたもの。

《撫子紋・なでしこもん》
「引用元ウィキペディアより」

 

撫子の花は、古くから日本で愛されてきたお花です。

 

「万葉集」や「枕草子」にも、「なでしこ」の花は登場しています。

 

常夏(とこなつ)

 

「撫子」の花は、「常夏(とこなつ)」とも呼ばれています。

 

撫子は、「夏」に盛大に咲きほこる花です。

 

そのため、「撫子」が家紋とされたのは

「夏に咲きほこる撫子のように、これを家紋とした家も、大いに富み栄えるように」

という願いが込められているのでしょう。


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道三がつくった家紋「二頭波紋(ふたがしらなみもん)」の由来

「二頭波紋」とは、「斎藤道三」が自らデザインして使った家紋です。

【二頭波紋】
「引用元ウィキペディアより」

 

この「二頭波紋」には、いくつかの込められた意味があると言われています。

 

「水は方円の器にしたがう」というように、「孫子の兵法」にある「兵は詭道(きどう)なり」、つまり「戦争は騙し合いであり、常に形を変えて、臨機応変に戦うべきである」という言葉にも通じるとかんがえられます

 

「波は押しては引き、敵を包み込むようにして、岩をも砕くことがある」

 

この家紋の右にある3つの点と、左側にある2つの点は、「世の中には割りきれる物と割りきれない物がある」ということを表しており、「何かに執着するのではなく、相手に応じて臨機応変な行動を取るべし」という教訓が隠されています。

 

道三は、この「二頭波紋」に込められた意味を守り、宿敵であった「土岐一族」や「織田信秀」を、変幻自在に翻弄して、常に勝利をおさめ続けてきました。

 

そんな名将「斎藤道三」ですが、最期は息子「斎藤義龍」の能力を見誤り、命を落とすこととなります。


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『斎藤道三』について「ひとこと」いいたい

「道三」は変幻自在・神算鬼謀の名将でしたが、最期の最期でしくじり、息子「義龍」に討たれました。

《斎藤義龍》
「引用元ウィキペディアより」

「斎藤義龍」は、父「道三」から、常に「愚か者」と呼ばれて、さげすまれていました。

 

そして「道三」は、義龍の弟である「孫四郎」「喜平次」を「賢い」と言ってかわいがったのです。

 

「斎藤義龍は、道三の子ではなく、実は道三の宿敵『土岐頼芸』の息子」

 

実は当時から、こんな噂がありました。

 

道三からすると、「息子が実は違う男の息子だ」と言われれば、屈辱的であったはず。

 

しかし道三は、そんな噂をも利用して

美濃国の守護「土岐頼芸」の血を引く我が子「義龍」こそが、美濃国の正当な継承者であり支配者である

と主張し始めます。

 

まさに変幻自在です。

 

ところが道三は、そんな息子「義龍」に裏切られ、かわいがった子供たち「孫四郎」「喜平次」とともに命を落とします。

 

道三は、「兵法を利用しすぎて、息子すらも利用し、最期は息子からの信頼を失った」ため亡くなったのかもしれません。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,斎藤道三は「撫子紋」と「二頭波紋」という、2つの家紋を使用していた

 

2,「撫子紋」とは、日本の花「なでしこ」を模した家紋で、夏に咲き誇る「なでしこ」のように、家も栄えるように、という願いが込められた家紋

 

3,「二頭波紋」とは、斎藤道三がみずからデザインした家紋。「波」が「兵法」にも通じるため、道三はこの家紋を描き、使用した

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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