渋沢栄一の子孫と家系図を、ひと目でわかる画像付きで超カンタン解説新選組・局長「近藤勇」の性格はどんなだったのかを、わかりやすく解説します。
近藤勇の「逸話」や「名言」、周囲の人間の話から、その性格がよくわかる。
「温和でお茶目、それでいて信念を持ち、わがままとも言われる頑固者」
その性格のおかげで、土方歳三が「鬼」の役を演じることとなったのでした
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この記事を短く言うと
- 近藤勇の性格は「勇敢で、心優しく愛嬌があり、それでいて強い信念と志をもち、頑固だった」
- 近藤勇の名言「忘れてはならぬものは『恩義』、捨ててはならぬものは『義理』、与えるべきは『人情』」
- 坂本龍馬と近藤勇の血を引く子孫が、現在も生きている。「水曜日のダウンタウン」という番組に登場していた
近藤勇の性格とは?逸話と証言から、その性格を検証
近藤勇(こんどう いさみ)
幕末の日本で、「新選組」という剣豪集団による「警察組織」を結成し、京都の治安維持に貢献した人物です。
剣豪集団「新選組」のトップ「局長」として活躍。最期は斬首刑によって「1868年5月17日」に亡くなっています。
近藤勇とは、どういう性格の持ち主だったのでしょうか?
周囲の人間の証言を頼りに、探ってみたいと思います。
近藤勇の性格・・逸話と証言
近藤には、数々の逸話や証言があります。
まずは有名な「逸話」をご紹介します。
・口に「こぶし」をまるまる入れることが出来た。これは戦国武将「加藤清正」と同じ特技で、近藤は「清正公と同じように立身出世したいものだ」と語っていた
・暇があったら刀の話に熱中した。刀が好きで、「脇差は長いほうが良い」と持論を展開する手紙が現存している。
・美しい女性との結婚を断り、美しくない女性「つね」と結婚した。「美しくない女性は浮気をせず、おしとやかだ。そんな人を妻にしたい」と言っていた。
・三国志の英雄「関羽」にあこがれていた
・忠臣蔵の主人公「大石内蔵助」にあこがれていた
・15歳の頃、自宅に盗みが入った。戦おうとする兄を静止して「立ち去る時を狙って襲ったほうがよい」といい、しばらく待った。盗みを終えた盗賊が帰ろうとするときに、近藤勇と兄が襲いかかると、盗賊は盗品を捨てて逃亡。追いかけようとした兄をふたたび静止して「窮鼠猫を噛む。追わずにおこう」といい、無傷で盗賊を追い払うことに成功した
・処刑される際、一緒に捕まった仲間「野村利三郎(のむらりさぶろう)」「相馬主計(そうまかずえ)」という二人の命乞いをした。「自分を処刑できればそれだけで大手柄だろう。二人は助けてほしい」と言い、二人は命を救われた
これらの証言をみると、近藤勇という人が
・「好きなことに夢中になれる無邪気な愛嬌ある人」
・「華よりも実をとる性格であった」
・「大石内蔵助・関羽など、忠誠心にあつい人物に憧れる傾向がある」
・「度胸があり、冷静に物事を見極める目がある」
・「仲間を助ける度量と勇気がある」
という性格がわかると思います。
次に、近藤勇を知る人達の「証言」を取り上げてみましょう。
・思慮が足りない人だった。「根岸友山」
・強情者だった。「田島応親」
・潔癖すぎて、少しでも部下が間違えるとガミガミと侮辱する人だった。「結城無二三」
・一徹者で短慮な人だった。「西村兼文」
・おべっか使いだった。「中村維隆」
・蛮骨をもって鳴らしただけのわがままものだった。「永倉新八」
・温厚な人だった。決して無鉄砲な乱暴者ではない。「渋沢栄一」
・愛嬌があって、いつもにこにこと笑っていた。「八木為三郎」
・ニコニコしていると「えくぼ」が出来る、とても優しい人ですよ。「佐藤俊宣」
・古今無双の人傑なり。「島田魁」
・賢く勇敢。事にあたっては動じることはなく、臨機応変な策も繰り出す。度量が大きく、主将の器であった。「中島登」
・武勇と豪胆さでは抜きん出ていて、寡黙な人だった。多くの豪傑を束ねたのもうなずける。「江川太郎左衛門」
・豪胆な男らしい男だった。「中西君尾」
・背が高くて色黒で、中肉で痘痕(アバタ・水疱のあと)があった。落ち着きがあって見事な武士だった。「西村捨三」
これらをまとめると、こんな感じになるでしょう
「優しく温和で愛嬌があり、それでいて頑固でわがままで融通が利かない。勇敢で見るからに落ち着きがあり、強そうだった」
頑固・わがまま・融通が利かないというのは、言い換えれば「大きな志をもっていて、容易に曲げない人だった」ということでしょう。
「偉人」と呼ぶにふさわしい人だったのではないでしょうか。
近藤勇が残した名言!辞世の漢詩が泣ける!
ここでは「近藤勇」が残した名言をまとめてご紹介します。
・忘れてはならぬものは 恩義
・捨ててはならぬものは 義理
・人にあたえるものは 人情
・繰返してならぬものは 過失
・通してならぬものは 我意
・笑ってならぬものは 人の失敗
・聞いてならぬものは 人の秘密
・金で買えぬものは 信用・生きようという雑念が少しでもあると、どうにもなりません。死ぬ気になると敵のスキが見えます。そのスキに突っ込むことです。
・英雄ではないものこそが、真の英雄である
・井の中の蛙大海を知らず。しかし、空の青さを知る
・辞世の詩・・・・・・援軍もなく、敵に捕縛される身となった。君主の恩を思い出して、涙が流れる。ひとかけらの真心しか持たない私でも、節度を持って死ぬ作法くらいは知っている。はるか昔、主君のために「推陽」という土地を守った者たちと、わたしも同じ心持ちである。節度を曲げて、何を言うことがあるだろうか。命よりも義を優先することこそ、私の望むところである。
この言葉をみると、近藤勇という人が、筋の通った一徹者であることがわかります。
おそらく、他人を惹きつける、強い魅力を持った人だったのでしょう。
近藤勇と坂本龍馬の子孫!二人の血を引く末裔がいた
近藤勇の子孫は、今も続いているのでしょうか?
実は、「坂本龍馬」と「近藤勇」、両方の血を引く末裔が存在しているのです。
近藤勇と坂本龍馬といえば、宿敵同士。「龍馬暗殺」は、近藤の犯行ではないか?と疑われたこともあるほど。
2016年12月21日放送のテレビ番組「水曜日のダウンタウン」に、その子孫「坂本悠馬」さんが出演していました。
正確にいえば、父方が「坂本龍馬の兄」で、母方が「近藤勇」なのだとか。
龍馬には子供がいませんでしたから、末裔というのは正確にはちがうのかもしれませんが、それでも双方と血を引くとは、すごいことではないでしょうか。
『近藤勇』について「ひとこと」言いたい!
近藤勇は、「温和で人を魅了する人徳の人」だったのでしょう。
となると、近藤勇の盟友「土方歳三」は、その事を知っていて「鬼の副長」を演じていたのではないでしょうか。
近藤勇が、その魅力で人材を集める。そして集まった人材を、鬼の土方歳三が徹底的に締め上げて統率する。
土方歳三が鬼であればあるほど、近藤勇の評判は上がっていくでしょう。
二人はそのように「明確な役割分担がされていた関係」だったのではないでしょうか。
近藤勇という「魅力的な求心力」を失ったあと、「五稜郭の戦い」で土方は「仏」と称されるほど優しくなったと言われています。
近藤を失ったため、自分が鬼である必要がなくなり、仏の役をやらなくてはならないと気がついたのでしょう。
近藤がいたために、土方はそんな役回りを演じていたのかもしれません。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 近藤勇は「温和で優しく、それでいて強い信念をもつわがまま者で、勇敢な人」だった
- 近藤勇の名言「井の中の蛙大海を知らず。しかし、空の青さを知る」
- 坂本龍馬と近藤勇、両方の血をひく子孫が、今現在も続いている。
以上となります。
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