真言宗の開祖である名僧「空海(くうかい)」。
そして、ことわざ「弘法にも筆の誤り」で知られている僧侶「弘法大師(こうぼうだいし)」。
この二人が「同一人物」であることを、ご存知でしょうか?
どうして「2つ」もお名前があるのか?
「空海」はなぜ、「弘法大師」と名乗ったのでしょう?
実は空海、生涯で一度も「弘法大師」と名乗ったことはなかったのです。
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この記事を短く言うと
- 「空海(くうかい)」と「弘法大師(こうぼうだいし)」は、同一人物。
- 「弘法大師」という名前は、「空海」の死後、その功績をたたえるためにおくられた「諡(おくりな)」
- 「空海」とは、「唐(現在の中国)」へと留学し、「真言密教」という仏教の教えを持ち帰り、「真言宗」という宗派を開いた名僧
空海と弘法大師・・・・二人は同一人物だった
「空海」と「弘法大師」・・・この二人、実は同一人物です。
正確にいえば、「空海(くうかい)」という人物の別名が「弘法大師(こうぼうだいし)」なのです。
空海といえば、和歌山県の「高野山」にある「金剛峯寺」を開いた平安時代のお坊さんです。
そもそも「空海」というお名前は、法名(ほうみょう)。
空海の本名は「佐伯 真魚(さえき まお)」さんです。
「法名」とは、すなわち「仏の弟子となったものに与えられるお名前」です。
「謙信」も「信玄」も、出家したことで与えられた「法名」です。
キリスト教でも、入信することで「クリスチャンネーム」が与えられますが、それと同じことです。
例えば「織田信長」を殺害した「明智光秀」の娘「お玉」さんは、キリスト教に入信して「ガラシャ」というお名前をもらっています。
話を戻しましょう。
彼は「空海」というお名前の他にも「教海」「無空」「如空」などの法名を名乗ったと言われています。
本名が「佐伯真魚(さえきまお)」。
法名が「空海(くうかい)」。
では「弘法大師」ってお名前は、いったい何なのでしょうか?
なぜ「弘法大師」と名乗ったのか?
空海は、なぜ「弘法大師」を名乗ったのでしょうか?
実は、この「弘法大師」というお名前、空海が名乗ったわけではありません。
「弘法大師」とは「諡(おくりな)」なのです。
「諡」・・・・すなわち「死後に送られた名前」が「弘法大師」なのです。
例えば「比叡山・延暦寺」を開いた「天台宗」の開祖「最澄(さいちょう)」は、「伝教大師(でんぎょうだいし)」という「諡」をおくられました。
諡(おくりな)とは、その方が生きているうちに成し遂げた「偉大な功績」をたたえるために与えられるもの。
「弘法大師」とは、「空海」という「偉大な僧侶」に与えられた「ご褒美的な名前」なのです。
では、「弘法大師・空海」は、そもそも何をした人なのでしょうか?
そもそも「空海」とは、何をした人なの?
空海は、どんな功績を残して「弘法大師」という立派な「諡」を与えられたのでしょうか?
ひとことで言ってしまうと、空海の功績は「真言宗という仏教の宗派を開いたこと」です。
仏教には、いくつもの「宗派」があります。
空手などの武術に「〇〇流」という流派があるように、仏教にも「真言宗」や「天台宗」「浄土宗」「日蓮宗」など、数々の宗派があるのです。
これらの宗派は全て、同じ「お釈迦さま」が広めた仏教の教えであっても、「考え方」や「解釈の仕方」が異なっています。
例えば、「浄土宗」では「なむあみだぶつ」と言えば極楽へ行ける・・・とされています。
対して「浄土真宗」では「なむあみだぶつ」と言うまでもなく、念じるだけで極楽へ行ける・・・など、お釈迦さまの教えに対しての解釈の仕方が、微妙に異なるのです。
そんな日本における仏教の根本を作り上げたのが「空海」。
空海は、当時世界最大の国だった「唐(現在の中国)」へと留学し、「真言密教」という当時は世界最先端の「宗教の教え」を日本へ持ち帰りました。
和歌山県の「高野山」で「金剛峰寺」というお寺を開き、また京都「東寺」を天皇から与えられ、「真言宗」という新しい宗派を開いたのでした。
高野山・金剛峰寺はその後、数々の名僧や学識をうみだし、日本の仏教の根本となっていきます。
有名な「比叡山・延暦寺」の開祖「最澄」と並んで賞されることの多い「空海」ですが、実は「最澄」は「空海」に弟子入りしていた・・・なんて事実もあるほど、空海は優秀な人物だったのです。
空海の逸話!「弘法にも筆の誤り」
現在でも「弘法大師」というお名前は、有名な「ことわざ」に使われていますね。
「弘法にも筆の誤り」
弘法大師・空海は「書家」、すなわち「文字がとても上手な人」としても有名でした。
そのため、平安京の入り口「応天門(おうてんもん)」に掲げる「看板」の文字を、弘法大師が書くこととなったのです。
ところが、弘法大師はあろうことか「応天門」の「応」の字の点を、一つ書き忘れてしまいました。
それを見て、人々は「弘法にも筆の誤り」。すなわち「弘法大師のような名人・高僧でも、失敗することがあるものだ」と噂したのでした。
「弘法筆を選ばず」
なんていうことわざがあります。
「達人は道具を選んだりはせず、どんな道具でも一定の結果を出すことができる」
という意味ですね。
空海・・・・今から約1200年前の「835年」に亡くなったのですが、「真言宗」では今も、「空海上人は高野山で生きて、お祈りしておられる」とされ、毎日の食事を「空海の部屋」へ運ぶことが、慣習となっているようです。
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ちなみに高野山は、2004年に世界遺産に認定。
現在では、数々の名所を持つ観光地としての一面もあるようです。
空海は、各地を旅した僧侶としても有名です。
出身地である「四国」の「八十八ヶ所」も、もともとは空海に因んだもの。
数々の温泉を見つけたとも言われているのです。
俳優の「染谷将太」さんが主演をつとめた映画「空海」も、かなり話題になりました。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 空海と弘法大師は、同一人物。
- 「弘法大師」とは、空海の死後におくられた「諡(おくりな)」
- 空海とは、唐(現在の中国)へ留学し、「真言密教」という仏教の教えを持ち帰って「真言宗」という仏教の宗派を開いた名僧
- 弘法大師・空海の名前は、「弘法にも筆の誤り」ということわざで、今も広く知られている。
以上となります。
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