【年表あり】源頼朝とはどんな人?何した人なのか簡単にわかりやすく解説

源頼朝(みなもとのよりとも)とは、どんな人なのかを、簡単にまとめると、以下のとおりです

  • 源頼朝とは、鎌倉幕府という臨時政府をつくった人物。
  • 頼朝は、鎌倉幕府という臨時政府をつくり、それまで日本を支配していた公家にかわり、武家が日本を支配する体制をつくり上げた。
  • 頼朝は、父・義朝の仇である平家一門と、実弟・源義経を倒し、日本全国を支配した後、落馬が原因で亡くなった。

この記事では源頼朝について、わかりやすく、みじかく、カンタンに解説いたしました。

これを読めば、誰かに説明できるほど、源頼朝に詳しくなれます。


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源頼朝とは、どんな人?

源頼朝とは、鎌倉幕府という臨時政府をつくった、今から約800年前の人物です。

《源頼朝》
「引用元ウィキペディアより」

【名前】源頼朝

【妻】北条政子

【弟】源義経

【父】源義朝

【義父】北条時政

【義弟】北条義時

【あだ名】鎌倉殿(かまくらどの)

【生年月日】1147年5月9日

【没年月日】1199年2月16日


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源頼朝とは、何をした人なの?

源頼朝とは、武家による臨時政府である幕府を、初めて誕生させた人物です。

頼朝は、鎌倉幕府という臨時政府を誕生させて日本を支配した、武士のトップに君臨したお人。

日本の支配権をお公家さんから奪い取った人、それが源頼朝なのです。

当時の日本では、天皇を頂点にお公家さんによって組織された「朝廷」という政府が、日本を支配していました。

朝廷が日本を支配していた時代は、天皇やお公家さんにとって都合の良い政治が行われ、武士にとって全く都合のよくない政治が行われた時代でした。

鎌倉幕府が誕生するまで、日本は武士の世ではなく、公家の世だったのです。

頼朝は、本来の政府である朝廷にかわって政治をおこなう「鎌倉幕府」という臨時政府を樹立することに成功します。

これにより、公家が支配していた日本を、今度は武家が支配するようになるのです。

日本はその後、幕府という臨時政府によって支配される形が、明治維新まで約700年も続くことになります。

源頼朝は、武士のための世の中をつくった人物なのです。

 

朝廷や幕府とは何なのかについては、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。

『【朝廷とは】世界一わかりやすく簡単に解説!幕府との違いはなに?』の記事はコチラ
『【幕府とは】わかりやすく小学生向けに簡単解説!朝廷との違いとは』の記事はコチラ


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源頼朝の年表

源頼朝の生涯を、ザッと年表にすると、以下のとおりです。

  • 1147年(1歳)、源頼朝誕生
  • 1159年(13歳)、平治の乱
  • 1159年(13歳)、伊豆へ流罪
  • 1177年(31歳)、北条政子と結婚
  • 1180年(34歳)、平家打倒の挙兵・石橋山の戦い
  • 1181年(35歳)、平清盛病死
  • 1184年(38歳)、木曽義仲を討伐
  • 1185年(39歳)、平家滅亡・壇ノ浦の戦い
  • 1185年(39歳)、鎌倉幕府誕生
  • 1189年(43歳)、源義経自害・奥州合戦
  • 1192年(46歳)、征夷大将軍に就任
  • 1199年(53歳)、落馬が原因で死去


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源頼朝の生涯を、簡単にわかりやすく解説!

ここでは、源頼朝の生涯を、ザッと簡単に解説させていただきます。

源頼朝の誕生

1147年、源頼朝は、源義朝の三男として誕生します。

父・義朝は、1156年に起こった保元の乱(ほうげんのらん)という戦乱において、後白河天皇に味方して平清盛と協力し、敵方であった実父・源為義と戦い勝利。

勝利した義朝は父・為義を処刑して出世したものの、ライバルの清盛との出世レースに出遅れていました。

これに焦った義朝は平清盛を出し抜こうと、後白河法皇お気に入りの公家・藤原信頼と協力し、平清盛に戦いを挑んだのでした。

平治の乱(へいじのらん)の始まりです。

平治の乱と流罪

1159年の平治の乱で、源義朝は頼朝とともに平清盛に挑んだものの、あっけなく敗北。

義朝は逃亡の途中で部下に裏切られて命を落とし、頼朝は清盛の手に捕らえられました。

このとき清盛の継母・池禅尼(いけのぜんに)が、源頼朝の助命を嘆願します。

なぜ清盛の継母が、頼朝の命乞いをしたのかというと、まだ13歳だった頼朝の顔が、若くして亡くなった清盛の異母弟で池禅尼の子・家盛に瓜二つであったためです。

池禅尼や後白河法皇の助命嘆願によって、源頼朝は死罪から減刑されて、流罪となります。

こうして頼朝は伊豆へと流され、幽閉生活をおくることとなるのです。


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北条政子との出会い

伊豆へ流罪となった源頼朝は、軟禁され、監視される生活をおくります。

そんな中で、頼朝はその地の豪族・伊東祐親(いとう すけちか)の娘・八重姫と恋に落ち、千鶴丸という子供を授かります。

それを知った伊東祐親は、最高権力者・平清盛の逆鱗に触れることを恐れ、千鶴丸を松川に沈めて処刑。

八重姫は江間小四郎という男性と再婚させられ、頼朝は伊東祐親に命を狙われたものの、北条時政にかくまわれて危機を脱します。

すると、頼朝は今度は北条時政の娘・北条政子と恋仲になります。

北条政子
「引用元ウィキペディアより」

父・時政の反対を押し切って二人は、なんとまたしても結婚してしまうのでした。

余談ですが伊東祐親は、のちに源頼朝との戦いに敗北し、孫・千鶴丸を死なせた罪を後悔して自害しています。

 

北条政子については、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。

『【年表あり】北条政子とはどんな人?何した人なのか簡単にわかりやすく解説』の記事はコチラ


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平家打倒の挙兵と、鎌倉幕府の誕生

北条政子と結婚した3年後の1180年、後白河法皇の息子・以仁王(もちひとおう)から、「平家を倒せ」という命令が全国へ発せられます。

圧倒的な権力を握り自分たちにとって都合の良い政治を行っておごりたかぶった平家に対して、以仁王や全国の武士たちの怒りが爆発したのです。

頼朝はこの平家打倒の命令に参戦し、挙兵。

初戦の石橋山の戦いには破れたものの、その後は関東を地盤として勢力を拡大し、弟・義経に大軍団を預けて平家打倒を命じます。

《源義経》
「引用元ウィキペディアより」

天才武将・源義経は、1185年に壇ノ浦の戦いで、父・義朝の仇である平家一門を滅亡させることに成功。

宿敵・平家を討ち果たした頼朝は、同年、日本で最初の武家政権である鎌倉幕府を誕生させ、武士の武士による武士のための政治を開始したのでした。

ところが、平家との戦いで天才的な能力を発揮した弟・源義経が、あろうことか兄・頼朝の命令を次々と無視して独立、敵対し始めます。

頼朝は弟・義経が逃げ込んだ奥州藤原氏に圧力をかけて義経を死に追いやり、同時に奥州合戦によって藤原氏を滅亡させることにも成功。

こうして全国を制覇した頼朝は、1192年に征夷大将軍に就任し、名実ともに武士の頂点にのぼりつめたのでした。

 

壇ノ浦の戦いについては、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。

『壇ノ浦の戦いの場所を地図付きでわかりやすく解説!なぜ壇ノ浦で戦ったの?』の記事はコチラ

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源頼朝の最期

征夷大将軍に就任し、鎌倉幕府という武士が日本を支配する体制を作り上げた頼朝は、その後も鎌倉幕府の支配体制が盤石なものとなるように、力を尽くします。

ところが、1199年、相模川にかけられた橋の供養から戻る途中、頼朝は馬から転落。

その落馬事故が原因で、頼朝は急速に衰弱していき、事故から約2週間後の1199年2月16日に急死してしまうのです。

享年53歳

死因については、諸説あります。

  • 落馬した際の負傷が原因で破傷風になった
  • 糖尿病
  • 落馬して脳を損傷した

などなど。

源頼朝の死後、その息子である源頼家・源実朝が、征夷大将軍の地位を継承。

しかしその二人の息子も、頼朝の妻・北条政子の実家・北条一族の罠で殺害され、頼朝の子孫は断絶してしまいます。

その後の鎌倉幕府は、北条一族によって支配され、1333年に足利尊氏や新田義貞に滅ぼされるまで、約140年の間、日本を支配することとなるのです。

 

源頼朝の死因については、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。

『【源頼朝】の死因と最後をわかりやすく解説!安徳天皇の亡霊に呪い殺されたの?』の記事はコチラ
鎌倉幕府については、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。
『鎌倉幕府滅亡の原因・理由をカンタン解説!滅ぼした人物は新田義貞』の記事はコチラ


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  • 源頼朝とは、鎌倉幕府という臨時政府をつくった人物。
  • 頼朝は、鎌倉幕府という臨時政府をつくり、それまで日本を支配していたお公家さんにかわり、武家・武士が日本を支配する体制をつくり上げた。
  • 頼朝は、父・義朝の仇である平家一門と、実弟・源義経を倒し、日本全国を支配した後、落馬が原因で亡くなった。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

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ありがとうございました。

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『【北条義時】の死因と最後をわかりやすく解説!妻に毒殺されたのか?』の記事はコチラ
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