聖徳太子と呼ばれたお方「厩戸皇子」
7度もお札になった「聖徳太子」の別名を全部ご紹介!
2017年最新教科書では「聖徳太子」という名前ではない?
実在しなかったという説も合わせてご紹介させていただきます
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この記事を短く言うと
・「聖徳太子」というのは、厩戸皇子が死後に送られた「称号」のこと
・「聖徳太子は存在しなかった」という説があるが、聖徳太子という称号を送られた人物は確かに存在していた
・なぜ聖徳太子が偉いのかというと、改革を行った大政治家だから
聖徳太子の別名を全てご紹介
聖徳太子・・・実は聖徳太子と呼ばれた人物には、幾つもの名前が存在しています。
正式名称は「厩戸皇子(うまやどのみこ・おうじ)」
用明天皇の第二皇子です。
その他にも
「厩戸皇太子(うまやどのこうたいし)」
「厩戸王」
「上宮王(じょうぐうおう)」
「豊聡耳(とよささみみ)」
「上宮之厩戸豊聡耳命(うへつみやのうまやとのとよとみみのみこと)」
「豊聡耳聖徳豊聡耳聖徳法大王」
「法主王」
「上宮太子聖徳皇」
「厩戸豊聰耳聖徳法王」
「上宮厩戸」
などなど・・・。
「聖徳太子」という呼び名は、あくまでも「厩戸皇子」が亡くなった後に送られた「称号」であり、正式名称ではありません。
2017年の教科書では「聖徳太子」という名前ではなく「伝・聖徳太子」・・・つまり「聖徳太子と言い伝えられている人物」として掲載されています。
教科書における正式名称は「厩戸皇子」
「名前がコロコロ代わって教えにくい」という理由から、2020年から小学校で、2021年から中学校で、教科書には「聖徳太子」という名称で掲載される可能性があるとのこと。
馬屋で誕生したから「厩戸皇子」・・・。
イエス・キリストに似ていますね。
実は、イエス・キリストの逸話が日本に伝来し、聖徳太子誕生の物語に組み込まれた・・・とも言われているようです。
聖徳太子は、いなかった?
近年では、「聖徳太子はいなかった」という説が唱えられているようです。
聖徳太子の存在を否定している歴史学者の「大山誠一」氏が言うには
「有力な王族・厩戸王が存在する可能性は否定しない。
しかし、推古天皇・皇太子として、数々の業績を残した『聖徳太子』は日本書紀を編纂した実力者『藤原不比等』たちの創作で、架空の人物である」
とのことです。
つまり、「厩戸王」と呼ばれ、後に「聖徳太子」という称号を送られた人物の存在は認めたものの、数々の政治改革を成し遂げ、当時の日本を、大国「隋」に認めさせた「大政治家・聖徳太子」の業績は架空である、ということでしょう。
確かに・・・亡くなった偉人の業績には尾ひれがつくものですからね。真実かどうかはわかりませんが、この大山氏の説も、頷ける気がします。
なぜ「聖徳太子」は偉いのか?分かりやすく解説
日本のお札に「7度」も肖像画が使用されている聖徳太子
彼の何がそれほどまでに偉いというのか?
彼は「日本の政治」を「大改革」した「政治家」だったのです。
用明天皇の第二皇子として誕生し、後に推古天皇(聖徳太子の叔母)の皇太子(次の天皇候補)となった聖徳太子。
当時の日本は、一応は国家を名乗っていたものの、国家としての形を成していませんでした。
国家としての形をつくるには、「身分制度」と「法律」の2つが必要だったのです。
「冠位十二階の制」「十七条の憲法」など、身分制度と法律を整えたのが、聖徳太子でした。
しかも聖徳太子は、当時の日本の隣りにあった大国「隋」に、「遣隋使」と呼ばれる使者を送り、日本という国家を認めさせ、対等な関係を構築しました。
内政を整え、外交でも成果を出した・・・。仏教による統制で、国家の安定を実現することにも成功した「聖徳太子」
政治家として日本の基本を築き上げたため、「聖徳太子」は政治家の鏡として、尊敬を集めていると考えられます。
ちなみに、生きていれば天皇となったはずの聖徳太子は、推古天皇より先に亡くなりましたので、天皇にはなっていません。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・聖徳太子とは、厩戸皇子の死後に送られた称号で、本名ではない
・聖徳太子はいなかったという説があるが、それは「聖徳太子という大政治家は存在しなかった」という意味。
・なぜ聖徳太子が有名かというと、日本を改革した大政治家だから
以上となります。
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