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聖徳太子の別名は教科書で何と紹介されてるの?2017年教科書の内容を解説

聖徳太子しょうとくたいしと呼ばれた厩戸王うまやどのおうまたは厩戸皇子うまやどのみこをご存知でしょうか?

7度もお札になった大政治家・聖徳太子の別名を全部ご紹介いたします。

2017年の教科書では、聖徳太子という名前ではないようです。

聖徳太子は実在しなかったという説も合わせてご紹介させていただきます

歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

  1. 聖徳太子というのは、厩戸皇子が死後に送られた称号のこと
  2. 「聖徳太子は存在しなかった」という説があるが、聖徳太子という称号を送られた人物は確かに存在していた
  3. なぜ聖徳太子が偉いのかというと、改革を行った大政治家だから

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目次

聖徳太子の別名は教科書でどのように紹介されているの?別名を全てご紹介

聖徳太子の別名は、教科書では【伝・聖徳太子】とされています。本名は【厩戸王うまやどのおう】。

実は聖徳太子と呼ばれた人物には、幾つもの名前が存在しています。

正式名称は、厩戸皇子うまやどのみこ

厩戸皇子は、用明ようめい天皇の第二皇子です。

その他にも、いくつもの別名が、教科書等にて紹介されています。

  • 厩戸皇太子うまやどのこうたいし
  • 厩戸王うまやどのおう
  • 上宮王じょうぐうおう
  • 豊聡耳とよささみみ
  • 上宮之厩戸豊聡耳命うへつみやのうまやとのとよとみみのみこと
  • 豊聡耳聖徳豊聡耳聖徳法大王とよささみみしょうとくとよささみみしょうとくほうだいおう
  • 法主王ほうしゅおう
  • 上宮太子聖徳皇じょうぐうたいししょうとくおう
  • 厩戸豊聰耳聖徳法王うまやどのとよささみみしょうとくほうおう
  • 上宮厩戸じょうぐううまやど

などなど・・・。

聖徳太子という呼び名は、あくまでも厩戸皇子が亡くなった後に送られた称号であり、正式名称ではありません。


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2017年の教科書では【聖徳太子】という名前ではなく【伝・聖徳太子】と紹介されています。

【伝・聖徳太子】とは、つまり【聖徳太子と言い伝えられている人物】という意味です。

教科書における名称はあくまでも、厩戸皇子うまやどのみこまたは厩戸王うまやどのおうです。

【名前がコロコロ代わって教えにくい】という理由から、今後の教科書には【聖徳太子】という名称で掲載される可能性があるとのことです。

馬屋で誕生したから厩戸皇子と名付けられたという聖徳太子ですが、なんだかイエス・キリストに似ていますね。

イエス・キリスト
引用元Wikipediaより

実はイエス・キリストの逸話が日本に伝来し、聖徳太子誕生の物語に組み込まれたとも考えられているようです。


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聖徳太子は【いなかった説】とは?

【聖徳太子はいなかった】という説がありますが、歴史上、聖徳太子と呼ばれる人物とその功績は、間違いなく存在していました。

近年では、【聖徳太子はいなかった】という説が唱えられているようです。

聖徳太子の存在を否定している歴史学者・大山誠一氏がいうには

「有力な王族・厩戸王うまやどのおうが存在する可能性は否定しない。

しかし、推古天皇・皇太子として、数々の業績を残した聖徳太子は、日本書紀を編纂した実力者・藤原不比等ふじわらふひとたちの創作で、架空の人物である」

とのことです。

つまり、厩戸王と呼ばれ、後に聖徳太子という称号を送られた人物の存在は認めていました。

しかし数々の政治改革を成し遂げ、当時の日本を、大国・ずいに認めさせた大政治家・聖徳太子の業績は架空である、ということでしょう。

確かに、亡くなった偉人の業績には尾ひれがつくものですからね。

この大山氏の説も、頷ける気がします。

しかしだからといって、「聖徳太子という人はいなかった」という言い方をするのは間違いなのではないでしょうか。

数々の功績を残した大政治家・聖徳太子、または厩戸王は、間違いなく存在していたと言って良いと思います。

これは余談ですが、聖徳太子が生きた時代から700年以上も先の未来、つまり【1333年】に起こった『鎌倉幕府と北条一族の滅亡を予言していた』というエピソードがあります。

→→→→→【聖徳太子は、楠木正成くすのきまさしげたちが鎌倉幕府を滅ぼすことを予言していた?】についてくわしくはこちら


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なぜ【聖徳太子】は偉いのかを、分かりやすく解説

聖徳太子が偉いのは、数々の制度・法律をつくり、現在の日本という国の基礎を完成させた大政治家だからです。

日本のお札に7度も肖像画が使用されている聖徳太子。

彼の何がそれほどまでに偉いというのでしょうか?

聖徳太子は、日本の政治を大改革した政治家だったのです。

用明天皇の第二皇子として誕生し、後に推古天皇(聖徳太子の叔母)の皇太子(次の天皇候補)となった聖徳太子。

のちに聖徳太子は、摂政せっしょうという役職についています。

→→→→→【聖徳太子がついた摂政とは、どういう役職なのか】についてくわしくはこちら

当時の日本は、一応は国家を名乗っていたものの、国家としての形をしていませんでした。

国家としての形をつくるには、当時の世界帝国・ずいと同じように、【身分制度】と【法律】の2つが必要だったのです。

  • 冠位十二階かんいじゅうにかいせい
  • 十七条じゅうななじょう憲法けんぽう

など、その身分制度と法律を整えたのが、聖徳太子でした。

しかも聖徳太子は、当時の日本の隣りにあった大国・隋に、遣隋使けんずいしと呼ばれる使者を送り、日本という国家の存在と、隋と対等な関係であることを認めさせたのです。

内政を整え、外交でも成果を出したわけです。

仏教の教えにより国家国民を統制して、国家の安定を実現することにも聖徳太子は成功しています。

聖徳太子は、日本と国民を安全に統治するには、仏教を取り入れるのが一番と考えたのです。

→→→→→【聖徳太子が仏教を広めた理由】についてくわしくはこちら

政治家として日本の基本を築き上げたため、聖徳太子は政治家の鏡として、尊敬を集めていると考えられます。

ちなみに聖徳太子は、それほど優秀であるにもかかわらず、天皇にはなっていません。

なぜ天皇になっていないのかというと、簡単な事情があったためです。

→→→→→【聖徳太子が天皇になれなかった理由】についてくわしくはこちら


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 聖徳太子とは、厩戸皇子の死後に送られた称号で、本名ではない
  2. 聖徳太子はいなかったという説があるが、それは聖徳太子という大政治家は存在しなかったという意味。
  3. なぜ聖徳太子が有名かというと、日本を改革した大政治家だから

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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