豊臣秀吉の弟【豊臣秀長】の凄さ!秀長が長生きしたら家康は?

今回のテーマは「豊臣秀長」です。

 

この記事では「豊臣秀吉」の弟「豊臣秀長」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「豊臣秀長」を、カンタンに理解できます。

 

「豊臣秀長」が長生きしていたら「徳川家康の天下」はなかったかもしれないのです。


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この記事を短く言うと

 

1,「豊臣秀長」の凄さとは?

豊臣秀長は、兄「豊臣秀吉」をいさめてその暴走を食い止め、さらには「部下」と「秀吉」の間を調整する「中間管理職」として、優れた能力を発揮した。「軍事」と「内政」に力を発揮した万能な人物だった。

 

2,「豊臣秀長」の最期とは?

1591年】、兄「豊臣秀吉」が天下統一をなしとげた翌年、秀長は病死した。兄「秀吉」は、秀長が亡くなった翌年【1592年】に「朝鮮出兵」を断行し、【1598年】に病死している。

 

3,もしも「秀長」が長生きしていたら、歴史はどのようにかわっていたのか?

秀長が長生きしていたら、甥「秀次」の切腹はなかっただろう。それだけではなく、「徳川家康」による天下の乗っ取りも阻止できていただろう。

豊臣秀吉の弟「豊臣秀長」の凄さとは?兄の暴走を止めた万能な調整役

天下人「豊臣秀吉」の偉業をもっともよく支えたのが、秀吉の実弟「豊臣秀長」です。

《羽柴秀長》
「引用元ウィキペディアより」

これまでの通説では、兄「秀吉」とは「父親」が異なり、父親は「竹阿弥(ちくあみ)」という人物だと考えられてきました。

しかし最近では、「秀長」の父親は「弥右衛門(やえもん)」という人物で、秀吉と父を同じくする同父母の兄弟であると考えられています。

《豊臣秀吉》
「引用元ウィキペディアより」


秀吉の主君「織田信長」が「美濃攻略」を行なっていた【1561年】から【1567年】までの間に、秀長は兄「秀吉」に仕えはじめたと考えられます。

「豊臣秀長」は兄「秀吉」の代理として、「戦争」や「内政」に力を発揮しました。

秀長の役割は、「兄・秀吉の代理」であり、同時に「秀吉と部下たちのあいだを取り持つ調整役」でした。

それだけではなく、「兄・秀吉のブレーキ役」、つまり兄を諌めるのも「秀長」の役割だったのです。

兄がむちゃくちゃな行動をとろうとするときは、秀長がそれを注意して止めていたのが、「秀長」でした。

また、秀長は温厚な性格だったため、部下からの信頼も厚く、「部下の要望」と「兄・秀吉の要望」の双方を聞き、落とし所を探って両者を納得させる、いわば「優秀な中間管理職」だったといわれています。

秀長は、「軍事」に「内政」と、その優れた才能を発揮して、「豊臣政権」の中心人物となっていきます。

「内々のことは千利休に。公(おおやけ)のことは秀長に相談せよ」

豊臣秀吉は、自らに屈服した九州の大名「大友宗麟」に対して、このように言ったといわれています。

秀吉が、秀長をどれほど信頼していたかが伺える一言です。


「豊臣秀吉の天下統一」については、以下のリンク記事をどうぞ。

「豊臣秀吉の天下統一までの道を解説!農民が偉業達成できた3つの理由」の記事はコチラ


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豊臣秀長の最期!兄や母よりも先に病死していた

豊臣秀長は、「秀吉」や母「大政所」よりも先に、【1591年】に「52歳」で病死しています。

前年の【1590年】に、秀吉は「小田原・北条氏」を屈服させて、天下統一をなしとげているので、それを見届けて、安心して亡くなったのかもしれません。

しかし、秀吉は「秀長」が亡くなった後、ブレーキが無くなったかのように暴走を開始します。


秀長が亡くなった翌年の【1592年】、秀吉は「朝鮮出兵」を開始。

1595年】、甥である「豊臣秀次」を切腹させ、その一族数十名をことごとく処刑。

秀吉はこれらの暴走によって、豊臣政権の土台を自ら崩壊させることとなります。

1598年】、「豊臣秀吉」が亡くなると、傾きかけていた豊臣政権は、【1600年】の「関ヶ原の戦い」をきっかけにして、「徳川家康」によって乗っ取られることとなるのです。


「朝鮮出兵」については、以下のリンク記事をどうぞ。

「豊臣秀吉が朝鮮出兵した理由を考察!結果は大失敗だったのか?」の記事はコチラ


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もしも秀長が長生きしていたら?豊臣秀次の死はなかった!

もしも「豊臣秀長」が長生きしていたら、おそらく「豊臣秀次」が切腹させられることはなかったと思います。

実は「秀長」と「秀次」は、とても良好な関係にあったのです。


1584年】、「小牧・長久手の戦い」で「徳川家康」に大敗して「豊臣秀吉」を激怒させた「秀次」ですが、その失敗を取り戻させようと奮闘したのが「秀長」でした。

秀長は、「秀次」を連れて「紀州征伐」「四国征伐」を成功させ、秀吉からの信頼回復を手助けしているのです。

秀次は「秀長」の病気が悪化した【1590年】に、奈良県桜井市の「談山神社(たんざんじんじゃ)」を訪れて、叔父「豊臣秀長」の病気回復祈願をしています。

秀長が生きていたら、兄「秀吉」と甥「秀次」の仲を調整して、その関係を良好なものとしていたはず。

そうなっていたら、「秀次切腹」もなかったでしょう。

秀次が生きていたら、のちの「秀頼」を補佐する人材が残っていたこととなります。

秀次はかなり優秀な人物だったといわれているので、「家康」による「豊臣家滅亡」を阻止できていたかもしれません。


「徳川家康」については、以下のリンク記事をどうぞ。

「徳川家康についてわかりやすく簡単に解説!そもそも何をした人なの?」の記事はコチラ


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もしも秀長が長生きしていたら?徳川家康の天下はなかった!

秀長が長生きしていたら、「徳川家康の天下」はなかったと思います。

もしも秀長が長生きしていたら、「豊臣秀次」が亡くなることはなかったと、先程申しました。

そうだとすれば、「秀長」と「秀次」という二人が、「豊臣秀頼」を補佐するという強力な体制が完成していたはずです。

ここに家康が付け入るスキは、なかったのではないでしょうか。


徳川家康は、【1598年】に「豊臣秀吉」が亡くなると、秀吉が作ったルールを次から次へと破り続け、「石田三成」たち「文治派」を激怒させます。

同時に、「武断派」と呼ばれる「福島正則」や「加藤清正」を味方につけて、「豊臣家を2つに割り、派閥抗争を引き起こした」のです。

真っ二つに別れてしまい、さらにはその片方(石田三成の一派)が滅びてしまった「豊臣家」は文字通り、力が半減してしまいます。

「豊臣家」は、「関ヶ原の戦い」で勝利した家康によって、わずか「65万石」の少勢力におとしめられるのです。

もしも、「軍事・内政」ともに優れた万能な武将「豊臣秀長」が生きていたら、秀長は「前田利家」や「秀次」と協力して、「家康」という反乱分子を封じ込めることに成功していたでしょう。

1591年】に亡くなった秀長ですが、あと10年生きていたら、「豊臣家」の補佐役を甥「秀次」にゆずって、安定した「豊臣政権」を引き継いでいたはずです。

秀長の死という損失は大きすぎたのでしょうか。

1615年】、秀長の死から24年後、「豊臣家」は「大坂夏の陣」で「徳川家康」によって滅ぼされてしまいます。

「統治が難しい」といわれていた「大和国」の支配を、ほとんど反乱を起こさずに成功させ、「大納言さん」と呼ばれて親しまれている「豊臣秀長」。

「長生きしていたら、武田家の滅亡を阻止できたかもしれない」と言われている名将「武田信玄」の弟「武田信繁」と同じく、「豊臣秀長」の早すぎた死は、「豊臣家」の崩壊を予感させるものだったのです。

2016年】の大河ドラマ「真田丸」にて、俳優「千葉哲也」さんが「豊臣秀長」を演じていました。

千葉哲也さん演じる「豊臣秀長」は、兄「秀吉」に対し、亡くなる直前、こんなことを言っていました。

「私が長生きできたとしたら、徳川家康を見張り、豊臣家を守ってみせましょう。

しかし私は長く生きられそうもない」

その言葉通り、もし「秀長」が長生きしていたら、と考えずにはいられません。


「関ヶ原の戦い」については、以下のリンク記事をどうぞ。

「【関ヶ原の戦い】簡単にわかりやすく解説!いつ誰と誰が戦ったの?」の記事はコチラ


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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,豊臣秀長は、兄「豊臣秀吉」をいさめてその暴走を食い止め、さらには「部下」と「秀吉」の間を調整する「中間管理職」として、優れた能力を発揮した。「軍事」と「内政」に力を発揮した万能な人物だった。

 

2,1591年】、兄「豊臣秀吉」が天下統一をなしとげた翌年、秀長は病死した。兄「秀吉」は、秀長が亡くなった翌年【1592年】に「朝鮮出兵」を断行し、【1598年】に病死している。

 

3,もしも秀長が長生きしていたら、甥「秀次」の切腹はなかっただろう。それだけではなく、「徳川家康」による天下の乗っ取りも阻止できていただろう。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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