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豊臣秀吉の墓はどこにあるの?墓は徳川家康に破壊されていた

今回のテーマは豊臣秀吉とよとみひでよしです。

 

この記事では、豊臣秀吉のお墓について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば、秀吉のお墓がどこにあるのかを、カンタンに理解できます。

 

豊臣秀吉のお墓は、京都市東山区の豊国神社とよくにじんじゃまたは阿弥陀ヶ峰あみだがみねにあるのです。


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歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

 

1,豊臣秀吉のお墓はどこにある?

京都市東山区の豊国神社の東、約1kmの阿弥陀ヶ峰の山頂に豊臣秀吉のお墓がある

 

2,豊臣秀吉の葬儀は、なぜ密かに寂しく行われたのか?

当時は朝鮮出兵の真っ最中であったため、朝鮮に秀吉の死を知られて反撃される可能性があったため、その子は約半年ものあいだ秘密にされた。

 

3,秀吉のお墓が、徳川家康によって破壊された理由とは?

徳川家康は、【1615年】に豊臣家を滅ぼした際に、その遺構を残さず破壊し尽くし、のちの戦争の火種を消し去ろうとした。

目次

豊臣秀吉のお墓はどこ?京都市の豊国神社に秀吉のお墓があった

豊臣秀吉のお墓は、一般的に京都市東山区の豊国神社とよくにじんじゃとされています。

《豊臣秀吉》
「引用元ウィキペディアより」

しかし、実際に秀吉のご遺体が眠っているのは、豊国神社ではありません。

 

豊国神社から東へ1kmほどいったところにある阿弥陀ヶ峰あみだがみねというところです。

阿弥陀ヶ峰には、豊国廟とよくにびょうとよばれるお墓があり、秀吉のご遺体は、そこへ埋葬されたのです。

 

豊国大明神とよくにだいみょうじんをご存知でしょうか?

 

秀吉は、死後に豊国大明神という神号しんごうすなわち神の称号を与えられ、神としてまつられているのです。

 

→→→→→【秀吉の天下統一への道】についてくわしくはこちら

 


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派手好きな秀吉の寂しい最期!葬儀は秘密裏に行われていた

【1598年】、天下統一をなしとげた英雄・豊臣秀吉が、居城である伏見城ふしみじょうで亡くなりました。

京都・伏見城

天下人の葬儀にしては、とても密かに、静かに行われたといわれています。

 

なぜなら当時、日本は豊臣秀吉の朝鮮出兵により、朝鮮半島と戦争をしている真っ最中だったからです。

 

敵である朝鮮半島に、総大将・豊臣秀吉の死を知られたら、反撃されて朝鮮軍が日本へ上陸してくるかもしれません。

 

そうなったら、【1274年】の元寇げんこうの二の舞となり、甚大な被害を受けることとなるでしょう。

 

【慶長3年(1598年)8月18日】に豊臣秀吉は亡くなったが、その死は長く隠されていました。

 

秀吉のご遺体が埋葬されたのは、その死から半年以上も経過した【慶長4年(1599年)4月13日】のことだったのです。

 

派手好きで、祭り好きだったという秀吉には似合わない、とても地味で寂しい最期でした。

 

→→→→→【朝鮮出兵の理由】についてくわしくはこちら

 

→→→→→【元寇】についてくわしくはこちら

 


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秀吉のお墓は、徳川家康によって徹底的に破壊されていた

豊臣秀吉のお墓があった豊国神社とよくにじんじゃは、【1615年】に徳川家康によって破壊されています。

《徳川家康》
「引用元ウィキペディアより」

【1615年】の大坂夏の陣で、秀吉の息子・豊臣秀頼とよとみひでよりが戦死。

 

このとき、豊臣家は滅亡。

 

家康は、豊臣家を滅ぼしたあと、豊臣秀吉と豊臣家の遺構を消し去ろうとしたのです。

 

なぜなら豊臣秀吉という、徳川家康へ対抗しうる唯一の旗頭はたがしらが残っていては、また再び戦争が起こりかねないからです。

 

豊臣家の再興を名目にして、誰かが徳川家に戦いを挑んでくるかもしれないのです。

 

豊国神社が破壊されたとき、秀吉は豊国大明神という神号を剥奪されています。

 

そして、国泰院俊山雲龍大居士こくたいいんしゅんざんうんりゅうだいこじという仏教における戒名かいみょうを与えられ、神の座から引きずり降ろされたのでした。

 

秀吉が祀られた豊国神社が破壊されたとはいえ、秀吉が埋葬された阿弥陀ヶ峰のお墓だけは、そのままにされました。

 

東照大権現とうしょうだいごんげん

 

【1616年】に亡くなった徳川家康は、東照大権現という神号を与えられて、豊臣秀吉に代わり、新たな神として祀られることとなるのです。

 

→→→→→【秀頼の最期と遺体】についてくわしくはこちら

 


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秀吉のお墓が復活したのは、明治天皇のおかげだった

【1615年】に徳川家康が破壊した豊国神社は、【1868年】に明治天皇によって再興するようにとの命令が出されました。

 

実に【253年】ぶりに、豊国神社が復活したのです。

豊国神社

【1898年(明治31年)】、豊臣秀吉の死から300年の節目に豊太閤300年祭が行われました。

 

実はこのとき、阿弥陀ヶ峰の山頂を工事したのですが、素焼きの大きな壺が発見されました。

 

その壺の中から、1人のご遺体が発見されました。

 

このご遺体こそが、豊臣秀吉のものと考えられています。

 

そのご遺体は、ふたたび丁重に埋葬がされたのだとか。

 

豊臣秀吉は、今も阿弥陀ヶ峰の山頂から、京都を見守っているのです。

 

→→→→→【明治維新とは何か】についてくわしくはこちら

 


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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,豊臣秀吉のお墓は京都市東山区の豊国神社の東、約1kmの阿弥陀ヶ峰の山頂にある

 

2,当時は朝鮮出兵の最中であったため、朝鮮に秀吉の死を知られて反撃される可能性があったため、その子は約半年ものあいだ秘密にされた。

 

3,秀吉のお墓を、徳川家康が破壊した理由は、豊臣家の遺構を残さず破壊し尽くし、のちの戦争の火種を消し去ろうとしたため。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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