織田信長の出身地は名古屋城ではない?生まれた場所がどこなのか解説

この記事では「織田信長の出身地・生誕地」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「織田信長が、どこで生まれたのか」を、カンタンに理解できます。

 

「織田信長」は「勝幡城(しょばたじょう)」という場所で生まれた可能性が、最も高いのです。


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この記事を短く言うと

 

1,「織田信長」は「名古屋城」で生まれたのではないのか?

「信長」が生まれた場所には、諸説あり、これまでは「名古屋城」の前身である「那古野城」で生まれたと言われてきた。しかし最新の研究によると、それは間違いである可能性が指摘されている

 

2,「信長」が生まれた場所とは、どこか

「愛知県」にある「勝幡城(しょばたじょう)」で生まれたという説が、もっとも有力

 

3,もう一つの説「古渡城」で生まれた説とは?

「古渡城」は、信長の父「織田信秀」の居城。信長はここで元服をしているが、古渡城で生まれた可能性よりも「勝幡城」のほうが可能性は高いだろう。

織田信長の出身地は、「名古屋城」ではない?3つの候補地をまとめて解説

織田信長が生まれた場所、すなわち出身地は、「那古野城(なごやじょう)」であるといわれてきました。

 

実は、織田信長が生まれた場所は、ハッキリとはわかっていないのです。

 

これまで、「信長が生まれた城」には「3つ」の候補地があげられていました。

 

すなわち

  1. 「那古野城(なごやじょう)」
  2. 「勝幡城(しょばたじょう)」
  3. 「古渡城(ふるわたりじょう)」

以上3つです。


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「那古野城」とは、現在の愛知県名古屋市にそびえ立つ「名古屋城」の前身であったお城です。

 

現在の名古屋城が築かれる以前に、「那古野城」は存在していたのです。

 

しかし、これまで通説だった「織田信長は、那古野城で誕生した」という説は、近年では否定されています。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

織田信長は、【1534年】に生まれています。

 

しかし「那古野城」は、【1538年】まで、織田家の敵「今川家」が支配していたというのです。

 

「那古野城」はもともと「柳之丸」という名前で、今川家がつくったお城でした。

 

それを信長の父「織田信秀」が奪い取り、「那古野城」と改名して、自らの居城としたのです。

 

その後、「織田信秀」は居城を「古渡城(ふるわたりじょう)」へと移し、「那古野城」を幼い息子「織田信長」へゆずっています。

 

信長は、この「那古野城」で育ったと考えられています。

 

近年の研究によると、「信長が生まれた場所は、勝幡城(しょばたじょう)だろう」といわれています。

 

「名古屋城(那古野城)」について、詳しくは以下のリンク記事をどうぞ。

『名古屋城を作った人は誰?歴代城主と、城に秘められた歴史の皮肉とは』の記事はコチラ

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「織田信長」が生まれた場所は、どこ?

最新の研究によると、「織田信長」が生まれた場所は、現在の「愛知県愛西市」と「愛知県稲沢市」にまたがる「勝幡城(しょばたじょう)」であると考えられています。

《勝幡城(しょばたじょう)》
「引用元ウィキペディアより」

勝幡城は、織田信長の祖父にあたる「織田信定(のぶさだ)」がつくったお城です。

 

そののち勝幡城は、信長の父「織田信秀」が、「信定」から譲り受けて、自らの居城として利用していました。

 

ところが信秀は、今川家から奪い取った「柳之丸」を改築して「那古野城」と改名し、そこへ居城を移動しているのです。

 

その後、織田信長が「那古野城」を父親からゆずりうけました。

 

ところが信長は【1555年】に「織田彦五郎信友」から奪い取った「清州城」へと本拠地を移動します。

 

それと同時に、「勝幡城」は廃れていき、結局は廃城になったと考えられています。

現在「勝幡城跡地」には、碑がたてられて、「信長生誕の地」という看板が残されています。

 

「織田信秀」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『織田信秀のすべてを徹底解説!子孫や家系図・葬儀の逸話まで完全網羅』の記事はコチラ

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もう一つの説!「古渡城で生まれた」という説について

「勝幡城」で生まれた可能性がもっとも高い「織田信長」ですが、「古渡城(ふるわたりじょう)」で生まれたという説も存在しています。

 

先程申しましたとおり、信長は「勝幡城」で生まれた可能性が最も高いわけですが、「古渡城」とは、どういうお城なのでしょうか?

 

「古渡城」とは、「織田信長」の父「織田信秀」が居城としていたお城です。

 

織田信秀は、息子の「信長」と似ていて、何度も何度も居城を移しているのです。

 

信秀は、今川家から奪い取った「那古野城」を居城としていましたが、【1534年】に「古渡城」を築城すると、そこへ居城を移しています。

 

そして【1548年】に、今度は「末森城」というお城をつくって、「古渡城」から「末森城」へと居城を移動したのでした。

 

それと同時に「古渡城」は廃城となっています。

 

織田信長は、【1546年】にこの「古渡城」で元服(成人)し、幼名「吉法師」から、「三郎信長」へと改名しているのです。

 

信長が生まれた城として、その名が上がっている3つの城

 

「勝幡城」、「那古野城」、「古渡城」は、それぞれ織田信長と、深い関わりがあるお城です。

  • 「勝幡城」は、「信長が生まれた可能性が、最も高い城」。
  • 「那古野城」は、「信長が育った城」。
  • 「古渡城」は、「信長が元服(成人)した城」。

というわけです。

 

「織田信長の生涯年表」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『織田信長がしたことを年表にまとめて簡単解説!『天下の取り方』教えます』の記事はコチラ

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織田信長が亡くなった最期の地「本能寺」には、現在何があるのか?

織田信長が生まれた場所は「勝幡城」である可能性が最も高い、と申しました。

 

では「最期の地」、すなわち「織田信長が亡くなった地」は、どこなのでしょうか?

 

もちろん言わなくても知っていると思いますが、信長が亡くなった場所は「京都・本能寺」です。

 

1582年】、織田信長は「明智光秀」に襲われ、「本能寺」で亡くなっているのです。

 

その「本能寺」、現在はどうなっているのでしょうか?

 

現在も、京都には「本能寺」が存在しているものの、現在の本能寺は、「豊臣秀吉」が区画整理のために移転させたものです。

そのため「織田信長」は、現在の本能寺がある場所で亡くなったわけではないのです。

 

それでは、「織田信長が実際に亡くなった場所(当時の本能寺)」の跡地には、現在何があるのでしょうか?

 

1582年】に「本能寺」があった場所には、現在「本能特別養護老人ホーム」という名前の「老人福祉施設」が建てられています。

そして、「本能寺の跡地」であることを示す「碑」も建てられています。

《京都・本能寺跡:あけびさんによる写真ACからの写真》

豊臣秀吉は、当時焼け野原だった「京都」の街を再建するため、区画整理を実行しています。

 

本能寺もまた、その区画整理のために、移転させられたのでした。

 

もしかすると秀吉は、「本能寺」が「織田信長・最期の地」として、聖地のようになることを恐れたのかもしれません。

 

天下人「豊臣秀吉」からすると、以前の天下人「織田信長」という存在は、邪魔でしかありません。

 

秀吉の次の天下人「徳川家康」も、「豊臣秀吉」の墓地「豊国神社」を打ち壊しています。

 

区画整理を理由に、信長最期の地を廃止したかったのかもしれません。

 

「本能寺の変」について詳しくは、以下のリンク記事をどうぞ。

『【本能寺の変】の謎や真相をすべて解説!黒幕や動機について完全網羅』の記事はコチラ

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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,「織田信長」は「名古屋城の前身である「那古野城」で生まれたと言われてきた。しかし最新の研究によると、それは間違いである可能性が指摘されている

 

2,「信長」が生まれた場所は、「愛知県」にある「勝幡城(しょばたじょう)」という説が、もっとも有力

 

3,「古渡城」は、信長の父「織田信秀」の居城。信長はここで元服をしているが、古渡城で生まれた可能性よりも「勝幡城」のほうが可能性は高いだろう。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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