2019年7月– date –
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飛鳥時代【日本】592~710年
【蘇我入鹿】首が600mも飛んだ逸話!聖徳太子と同一人物説がスゴイ
『m』 645年の「乙巳の変」で「蘇我入鹿」が非業の最期は遂げたのは知っていても、その「暗殺の理由」を説明できる人は少ないのではないでしょうか。 私も大学で日本史を専攻するまで、あまり知りませんでした。 「蘇我入鹿」が暗殺されたのは、「中大兄... -
飛鳥時代【日本】592~710年
藤原鎌足(中臣鎌足)の子孫の現代とは?芸能人として活躍していた
『m』 中臣鎌足が乙巳の変で蘇我本家を倒した人だということは知っていても、その子孫が今も続いていることを知っている人は少ないかもしれませんね。 しかし鎌足の子孫は、現代の日本中至るところに残っています。 あなたもその1人かもしれませんよ。 こ... -
幕末【日本】1853~1868年
沖田総司の子孫は現在どこに?天才剣士の終焉の地と最後の様子が儚い
『は』 「新選組」一番隊組長・副長助勤「沖田総司」。 天才剣士としてご存知の方も多いかと思います。 剣術の腕前は相当だったようですが、恋の方は奥手だったのか「お嫁さん娶った」という記述を見たことがありません。 残念ながら「沖田総司の直系の子... -
幕末【日本】1853~1868年
沖田総司はイケメンだったのか?幕末屈指の美顔の真実と女性説
『は』 「新選組」の「沖田総司」といえば、年若く病気で亡くなった為に、どこか儚い印象がありますね。 幕末屈指の剣豪が病気で亡くなるという事実に、世間は「色白で繊細で…」というイメージを持つ方が少なからずいらっしゃるかな、と思います。 実際の... -
幕末【日本】1853~1868年
新撰組(新選組)メンバーを一覧で解説!隊長たち生き残りのその後
『は』 元治元年(1864年)ごろの「新選組」の幹部及び組織体系は、上記の図のようになっています。 この中でも「明治」まで生き残ったのは、わずか3名のみ。 それぐらい過激な時代だったのでしょう。 幕府のため、国のために散っていった彼らの軌跡を辿っ... -
幕末【日本】1853~1868年
【永倉新八】新撰組最強の二番組長!小樽での晩年の逸話がすごかった
『は』 新撰組の二番隊組長「永倉新八」のイメージって、どんなものが思い浮かびますか。 数ある戦を乗り越え続けた「新撰組」幹部の中で、もっとも長生きをしたひとりです。 晩年は北海道「小樽」で余生を過ごしました。 そんな激動の時代を生き抜いた「... -
幕末【日本】1853~1868年
斎藤一の子孫は現在どこにいる?新選組最強剣士その墓は会津若松にある
『は』 新選組・三番組長「斎藤一」は、戊辰戦争後に結婚し、男の子を3人授かります。 残念ながら、子孫の方がどちらにお住まいなのか、はっきりしたことはわかりません。 なかなか「〇〇の子孫です」と言って表に出られる方は、少ないのでしょうね。 お墓... -
織田信長
織田信長は優しい性格だった?意外にもいい人エピソードが多かった
『m』 『織田信長』は、「比叡山の焼き討ち【1573年】」や『一向一揆』に対する処置など、苛烈なイメージの武将ですね。 私も大学で日本史を勉強するまでは、信長に対してそんなイメージを抱いていました。 しかし織田信長には、『部下の奥さんへの細やか... -
明智光秀
明智光秀は優しい性格のいい人だったの?どんな人柄かエピソードつきで簡単に解説
『m』 『明智光秀』と聞くと【1582年】の「本能寺の変」で、主君「織田信長」を滅ぼした裏切り者、というイメージが強いですよね。 私も大学で日本史を勉強するまでは、そう思っていました。 しかし明智光秀は、優しく誠実な性格で領民から『名君』として...
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