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【西郷隆盛の生涯】超簡単に短くわかりやすく解説!何をした人なの?

西郷隆盛といえば、大河ドラマの主人公にもなる歴史上の偉人です

でも、一体何をした人なんでしょう?

これを読むだけで「西郷隆盛」が、どうして偉いのかが、全てわかる!


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歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

・西郷隆盛は、徳川幕府を倒して、新しい日本国の礎を築き上げた

・西郷は、薩摩の下級武士でありながら、大政治家へ成長。「江戸城無血開城」で幕府を倒し、新政府の礎を作り上げた後、「征韓論争」という政争に敗北し、西南戦争で戦死した

戊辰戦争で、江戸城無血開城を実現し、江戸100万人を救った


《1.西郷隆盛は、なぜ偉いのか?》

西郷隆盛はなぜ偉いのかを、ひと言で表現するのは難しいですが、

「武士という身分の人が、地域ごとに人民を支配し政治を行っていた時代を終わらせ、日本をひとつにして欧米と並ぶ近代化国家となる基礎をつくったから」

でしょうか。

今では信じられないでしょうが、明治維新の前は「日本人」はいませんでした。どういう事?って思いますよね。

江戸時代は、薩摩(現在の鹿児島県)人、長州(現在の山口県)人はいましたが、藩の枠を超えた「日本人」という概念はありませんでした。

武士=大名が藩単位でその藩に住む人を支配し、藩の中でのみ通用する政治を行っていました。

その最大の大名が徳川家であり、徳川家が武力で諸大名の上に君臨し、諸大名を統制していました。

そして、対外的には日本を代表する政府が江戸幕府だったのです。

西郷隆盛は江戸幕府を倒そうとするグループ「討幕派」のリーダーであり、江戸幕府を滅ぼした後は、新政府の参議(新政府の実務の最高の役職)に就任し、前述の藩・大名や身分制度というものをなくし、全国統一の課税制度とすること等で、ひとつにまとまった「日本」をつくりました。

そして、外国に新政府が江戸幕府に代わる新しい日本の代表であることを認めさせたのです。



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《西郷隆盛の生涯を、超簡単に解説》

西郷隆盛は薩摩藩の下級藩士の家に生まれました。

薩摩藩主・島津斉彬(なりあきら)の目にとまり、異例の大抜擢をされ、他藩の動向を探る役目を仰せ付けられます。

西郷は多くの他藩の人々と交流するうちに、様々な知識を得て、思想的な影響を受ける等して人間的に大きく成長します。

そして、斉彬の右腕として薩摩藩を代表する政治家となっていくのです。

ペリーが率いる黒船来航以降、外国との条約締結等で江戸幕府の政権担当能力は弱まっており、各藩の志士(高い志を持ち、国家・社会のために献身しようとする人)の間で「尊王攘夷」(王を尊び、夷を攘う(はらう)という意味で、天皇を敬い、外国人を排斥するということ)を合言葉に、幕府を倒すという動きが活発になってきました。

西郷も薩摩藩の代表として、密かに討幕の機会をうかがっていました。

そして、土佐藩(現在の高知県)の坂本龍馬の仲介で薩長同盟を締結することで、討幕活動を本格化させ、朝廷から討幕の密勅(秘密の天皇の命令)をもらうことに成功します。

幕府軍との戦争(戊辰戦争)では薩摩藩の軍隊を率いるだけではなく、新政府軍全体の参謀として各地に転戦し、ついに幕府軍に勝利します。その後新政府の参議となり、新しい、ひとつの日本をつくるためにリーダーシップを発揮し、政策を考えて実行しました。

しかし、征韓論(鎖国している朝鮮を武力で開国させる)を唱え、内治派(それよりも国内の政治が優先)との争いで敗れ、参議を辞めて薩摩に帰ってしまいました。

西郷が帰郷するとき、新政府に仕えていた多くの薩摩人が、西郷を慕って職を辞め、薩摩に帰郷してしまいます。

薩摩に帰郷した人々は西郷を受け入れなかった新政府への不満が爆発し、西郷を担いで新政府に対して武装蜂起。

この「西南戦争」で西郷は戦死しますが、人々は決して西郷を恨むことなく、維新の元勲として鹿児島人はもちろん、日本人に愛されているのです。



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《西郷が成し遂げたこと・功績一覧》

西郷隆盛が成し遂げたことを、ざっとまとめてみました。

その1「薩長同盟」

幕末において薩摩と長州は天下の雄藩(経済力や政治力があり、勢力の強い有力藩のこと)でした。

とはいえ、両藩は非常に仲が悪く、京都で起こった合戦(禁門の変)では敵同士として戦うほどになりました。

しかし、坂本龍馬の仲介により、過去のいきさつはさておき、実利をとるために藩内を説得し薩長同盟を締結しました。

薩長同盟の締結により、討幕派は薩長を中心として勢いを得て、討幕の動きが加速していくのです。



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その2「江戸城無血開城」

戊辰戦争で新政府軍は各地で幕府軍を破り、江戸を目前にします。

新政府軍は江戸城総攻撃を計画しますが、幕府陸軍総裁の勝海舟が西郷と会談し、攻撃中止のための条件を協議します。

その結果、西郷は条件に合意し、攻撃は中止されます。

もし江戸城総攻撃となれば、当時世界最大規模と言われた江戸の町は火の海となり、100万人の江戸の住民の多くは焼け死に、家を失っていました。

西郷・勝が成し遂げた江戸城無血開城により、江戸の町と多くの江戸の住民が救われたのです。

その3「戊辰戦争」

西郷は新政府軍の参謀として京都から東北を転戦し、新政府軍を勝利に導いています。幕府側につき敗れた諸藩には寛大な態度で臨み感謝されています。



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その4「新政府参議として」

新しい国家づくりのため、

警視庁の設置

陸軍・海軍省の設置

学制の発布

キリスト教の解禁

徴兵令の布告

地租改正の布告等、様々な新しい政策を実行しました。



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《まとめ》

本日の記事をまとめますと

・西郷隆盛は江戸幕府を倒し、新しい日本の基礎をつくったのです。

・西郷隆盛は薩摩藩の下級武士から藩の代表政治家へと成長し、討幕を果たして新政府で新しい日本をつくる役割を担いますが、政論で敗れ鹿児島へ帰って西南戦争で戦死します。

・戊辰戦争の中で、江戸城無血開城を決定し、江戸の町と住民を救います。

西郷隆盛は度量の大きな清廉潔白な人物で、周囲の人々には愛情をもって接したと言われています。明治天皇も西郷の事が大好きでした。当時の薩摩の人々は西郷の為に命を惜しんで働き、その徳望ある人柄は現在でも人びとから愛されています。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました



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この記事を書いた人

コメント

コメント一覧 (2件)

  • お世話になっております。

    地区の祭典で山車の飾り物として毎年NHK大河ドラマを題材にしています。
    今年は西郷隆盛と愛犬ツンを飾り付け、回覧資料にこのWEBページを参考にさせて頂きました。

    ≪西郷隆盛の生涯を、超簡単に説明≫という項目の征韓論の文章の終わりに、
    『参議を辞めて薩摩に帰ってしましました』と記載されています。

    お時間のある時に修正頂ければと思います。

    • こちらこそいつもお世話になっております!
      そして貴重なご指摘もありがとうございます!!
      早速修正させていただきます!

      当サイトがお役にたったならば、これほど嬉しいことはございません。
      今後とも何卒、当サイトをよろしくお願いいたします。

      ありがとうございました!!!

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