島津斉彬と島津久光の関係!久光は斉彬とその息子達を全員暗殺した?

「幕末の四賢侯」として称された名君で、薩摩藩の第11代藩主・島津斉彬(なりあきら)とその弟・久光の関係は

家督相続の争いがあったものの良好なものであったと言われています。

しかし、実際はそこまで良い関係ではなかったのではないかという指摘もされています。

本当は悪かったのではという仮説を立てて、島津兄弟の仲を見ていきたいと思います。


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この記事を短く言うと

島津斉彬島津久光の関係は良好で、険悪だったのは斉彬と父・島津斉興とその側室で「久光」の母「お由羅」だった

・斉彬の子供たちを、お由羅が暗殺したという説がある

・斉彬の娘達と、久光の息子たちが結婚している


島津斉彬と島津久光は、仮面兄弟だった?

斉彬久光の父・島津斉興(なりおき)は、財政再建を果たしたにも関わらず、嫡子の斉彬が西洋への関心が強いことを理由に、財政を傾けるほど西洋技術を取り入れてしまうことを恐れ、後継者に斉彬を指名することを拒んでいました。

その原因として、斉興の祖父、つまり斉彬の曽祖父にあたる重豪(しげひで)の存在がありました。

重豪(しげひで)は、中国や西洋の文物を非常に好み、薩摩藩内に数々の開化政策を施した人物です。

しかし、浪費が原因で、薩摩藩内の財政は急速に逼迫し、最終的に薩摩藩は「借金500万両」という、途方も無い金額の負債を負うことになります。

その後、斉興は父・斉宣(なりのぶ)と供に緊縮政策を行い、藩内の財政を元に戻すことに成功します。


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ところが、息子の斉彬は重豪に大層可愛がられ、おまけに中国や西洋の文化などに非常に関心の強い青年に育ってしまいます。

自身の息子が祖父の二の舞になってしまうことを恐れ、斉彬が40歳を過ぎるまで藩主の座を譲らないという異例の対応をする羽目になってしまいました。

斉興の正室・弥姫(いよひめ)(斉彬の母)が死去し、側室・お由羅(ゆら)(久光の母)が正室と同格の待遇を受けるようになります。

お由羅は、実の子である「久光」の藩主就任を謀るようになり、斉興の悩みの種であった斉彬の廃嫡を目論見るようになります。

その後、斉彬を支持する派閥と、斉興やお由羅を中心とした久光を推す派閥の争いが起こり、結局は斉彬が藩主を相続することになります。

斉彬は、騒動の発端となったお由羅を、大変嫌っていましたが、彼女やその一派の粛清までは考えていなかったといいます。

そして、久光に対しては嫌悪感などは持ち合わせておらず、むしろ関係は良好であったそうです。

藩内が二分した状態では、いくら雄藩・薩摩藩といえどよくないと思ったのかもしれません。

ちなみに久光を推していた父・斉興ですが、斉彬の藩主の就任後は、相談役となっており、斉興の時代からの重役たちは、そのままの地位にとどまるなど、藩内に波風が立たない形で騒動が解決しています。


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久光は、兄・斉彬やその息子達を暗殺した?

久光と兄・斉彬との関係は良好であったはずですが、久光が斉彬とその息子達を暗殺したという説もあります。

斉彬は4男5女に恵まれますが、男子は全て夭折し、生き残ったのは女子3人のみでした。

また、斉彬本人も原因不明の急死を遂げています。

そのため、久光の嫡子・忠義(ただよし)が藩主を継ぎ、藩主の実父として久光の藩内における政治的影響力が増大しました。

結果的に久光は得をしたことになりますが、斉彬の死後も兄が重用した西郷隆盛大久保利通を登用するなど、遺志を継いだ藩政を行なっていて、斉彬との間に確執はなかったと推測できます。

もし、仮に暗殺であったとしても、久光本人ではなく、母・お由羅が主導したと考えられます。

しかし、西郷隆盛は、久光が斉彬を暗殺したと考えていたようで、最後まで久光とそりが合わなかったみたいです。


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斉彬の娘達は、全員が弟・久光の息子に嫁いだ

生き残った斉彬の娘達はどうなったかというと、いずれも久光の息子達に嫁いでいます。

三女・暐姫は忠義の正室、五女・寧姫は忠義の後妻となっています。

四女・典姫は久光の四男で忠義の同母弟にあたる珍彦(うずひこ)へ嫁いでいます。

息子達の婚姻を決めたのは久光で、おそらく斉彬暗殺を疑われて、斉彬の血筋を残すために、息子達と姪を結婚させたのでしょう。

また、実現はしませんでしたが、斉彬の遺言では忠義に斉彬の長女・澄姫を嫁がすことが示されていたそうで、久光の息子と斉彬の娘の結婚は斉彬も望んでいたと思われます。


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まとめ

✳︎斉彬と久光の関係は良好で、ふたりを対立させたのは父・斉興とその側室・お由羅だった。

✳︎斉彬とその息子達の暗殺は、久光の母・お由羅が計画したとされている。

✳︎久光は自身の息子達と兄・斉彬の娘達を結婚させた。

ここまでの内容を見てきて、斉彬と久光が仮面兄弟であったというのは考えにくいと思われます。

父やその側室など周りの人間の影響で仲が悪いようにされているだけに見えます。

本人達は藩のために良い関係を保とうとしたのに対し、斉興やお由羅、西郷の対応は少々迷惑だったのではないでしょうか。

権力の絡むところに争いのない人間関係を望むのはなかなか難しいのかもしれません。

 

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ありがとうございました


島津斉彬」「島津久光」について、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。よろしければご利用下さいませ。

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「島津斉彬の子孫・家系図や娘の篤姫について!何をした人なのか解説!」の記事はコチラ
「島津久光と久光製薬の関係とは?花火や寺田屋事件のエピソードご紹介」の記事はコチラ

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