「令和(れいわ)」
2019年4月1日午前11時、5月1日から使われる「新元号」が発表されました。
「令和」・・・・・日本の古典(古い文献)である「万葉集」の一節から、この「令和」という言葉が決められたのだそうです。
実は「令和」という今回の元号。かなり異例づくしなのだとか。
「令和」の意味も含めて、解説いたします。
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この記事を短く言うと
- 元号「令和」の意味は「めでたい」「なごやか」という意味が込められている。「何をするにも良いめでたいなごやかな時」という意味
- 「令和」という元号は、これまで「中国の古典」から引用していた元号の中で、初めて「日本の古典」から引用された
- 元号というのは、そもそも時の「朝廷」が「時間を支配している」こと、独立性や正統性を主張するために使っていたもの
「令和」の意味!「めでたい」と「なごやか」
「令和(れいわ)」。その「令」と「和」には、それぞれに意味が込められています。
万葉集からつくられたこの「令和」という元号の、基となった歌の、「令」と「和」の意味をそれぞれ見てみましょう。
「令」というのは「令月(れいげつ)」からきています。
「令月」とは、「何を始めるにも良い月」「おめでたい月」という意味で、とても「おめでたい縁起の良い季節」という意味があります。そらに浮かぶ「お月さま」ではなく、「1ヶ月」の「月」です。
「和」という言葉は、「和やか」という万葉集の言葉から来ています。
「令和」とは、すなわち
「何を始めるにも良い、とてもおめでたい、和やかなる時」
という意味が込められています。
内閣総理大臣の「安倍晋三」首相は、この元号とした理由について、こんなことをおっしゃってました。
「人々が美しく、心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」
という意味を込めたつもりなのだとか。
この「令和」・・・・それまでの元号とは異なる「異例の元号」であったと、話題になっています
「令和」の由来となった万葉集の歌を紹介!万葉集って何?
「令和」という元号は、日本の古典「万葉集」の歌から引用されたものです。
万葉集とは、7世紀後半~8世紀後半(600年代後半~700年代後半)につくられた、日本最古の「歌」を集めた古典。
「万(よろづ)の言の葉(ことのは)を集めたるもの」。すなわち「万葉集」。
万葉集は、「天皇」から「下級役人」や「一般人」まで、身分の差別なく、様々な「和歌」が集められた古典。
その中に、「令和」の基礎となった歌があります。以下の歌です。
書き下し文は以下の通り
「初春の令月にして、気淑く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす」
(しょしゅんのれいげつにして、きよくかぜやわらぎ、うめはきょうぜんのこをひらき、らんははいごのこうをかおらす)
この歌は「大伴旅人」という人物が、「九州・太宰府」で人を集めて開催した歌会で、何者かが歌ったもの。
現代の言葉に訳すと、こうなります。
時は初春のめでたい月(令月)、空気は柔らかく、風は和やか。
そして梅の華は「鏡の前に立つ白粉(おしろい)をまとった美女」のように咲き誇り、蘭の華は、「その身を飾る衣にしみこむ香」のように良い薫りがただよっている。
それまでの元号は、「昭和」も「平成」も、ことごとく「中国」の古典から取られた言葉がもととなっていました。
しかし「令和」は、初めて「日本の古典」から採用された元号。
「令和」年間は、あたらしい歴史が始まった瞬間なのです。
「元号」とは何か?日本の古典からの採用は初めて!
「令和」という元号が、日本の古典「万葉集」から採用されたことは、今解説したとおりです。
それまでの元号は「昭和」も「平成」も、中国の古典からとった言葉でした。
「昭和」は、中国の古典「四書五経」の一つ「書経堯典」の文章「百姓昭明にして、萬邦を協和す」から出来た元号です。
「平成」は、これも中国の古典「史記」の「内平かに外成る」、または「書経」の「地平かに天成る」が由来です。
「四書五経」も「史記」も、古代中国で成立した書。
ところが「令和」の出典となった「万葉集」は、完全に日本で成立した書籍なのです。
「令和」のもととなった歌「時は初春の令月にして・・・・」は、古代中国の人物がつくった句を引用しているようですが、それでも、「日本の古典」を基とした元号は初めて・・。
「大化」という、最初の元号が使われたのが「西暦645年」。
「令和」は「248番目」の元号。「大化」から1374年目にして初めて「日本の古典」から元号が作られたのです。
これは、歴史の転換点と言って良いのかもしれません。
「248」の元号のなかで「令」の字が使われたのは初めて。
さらに「和」という字は、二つ前の「昭和」で使われた文字です。
つまり、「異例づくし」の元号であったということ。
令和
とても良い元号ですね。
余談ですが、「令和」という新元号にあわせて「紙幣」の肖像画が新しくなることが決まりました。
一万円札は「渋沢栄一」、五千円札は「津田梅子」です。「渋沢栄一」「津田梅子」について簡単に解説しております。よろしければ以下のリンク記事をお役立てくださいませ。
『令和』と『元号』について「ひとこと」言いたい!
現在、「西暦」と違う「元号」を使っているのは「にほん」のみ。
ベトナムや中国でも「元号」は使われていましたが、20世紀に廃止されています。
朝鮮半島でも元号は使われていましたが、現在「主体暦」というものが西暦と併用されているのみです。(2019年は主体暦で108年)
日本でも「西暦にまとめてしまったほうがいい」とか「日本も世界標準にして、元号を廃止すべき」なんて声が聞こえてきています。
筆者は「廃止すべきではない」と考えます。
確かに、デジタル化が進んだ現在、元号を西暦と併用するのは、手間がかかると思います。
しかし、そもそも「元号」とは、政治的な正統性を主張する場合に、その正統な「王」が、「時間を支配している」ことを象徴するためにつくったもの。
ですので、「南北朝時代」に「朝廷」が二つに分裂したとき、南朝の「後醍醐天皇」は、北朝とは異なる号を使っていたのです。(南朝では「延元」。そして北朝では「暦応」が使われた)
世界で元号がなくなっているというのなら、元号を続ける日本だけでも「独自の時間(伝統)をつむいでいる」ということを主張することになるのではないでしょうか。
もともと、元号をつかうということは「独立」を示すものであったようです。
古代中国が、周辺諸国を属国としているなか、中国とはことなる元号を使うことで、自らの独立性と正統性を暗に主張していたのだとか。
それに歴史を学ぶときに、元号はかなり便利です。
「大化の改新」
「建武の新政」
「天正遣欧使節」
「享保の改革」
「天保の改革」
「大正デモクラシー」
「昭和恐慌」
「平成の大合併」
などなど、元号を歴史的事件の名前に組み合わせることで、それぞれの時代の「区切り」が瞬時にわかります。
かなり便利だと思います。
海外では「70年代」「80年代」と、10年区切りで歴史的事件を表現しています。
数字だとイメージがつかみにくい気がします。
結構便利だと思いますので、元号は続けるべきではないでしょうか。
そもそも「西暦」は、「イエス・キリスト」が生まれたとされた翌年を紀元とするもの。日本の元号とは異なる価値観から始まるもののような気がするのですが・・・。
元号・・・発表されると「お祭り」みたいにワクワクするものですし、続けていったほうが良い日本文化の一つではないでしょうか
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 2019年5月1日から、「平成」にかわり「令和」という元号が使われる
- 「令和」とは万葉集の歌から引用した、「めでたくなごやかな時」という意味の元号
- 元号は「645」年に「大化」から始まった。時の権力者が「時間を支配している」ことや「正統性」「独立性」を主張するために定めていたもの。
以上となります。
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