【武田勝頼】妻・北条夫人の最後がすごい?2人の正室について解説!

武田勝頼の妻「北条夫人」がすごい!
もう一人の妻、織田信長の養女とは?
2人の正室について、分かりやすく簡単解説!
歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。
拙者は当サイトを運営している「元・落武者」と申す者・・・。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
この記事を短く言うと
・北条氏政の妹で、武田勝頼の妻「北条夫人」は、19歳の若さで、天目山にて亡くなっている
・北条夫人は、実家に戻ることを拒絶し、武田勝頼とともに自害している
・勝頼の最初の妻「龍勝院」は、織田信長の姪。龍勝院は勝頼の長男「武田信勝」を産んでいる
勝頼の妻「北条夫人」の最期
武田勝頼の妻、北条夫人・・・。
北条氏政の妹であり、「武田・北条の同盟」の証として、武田勝頼に嫁いだ人物。
ちなみに「北条夫人」は、上杉謙信の養子「上杉景虎」の妹でもあります。
つまり「北条氏政」「上杉景虎」「北条夫人」は、全員「北条氏康」の子供。
この北条夫人は、武田・北条の同盟が成立した時に、武田勝頼に嫁入してきた人物。
1577年、北条夫人は14歳の若さで、32歳の勝頼に嫁いでいます。
1578年、上杉謙信が病死したことにより始まった後継者争い「御館の乱」において、実兄「上杉景虎」を支援するようにと、夫「勝頼」に頼んでいます。
しかし、勝頼はこの頼みを拒絶。
「上杉景虎」のライバル「上杉景勝」を支援しています。これにより「北条夫人」が繋ぎとめていた「武田・北条の甲相同盟」は破綻。
北条氏政は、徳川家康と同盟し、武田に攻撃を仕掛けてくるのです。
「織田信長」「徳川家康」「北条氏政」と、三方向から攻撃を受けた武田は一気に壊滅。
1582年3月、天目山の戦いで武田勝頼は自刃。
妻の「北条夫人」も、19歳の若さで自刃
辞世の歌は
「黒髪の 乱れたる世ぞ 果てしなき 思いに消ゆる 露の玉の緒」
(乱れた黒髪の様に、乱れきったこの世に置いて、主人を思う私の想いは、露と消え落ちようとしています)
「帰る雁 頼む疎隔の言の葉を 持ちて相模の国府に落とせよ」
(南へと帰る雁よ。疎遠にしてしまった謝罪の言葉を、故郷の相模国府・小田原へ届けておくれ)
あまりにも儚い一生でしたね。
「武田勝頼の最期と子孫」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。
↓↓↓↓↓
北条夫人の逸話
北条夫人と勝頼は、とても仲の良い夫婦だったと言われています。
武田信玄の師・恵林寺の「快川紹喜」というお坊さんが、北条夫人のことを「善人」と称しているとか・・・。
かなり徳の高い女性だったのでしょう。
武田家が滅亡する1月前、北条夫人は、夫のために「武田家安泰」の願文を奉納しています。
そして何より、天目山での自刃について。
甲斐国の天目山・・・。
織田家重臣・滝川一益の軍に発見されてしまい、自刃せざるを得なかった武田勝頼と北条夫人。
しかし、甲斐国と北条夫人の実家「相模国」はお隣。
当時の常識として、家同士の同盟が破綻したら、嫁は実家に戻すものでした。
北条家が徳川・織田と協力して武田に攻めてきたということは、勝頼は北条夫人を北条家に返すことが出来たはず。
それを北条夫人は拒絶して、死を選んだ様子。
「小田原北条記」という記録には
「勝頼様は、私が兄『上杉景虎』を支援してくれるようにと頼んだ時、聞き入れてはくれませんでした。
今更になって、何の面目があって、実家の小田原に帰れるでしょうか・・。」
とても誇り高く、愛情深いお姫様だったのでしょうね。
ちなみに、勝頼との間に・・子供は一人もいなかったとのことです。
勝頼の最初の正室「龍勝院」とは?
武田勝頼の妻「北条夫人」
実は「北条夫人」の前に、勝頼には「龍勝院」という名前の正妻がいました。
この「龍勝院」・・・織田信長の養女。
龍勝院は、信長の妹と「遠山直廉」の娘。
つまり、信長の姪に当たる人物です。
龍勝院は、1565年に武田勝頼と結婚。
1567年に勝頼の嫡男「信勝」を出産しています。
その4年後の1571年に死去。
息子の「信勝」は、1582年の「天目山の戦い」で敗北し、父・武田勝頼や北条夫人とともに自刃。
最期は、武田勝頼から武田家の家督を譲られ、実質的に「武田家の最期の当主」として亡くなっています。
ちなみに、この「天目山の戦い」で武田家が滅びた3ヶ月後、織田信長が「本能寺の変」で明智光秀の手によって亡くなっています
「本能寺の変」については、以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。
↓↓↓↓↓
まとめ
本日の記事をまとめますと
・北条夫人は、1582年に天目山の戦いで、勝頼とともに亡くなっている
・北条夫人の人柄は、夫想いで、どうやら「善人」を絵に描いたような人だったらしい
・勝頼の最初の妻「龍勝院」は、織田信長の姪で、1571年に亡くなっている
以上となります。
本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。
よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。
ありがとうございました
「武田勝頼の評価」については以下のリンク記事で、詳しく解説させていただいております。
↓↓↓↓↓
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。