徳川慶喜の妻『一条美賀子』は、姉のかわりに慶喜と「結婚」をさせられて、人生が大きく変わってしまう悲しい女性です。
嫉妬と、子供を亡くした悲しみ、自分の居場所のなさ。いろいろなことを背負い、それでも最期まで「徳川」の妻とした生きた女性。
そんな「一条美賀子」の生涯について、わかりやすく解説いたします。
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この記事を短く言うと
・徳川慶喜の妻「一条美賀子」、彼女は嫉妬と寂しさに苦しめられ、夫と不仲だった
・もともと一条美賀子さんは、慶喜さんと結婚するはずではなく、姉が結婚するはずだった
・彼女のお墓は、徳川慶喜のお墓の隣、東京「谷中霊園」にある
目次
「徳川慶喜」は「妻」と不仲だった!なぜ?
徳川慶喜の妻「一条美賀子」。

《德川美賀子》
「引用元ウィキペディアより」
慶喜さんと美賀子さんは、不仲で有名だったみたいです。
その原因の1つは、「慶喜の養子先」にありました。
徳川家の分家である水戸徳川家で生まれた徳川慶喜は、また別の徳川家の分家である「徳川御三卿(とくがわごさんきょう)」の一つ「一橋家」の養子となります。
そこには慶喜の義理の祖母となる「徳信院(とくしんいん)」がいたのです。
祖母といっても、慶喜との年の差はわずか7つ。
慶喜の方が年下でしたが、2人はとても仲が良かったのです。
さらに徳信院は未亡人。妻・美賀子は、二人の仲を勘ぐって、それはおもしろくなかったでしょう。
当時、慶喜と徳信院のことで、ふさぎこんでいることが多かった美賀子ですが、慶喜との間にできた子供が、唯一の心の支えでした。
しかし、生まれて間もなく、その子は亡くなります。
心の支えがなくなり、美賀子はますますふさぎこんでしまいます。
実は「一条美賀子」は代役だった!慶喜は別の女性と結婚するはずだった?
慶喜と美賀子の不仲には、まだ理由があります。
実は慶喜の結婚相手は、最初「美賀子」ではありませんでした。
慶喜は関白「一条忠香」の娘・千代君と婚約していたのです。
しかし千代君は疱瘡(ほうそう・天然痘)にかかり死去。
そのため急遽、一条美賀子が代役として、慶喜の妻となったのです。
美賀子の心の中には『代役』ということが、ずっとひっかかったままだったのでしょう。
代役の妻と言えば明智光秀の逸話が有名です。
光秀と妻である煕子(ひろこ)は、結婚前に疱瘡にかかり、顔に痘痕が残ってしまいます。
代わりに煕子の実家「妻木家」は、煕子の妹を嫁がせようとします。
しかし光秀は、それをきっぱりと断りました。
「容貌は変わりやすいもの。
だが心の美しさは、決して変わらぬ」
と語り、あくまでも煕子との結婚を願ったのです。
ここまで言ってもらえると、女冥利に尽きますよね。
「渋沢栄一」については、以下のリンク記事で、さらにくわしく解説しております。
一条美賀子の最後とお墓
美賀子の最期
不仲だった慶喜と美賀子は、徳川幕府の終わりとともに、江戸城を出て静岡に移住します。
それまで離れて暮らしていた2人ですが、久々に一緒に暮らすようになりました。
静岡で美賀子は、慶喜が側室に産ませた子供を育てていきます。
この頃から慶喜と美賀子の仲は、少しずつ修復します。
【1894年(明治27年)】、美賀子は乳がんを発症します。
治療のため美賀子は、静岡から東京へ移住。
手術を受けたものの、回復することはなく【1894年7月9日】に亡くなります。
享年60歳。
美賀子危篤の知らせを聞いた徳川慶喜は、とにかく急いで東京へ向かいました。
ところが、急いだ甲斐もなく、美賀子はすでに亡くなっていたのです。
一説によると、慶喜は美賀子の死を知ると、葬儀もせずに静岡へ帰ってしまったとか・・・。。
不仲だったとはいえ、長年連れ添った妻の死を悼むこともしないとは・・・。
もしかすると慶喜は、最初から美賀子に関心がなかったのかもしれません。
さすが冷静極まる「最後の将軍様」です。
美賀子のお墓は、どこにあるの?
そんな彼女のお墓は東京「谷中墓地」に、慶喜の墓の隣りにあります。
2人のお墓が隣り合わせになっています。
これは2人の仲が、ある程度修復していたことを証明しているのかもしれません。
「徳川慶喜の子孫」については、以下のリンク記事で、くわしく解説しております。
「一条美賀子」について「ひとこと」いいたい
一条美賀子さん
「最後の将軍」という宿命を背負った「徳川慶喜」の妻
慶喜さんは、静岡へ移り住んだのち、複数いた側室の中でも、お気に入りの二人を除いて、全員を解雇しています。
慶喜さん
さすがに鳥羽・伏見の戦いで、家来たち全員をおいて一人で敵前逃亡しているだけに、冷酷な切り捨て方をするお人なのです。
そんな慶喜さんと夫婦をやるのは、結構大変だったのではないでしょうか。
この時代の奥様は、そんな大変な思いをみんなしておられたとは思うのですが、個人的には一条美賀子さんに同情してしまいます。
まとめ
本日の記事をまとめますと
・徳川慶喜の妻は、不運が重なり、嫉妬と孤独に苦しめられた一生だった
・彼女は『代役』として、徳川慶喜の嫁になっている
・彼女のお墓は東京「谷中霊園」にある。徳川慶喜のお墓と隣り合わせになっている。
以上となります。
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