勝海舟と西郷隆盛の会談で無血開城を実現!何が話し合われたか解説

徳川幕府を滅亡させた「江戸城無血開城」。

その無血開城を決めた「西郷隆盛」と「勝海舟」の会談で、何が話し合われたのかを、わかりやすく解説いたします。

この時「徳川慶喜」を処刑するか助けるかが話し合われました。

勝海舟の説得を受けた西郷は、慶喜の助命を決意するのです。


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この記事を短く言うと

・江戸城無血開城に向けた勝・西郷の会談では、主に「徳川慶喜」の処遇が話し合われた

・既得権を持つ「江戸幕府」から新政府への政権交代が、無血で行われた

勝海舟の生誕地には、西郷隆盛直筆の文章による碑が建てられている


《勝海舟と西郷隆盛の会談で何が話合われたのか?》

江戸城無血開城の交渉は江戸の薩摩藩邸で、勝海舟西郷隆盛により、3月13日、14日の2回にわたり行われました。

《江戸城無血開城》
「引用元ウィキペディアより」

1回目は突っ込んだ話はなく、14代将軍「徳川家茂」の妻であった静寛院宮(和宮)処遇問題と15代将軍徳川慶喜の責任をどうするかの確認のみでした。

2回目は勝から慶喜の責任に対する条件が提示。

・徳川慶喜は故郷の水戸で謹慎する

・慶喜を助けた諸侯は寛典に処して、命に関わる処分者は出さない

・武器・軍艦はまとめておき、寛典の処分が下された後に差し渡す

・城内居住の者は、城外に移って謹慎する

・江戸城を明け渡しの手続きを終えた後は即刻田安家へ返却を願う

・爆発の士民鎮定の件は可能な限り努力する

西郷は勝を信頼していたので、江戸城進撃を中止したと言われています。


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《江戸城無血開城とは?何がすごいのか?》

どの時代も新しい時代になる前には戦争が起こりたくさんの血を流してきました。

西郷隆盛鳥羽伏見の戦いに敗れた責任を徳川慶喜にさせるつもりでした。慶喜を切腹させて、徳川家を滅ぼし新政府による新たな時代を導こうと。

そのために江戸城総攻撃を計画していました。この計画通りに戦争が起こっていたら江戸は火の海になり100万人の江戸市民が被害に遭っていたでしょう。

それを江戸城無血開城は文字通り誰の血一滴も流さずに、話し合いだけで新政府の時代がやってきたのです。

日本の歴史の中でこれは本当にすごいことです。「天下」という絶大な「既得権」が、無血で次の政権に移譲されたのですから。


《勝海舟・生誕地には、西郷隆盛の直筆文が!》

勝海舟の生誕地は現代の東京都墨田区です。今は「両国公園」になっていて公園内には生誕地碑が建っています。

西郷隆盛が尊敬していた勝海舟のために書き記した碑文が残れていると思われがちですが、実は隆盛の孫だそうです。

「西郷吉之助」と書かれているので確かに西郷隆盛だと思ってしまいます。その内容はこれです。

「勝海舟先生は幼名を麟太郎稱し文政6年1月晦日この地男谷家邸内に生まる 剣は島田虎之助に師事し蘭学海洋術を学び安政7年咸臨丸艦長として渡米す 明治元年3月13日高輪薩摩邸に於いて西郷隆盛と會談 官軍の江戸進撃を中止させて江戸百萬の庶民を戰禍より救い東京都繁栄の基礎となせり 明治32年1月19日赤坂氷川の自邸に於いて歿す」


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《『江戸城無血開城』について、レビュー(評論)!》

江戸城無血開城・・・・正直に申しますと、拙者は幼い頃、この「江戸城無血開城」がどれほどスゴイことなのかが全く理解できていませんでした。

「これは歴史上の偉業だ」という偉い先生の言葉を、意味もわからず聞いていたものです。

しかし、歴史を学ぶに連れて、「江戸城無血開城」が偉業であることが理解できていきました。

「鎌倉幕府」が滅亡する際、「楠木正成」「足利尊氏」「新田義貞」らに対し、幕府を支配していた「北条一門」は必死の抵抗を見せています。

「室町幕府」滅亡の際にも、最後の将軍「足利義昭」は、非力であるにもかかわらず「織田信長」にめちゃくちゃに抵抗をしています。

「江戸幕府」は?というと、西郷隆盛に対して徳川慶喜は、あっけなく降伏。

260年守られ続けた・・・「徳川家」とその家来である「武士」たちの「既得権益」が、あっさりと放棄されているのです。

例えて言うなら江戸城無血開城とは

「『金の成る木』をあっさりと敵対勢力に譲った」

ようなもの。

ある日突然

「あなた達が持っている日本の四分の一を占める土地と、数百億円の貯金をすべてよこせ」

と言われ、抵抗することなくそれが実現した・・・それこそが「江戸城無血開城」なのでしょう。

徳川慶喜は「幕府」という、自らがトップを務める組織を自ら叩き潰し、日本の内乱を未然に防いだと言えるかもしれません。

「幕府のトップ」としては、慶喜は失格でしょう。しかし「日本のトップ」としては内乱を防いで国益を守った名君7日もしれません。


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《まとめ》

本日の記事をまとめますと

1.勝海舟と西郷隆盛の会談で、主に「慶喜の処遇」が話し合われた

2.江戸城無血開城とは、平和裏に行われた「既得権」と「政権」の移譲行為

3.勝海舟生誕地には、西郷隆盛直筆文の碑が建てられている

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

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