山県昌景と直虎・直政の意外な関係とは!子孫は現在信玄ゆかりの地に在住

「武田四名臣」の一人、名将「山県昌景」。「井伊直政」や「直虎」と意外なところで繋がりがあった?

井伊直政は山県昌景が率いていた最強部隊「赤備え」を引き継ぎ、歴史に名を残す大活躍!

子孫は現在、信玄ゆかりの地に住み、武田信玄の秘湯で温泉旅館を経営中。

苦難に満ち、悲劇的な最期を遂げた名将「山県昌景」についてご紹介いたします。


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この記事を短く言うと

・山県昌景とは、武田信玄の忠臣で、名将・飯富虎昌の弟・・武田四天王の一人

徳川四天王のひとり井伊直政は、山県昌景が率いた「赤備え」部隊を引き継いだ

・山県昌景の子孫が、武田信玄の隠し湯で「温泉旅館」を経営している


山県昌景とは?

山県昌景

武田信玄に仕えた「武田四名臣(武田四天王)」の一人。

「高坂昌信」「内藤昌秀」「馬場信春」とともに、武田信玄を支えた功臣。

武田二十四将の一人であり、同じく武田二十四将「飯富(おぶ)虎昌」の弟・・または甥。

兄の飯富虎昌は、武田信玄の嫡男「武田義信」の守役(教育係)

この武田義信が、父・信玄に対して「謀反」を起こしたのですが、「飯富虎昌」もともに謀反を起こしたため、「虎昌」と「義信」はともに死罪となりました。

山県昌景は、兄の謀反を察知し、これを信玄に密告。

実際には兄・虎昌が、弟・昌景に対して、謀反をほのめかし、自分を止めてくれるように示唆したため、それを察して密告したと言われています。

昌景は謀反人の弟・・・となってしまったのですが、武田信玄は昌景に対して、「飯富」の姓を捨て、武田家臣の名門で断絶していた「山県氏」の名跡を与え、「山県昌景」と名乗ることとなったのです。

昌景は兄が指揮していた「武田最強軍団」である「赤備え」を引き継ぎ、無類の強さを発揮して活躍。

信玄が亡くなった後は、武田勝頼を補佐したわけですが、勝頼から嫌われ遠ざけられたそうです。

長篠の戦いでは、織田家との戦いを反対し続けたそうですが、却下され、結局敵に突っ込んで敗死・・・。

この日から、武田は傾いていくこととなります


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山県昌景と、直政・直虎の関係とは?

山県昌景が「井伊谷」へ放火

山県昌景と、井伊直政・井伊直虎は、実は因縁・・関係があります。

1572年から始まった武田の「西上作戦」に際して、山県昌景は別働隊を率いて、武田信玄の本隊とは異なる動きを見せています。

その時「山県昌景」は、井伊家家臣の近藤康用が守る「井伊谷(いいのや)」へ侵攻して、一体を焼き払っています。

大河ドラマ「おんな城主直虎」の「武田が来たりて火を放つ」という回で、武田が井伊谷を焼き払う・・・というシーンがありました。

井伊直虎がいた「井伊谷」・・・そこを急襲したのは「山県昌景」だったのです。

「赤備え」・・山県昌景から井伊直政へ

山県昌景が兄「飯富虎昌」から受け継いだ最強部隊「赤備え」

武田が滅びた際に「徳川家康」は、織田信長には秘密で、武田の旧臣を匿いました。

そのため武田の旧臣達は、家康に仕えたのです。

後に、徳川家家臣・石川数正が裏切って秀吉に「徳川家の軍事機密」を漏らした際、「徳川家」は「武田の軍制度」に切り替えたのですが、この時武田の旧臣たちが大活躍したと言われています。

武田の旧臣の大半は「井伊直政」の家臣団に組み込まれます。

徳川四天王」の一人「榊原康政」は、これを妬んだと言われていますが、同じく四天王の「酒井忠次」が井伊直政と榊原康政の間を取り持ったのだとか。

直政は、山県昌景の「赤備え」を引き継ぎ、「徳川家最強部隊」の指揮官となりました。

赤備えは「飯富虎昌」から「山県昌景」へ。

そして「山県昌景」から「井伊直政」へ。

最終的に「真田幸村」へと赤備えは引き継がれました。

山県昌景の遺産を引き継いだのは、井伊谷を焼かれた「井伊直政」だったのです。


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子孫が、武田信玄の宝を守っている?

山県昌景の4人の息子たち。

山県昌満」は「上杉景勝」に仕え、「山県昌久」は家康の次男「結城秀康」に仕え、「山県昌重」は「塙団右衛門」に仕えて「大坂の陣」で戦死。

最後の一人「山県信継」は徳川家康に仕え、子孫は山梨県の「川浦温泉」で温泉宿「山県館」を経営しています。

川浦温泉といえば、武田信玄が利用した、「信玄公の隠し湯」

「山県館」には、武田信玄が「川浦の湯を整備せよ」と指示した「指令書」の写しが残されています。

第四次川中島の戦い・・・歴史に残る大激戦だったわけですが、その負傷者のために、武田信玄は「温泉」での療養を指示したと言われています。

武田信玄の隠し湯は、山梨県内に無数にあります。

この武田信玄が大好きだった「温泉」の一つを、忠臣・山県昌景の子孫が守り続けている・・・。

歴史の中でも変わらぬ繋がりを感じます。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

・山県昌景は、謀反を起こした「飯富虎昌」の弟で、長篠の戦いで戦死した

・山県昌景は井伊谷を放火し、赤備え部隊は井伊直政に引き継がれた

・昌景の子孫が、武田信玄の隠し湯で「山県館」という温泉旅館を経営している

以上となります。

「井伊直政」について、以下のリンク記事をご利用いただければ、更に理解が深まると存じます。

よろしければご利用下さいませ。

↓↓↓↓↓

「井伊直政から井伊直弼までの家系図を全て紹介!直虎とどういう関係?」の記事はコチラ

本日は「レキシル」へお越し下さいまして誠にありがとうございました。

よろしければ、また当「レキシル」へお越しくださいませ。

ありがとうございました


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