皆さんは茶屋四郎次郎を、ご存知でしょうか?この記事の内容を簡単にまとめますと以下のとおりです。
- 茶屋四郎次郎とは、徳川家康に武士としても仕えた豪商。呉服商人だったという
- 四郎次郎は、呉服商人だったが、鉄砲・弾薬を家康のために調達していたという
- 四郎次郎がもっとも活躍したのは1582年の神君伊賀越え。家康最大の危機に対して、四郎次郎は命懸けで家康を守り通した
この記事では茶屋四郎次郎を、わかりやすく、カンタンに解説いたしました。
今は茶屋四郎次郎について、漠然としか知らなかったとしても、大丈夫です。
これを読めば、誰かに説明できるほど、茶屋四郎次郎に詳しくなれます。
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どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
茶屋四郎次郎とはどんな人?プロフィールと家系
【結論】茶屋四郎次郎とは、徳川家康につかえた京都の豪商で、神君伊賀越えで家康を救った
茶屋四郎次郎は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した豪商で、徳川家康に仕えました。

《徳川家康》
「引用元ウィキペディアより」
なぜ【茶屋】という珍しい名前なのか?
茶屋というのは、屋号であり、名前ではありません。
そして実は、茶屋四郎次郎という名前の人物は、複数います。
茶屋という一家の当主は、代々【四郎次郎】と名乗ることになっていたのです。
忍者として有名な服部半蔵も、当主が代々服部半蔵と名乗ることになっていたため、服部半蔵は何人もいるのです。
茶屋四郎次郎の本当の苗字は【中島(中嶋)】といいます。
しかし、室町幕府13代将軍・足利義輝が、何度か茶屋四郎次郎の店にお茶を飲みに立ちよった事が縁で【茶屋】という屋号を使うようになったのです。

《足利義輝》
「引用元ウィキペディアより」
茶屋四郎次郎のプロフィール
【名前】中島清延(初代・茶屋四郎次郎)
【生年】1545年
【没年月日】1596年9月19日(旧暦・慶長元年閏7月27日)
【父】中島明延
【主君】徳川家康
数多くいる茶屋四郎次郎のなかでも、もっとも有名なのは初代にあたり、徳川家康につかえた豪商・茶屋四郎次郎清延でしょう。
彼は、家康の側近として信頼を受け、商人としてのみならず武将としても、数々の戦いで活躍しました。
茶屋四郎次郎の本名は、中島清延です。
彼は1545年の生まれでした。
中島家は元々は武士の家系で、茶屋四郎次郎の祖父は、もともとは信濃国(長野県)の守護大名だった小笠原長時につかえていました。
しかし四郎次郎の父・中島明延の代に、武士をやめて京都で呉服商人を始めたのでした。
彼が【茶屋四郎次郎】という名前で知られるようになったのは、徳川家康に仕えるようになってからです。
茶屋四郎次郎は、徳川家康の信任が厚く、家康の家臣団の中でも呉服のみならず、鉄砲や弾薬などの調達も担当していたといいます。
なんと彼は1572年の武田信玄に大敗北した三方ヶ原の戦いから、1590年の小田原征伐まで、家康がかかわった数多くの戦に、参戦し武功をあげたといいます。

《武田信玄》
「引用元ウィキペディアより」
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特に四郎次郎が名前をあげたのは、1582年の神君伊賀越えにおいてでしょう。
詳しくはあとで解説いたしますが、四郎次郎は家康が命を狙われる危機にあった際、彼を守り抜いたことで名声を得ました。
また、その後の小田原征伐など、家康が参戦した戦いにも参加しました。
以上が、茶屋四郎次郎のプロフィールと家系についての解説です。
彼は、徳川家康に忠実に仕えた豪商であると同時に武将でもあり、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本史に名を刻んでいます。
茶屋四郎次郎とは、何した人なの?彼が残した業績を解説
【結論】茶屋四郎次郎は、徳川家康を商人としてのみならず武士として支え、絶体絶命だった神君伊賀越えで、家康の命を救った。
茶屋四郎次郎の業績としては、主君・徳川家康の命を守ることに尽力したことが挙げられます。
1582年、本能寺の変が起こり、織田信長が明智光秀に討たれるという大事件が勃発します。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」
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このとき、堺の町にいた家康に、本能寺の変が起こったことを知らせたのが、茶屋四郎次郎と本多忠勝だったといいます。
家康は、明智光秀の刺客や落武者狩りに命を狙われる危険な状況から、伊賀国を通って三河へ逃亡するルートを選択するのです。
このときに活躍したのが茶屋四郎次郎です。
神君伊賀越えで、家康が敵に命を狙われる危機にあった際、四郎次郎は勇敢にも家康を守り、その忠誠心が高く評価されました。
具体的には、茶屋四郎次郎は家康よりも先を歩き、途中の村や町で金をばら撒いて、落武者狩りを満足させて家康を守ったのでした。
こうして家康は無事に三河国へ辿り着き、のちの天下取りへとつながったのです。
それだけではなく、茶屋四郎次郎は家康が関与した数々の戦いに参加し、勝利に貢献しました。
その中でも、1572年の三方ヶ原の戦いでは重要な役割を果たし、橘の家紋を与えられたといいます。

橘紋
引用元Wikipediaより
茶屋四郎次郎は、徳川家康の信任が厚く、家康の家臣団の中でも要職を務めました。彼の勇敢な姿と家康への忠誠心は、戦国時代から安土桃山時代にかけての日本史に名を刻んでいます。
徳川家での地位と重要性!茶屋四郎次郎の役割とは
【結論】茶屋四郎次郎の役割は、商人として呉服や鉄砲そして弾薬などを仕入れて徳川家に納めることだった
呉服商人だった茶屋四郎次郎の役割は、徳川家が必要とする呉服を仕入れることでしたが、それだけではありませんでした。
四郎次郎は、当時の戦では絶対に必要だった鉄砲や火薬そして弾丸などを仕入れて、家康に送ることだったといいます。
それのみならず、武士の子でもあった茶屋四郎次郎の最大の役割は、やはり主君・徳川家康を守ることでした。
彼は何度も危険な状況に陥った家康を救い、その命を守ることに尽力しました。
そのため、家康は四郎次郎を高く評価し、家臣団の中でも特に信頼されたようです。
京都の街で商売をしながら、当時敵対していた豊臣秀吉の情報を、隠密として家康に流していたともいわれています。

羽柴秀吉(豊臣秀吉)
「引用元ウィキペディアより」
徳川家での四郎次郎は、家康から絶対的な信頼を寄せられ、重要な戦いや政治的な局面での助言者として活躍しました。
茶屋四郎次郎の関係者とは?どんな人々とつながりがあるのか
【結論】四郎次郎は、家康だけではなく、織田信長や豊臣秀吉とも関係があった
茶屋四郎次郎の最も有名な関係者は、もちろん徳川家康です。
家康は、日本の統一を果たすことになる豊臣秀吉に屈服してつかえ、1600年の関ヶ原の戦いで勝利し、江戸幕府を開いた初代将軍です。
四郎次郎は家康に忠誠を誓い、彼の命令に従って数々の戦いに参加しました。
家康は四郎次郎を高く評価し、家康の側近として活躍することができました。
また、茶屋四郎次郎は、徳川家康の家臣団の中で他の有力な武将たちとも親しく、協力し合って活動していました。
例えば、本多忠勝や石川数正、井伊直政といった武将たちとも交流がありました。

本田忠勝
引用元Wikipediaより
彼らは徳川家康のもとで共に戦い、その後の江戸時代においても重要な地位を担いました。
さらに、茶屋四郎次郎は、他の戦国大名や武将とも繋がりがありました。
例えば、豊臣秀吉や織田信長といった戦国時代を代表する武将とも面識があったとされています。
特に、織田信長が亡くなった後、家康が豊臣秀吉と敵対したときには、茶屋四郎次郎は京都を本拠地とする秀吉の情報を、家康に密かに送っていたといいます。
徳川家康が日本を統一する過程で、四郎次郎は様々な武将たちと交流し、彼らとのつながりを深めていったのです。
茶屋四郎次郎が関わった戦いや事件
【結論】茶屋四郎次郎は、三方ヶ原の戦いから小田原征伐まで、53回もの戦いに参戦したという
茶屋四郎次郎が関わった主な戦いや事件について、わかりやすく説明します。
【三方ヶ原の戦い】(1572年)
四郎次郎は、徳川家康が武田信玄の家臣・武田勢と戦った三方ヶ原の戦いにも参加。この戦いは徳川軍の大敗北に終わり、茶屋四郎次郎はこのときの活躍により、家康から橘の家紋を与えられる。
【神君伊賀越え】(1582年)
織田信長が本能寺の変で討たれた直後、家康が落武者狩りに狙われた苦難の逃亡劇。このとき家康を守っていたのは本多忠勝や井伊直政らわずか30名ほど。茶屋四郎次郎は、家康に先行し、各地での安全を確保。この逃亡劇で、途中で道を違えた穴山梅雪が落武者狩りに討たれている。
小田原征伐(1590年)
豊臣秀吉が天下統一を事実上決した戦い。家康は娘・督姫を嫁がせていた敵の総大将・北条氏直を相手に戦うこととなった。北条氏直は秀吉に降伏し、北条家は滅亡。茶屋四郎次郎が参戦した最後の戦い。
茶屋四郎次郎は、これらの戦いで徳川家康の信頼を勝ち取り、徳川家での地位と重要性を確立しました。
彼の活躍により、徳川家康は戦国時代の混乱を乗り越え、江戸時代を迎えることができました。
茶屋四郎次郎は、1596年に亡くなっています。この4年後の1600年に、徳川家康は関ヶ原の戦いで、事実上の天下人としての地位を確立したのです。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 茶屋四郎次郎とは、徳川家康に武士としても仕えた豪商。呉服商人だったという
- 四郎次郎は、呉服商人だったが、鉄砲・弾薬を家康のために調達していたという
- 四郎次郎がもっとも活躍したのは1582年の神君伊賀越え。家康最大の危機に対して、四郎次郎は命懸けで家康を守り通した
以上となります。
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