渋沢篤二(しぶさわ とくじ)とは、どんな人なのかを、簡単にまとめると、以下のとおりです
- 渋沢篤二とは、日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一の嫡男(嫡男とは後継者のこと。篤二は次男で、兄は幼くして亡くなっている)
- 篤二は、妻を追い出して芸者を家に入れようとしたため、父・栄一から廃嫡されてしまった
- 渋沢栄一が亡くなった翌年の1933年、篤二も病死している
この記事では、渋沢栄一の息子・渋沢篤二について、わかりやすく、みじかく、カンタンに解説いたしました。
これを読めば、誰かに説明できるほど、渋沢篤二に詳しくなれます。
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どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
渋沢篤二とは、どんな人?
渋沢篤二については、以下の通りです
【名前】渋沢篤二(しぶさわ とくじ)
【父】渋沢栄一(しぶさわ えいいち)
【母】尾高千代(おだか ちよ)
【役職】澁澤倉庫・取締役会長
【息子】渋沢敬三(しぶさわ けいぞう)
【生年月日】1872年11月16日(明治5年10月16日)
【没年月日】1932年(昭和7年)10月6日
渋沢篤二とは、何をした人なの?
渋沢篤二とは、日本資本主義の父と呼ばれた偉人・渋沢栄一の息子であり、父の渋沢栄一から廃嫡されてしまった人です。
渋沢栄一には、たくさんの子供がいましたが、なかでも正妻・尾高千代との間に生まれた篤二は、栄一のあとを継ぐ子として期待されていました。

「引用元ウィキペディアより」
ところがそんな将来有望な篤二でしたが、1912年に、突然父親の渋沢栄一から廃嫡、つまり後継者から外されてしまったのでした。
廃嫡とは、後継者としての身分をとりあげて、財産や権利の相続をさせないことです。
篤二は、いってみれば父・栄市から絶縁にも近い宣言をされてしまったということです。
渋沢栄一は、篤二の息子であり自分の孫に当たる渋沢敬三を後継者として指名し、自分の事業を受け継がせます。
しかし10年後の1922年、篤二は澁澤倉庫株式会社の重役として復帰を果たします。
そして1933年、前年亡くなった父・渋沢栄一のあとを追うようにして、渋沢篤二は亡くなるのでした。
渋沢篤二の年表
渋沢篤二の生涯を、ザッと年表にすると、以下のとおりです。
- 1872年(0歳)渋沢栄一の次男として誕生
- 1882年(9歳)母・尾高千代病死
- 1886年(13歳)龍門社を設立し、社長就任
- 1892年(19歳)熊本第五高等中学を退学
- 1892年(19歳)父・栄一から謹慎を命じられる
- 1895年(22歳)橋本伯爵家の敦子と結婚
- 1896年(23歳)長男・渋沢敬三誕生
- 1909年(36歳)澁澤倉庫の会長就任
- 1911年(38歳)篤二と芸者の玉蝶のスキャンダル表面化
- 1912年(39歳)父・栄一が篤二を廃嫡
- 1922年(49歳)澁澤倉庫の重役へ復帰
- 1932年(59歳)父・渋沢栄一が死去
- 1933年(60歳)渋沢篤二死去
渋沢篤二が父・栄一から廃嫡(はいちゃく)された理由とは?
なぜ渋沢篤二が、父・渋沢栄一から廃嫡されてしまったのかというと、女性問題のスキャンダルが表沙汰になったためです。
それだけではなく、篤二は何度も何度も問題を起こす子だったようです。
女性問題は、問題ばかり起こす篤二を廃嫡するトドメの一撃になったのでしょう。
渋沢栄一の息子であり、渋沢篤二の弟にあたる渋沢秀雄さんの著書「澁澤榮一」によれば、篤二は伯爵家の娘である敦子という妻がいたにも関わらず、芸者のTに入れ込んで、妻を家から追い出し、その芸者Tと結婚して家に入れようとしたのだとか。
そのうえ、篤二は病弱であり、とても父・栄一の後継者として、事業を継承する力はなかったようなのです。
篤二は母・千代を幼くして亡くし、姉の宇多(うた)夫婦に育てられたといいます。
そのおかげで、篤二は父の栄一には馴染めなかったのかもしれません。
そんな篤二ですが、父・栄一とのわだかまりは、晩年には払拭していたと考えられます。
1932年、渋沢栄一が亡くなる際に、息子の篤二と孫の敬三は、栄一の手を片方ずつ握っていたといいます。
父が亡くなった翌年、体調を崩した篤二は、突然亡くなってしまいます。
もしかすると、父・栄一の死に相当なショックを受けていたのかもしれません。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 渋沢篤二とは、日本資本主義の父と呼ばれた渋沢栄一の嫡男(嫡男とは後継者のこと。篤二は次男で、兄は幼くして亡くなっている)
- 篤二は、妻を追い出して芸者を家に入れようとしたため、父・栄一から廃嫡されてしまった
- 渋沢栄一が亡くなった翌年の1933年、篤二も病死している
以上となります。
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