【年表あり】徳川昭武とはどんな人?何した人なのか簡単にわかりやすく解説

皆さんは徳川昭武を、ご存知でしょうか?

実は徳川昭武について、くわしく知っている方は、それほど多くないみたいです。

この記事では徳川昭武を、わかりやすく、みじかく、カンタンに解説いたしました。

今は徳川昭武について、漠然としか知らなかったとしても、大丈夫です。

これを読めば、誰かに説明できるほど、徳川昭武に詳しくなれます。

この記事を読んで、徳川昭武の疑問をスッキリと解消していただけたら、これほど嬉しいことはありません。


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この記事を短く言うと

  1. 徳川昭武がどんな人なのかというと、最後の将軍・徳川慶喜の弟。
  2. 昭武は、渋沢栄一たちを連れてフランス・パリでの万国博覧会に出席さらに留学し、のちに最後の水戸藩主および水戸藩知事をつとめた。
  3. 昭武は、幕末という動乱の時代に、兄・徳川慶喜の代理として、フランスを中心に海外で活動し、明治以降は兄・慶喜とともにたくさんの趣味に生きた

徳川昭武とは、どんな人?

徳川昭武とは、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の異母弟です。

【徳川昭武】
引用元ウィキペディアより

【名前】徳川昭武(とくがわ あきたけ)

【父】徳川斉昭

【兄】徳川慶喜

【生年月日】1853年10月26日

【没年月日】1910年7月3日


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徳川昭武とは、何をした人なの?

徳川昭武とは、徳川慶喜の代理として渋沢栄一たちとともに、フランスのパリで開かれた万国博覧会に出席し、その後は水戸藩最後の藩主および水戸藩知事となった人物です。

徳川昭武は、日本のトップを務めていた異母兄・徳川慶喜の代理として、フランスやイギリス、イタリアやオランダそしてベルギーなどの国々を歴訪し、それぞれの国王や女王と謁見しているのです。

その後、徳川慶喜は大政奉還によって征夷大将軍を辞め、さらには戊辰戦争や江戸城無血開城で、江戸幕府は完全に消滅してしまいます。

江戸幕府が消滅したことにより、徳川昭武には日本へ帰国。

その後、昭武は最後の水戸藩主や水戸藩知事をつとめるも、その後の廃藩置県によって水戸藩知事をやめることとなります。

水戸藩知事を辞めたあとは、陸軍少尉として陸軍学校の教授として活動。

再度のフランス留学から帰国したのち、隠居して、兄・徳川慶喜とともに趣味に没頭する一生を送っています。


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徳川昭武の年表

徳川昭武の生涯を、ザッと年表にすると、以下の通りです。

【1853年】、誕生

【1866年】、フランスへ。パリ万国博覧会に参加

【1869年】、帰国し、水戸藩主に就任

【1871年】、廃藩置県により水戸藩知事をやめる

【1874年】、陸軍少尉に任官される

【1876年】、フランスへ留学

【1883年】、隠居

【1910年】、死去

享年58歳


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徳川昭武の生涯を簡単にわかりやすく解説

徳川昭武の生涯を、簡単に解説いたします。

徳川昭武・誕生

1853年、徳川昭武は、水戸藩主・徳川斉昭の18男として誕生しています。

昭武の兄である徳川慶喜は、若い頃から天才と呼ばれる優秀な人物でした。

幕末という動乱の時代に、兄の徳川慶喜は、江戸幕府15代目の征夷大将軍に就任。

そして弟の徳川昭武は、江戸幕府と友好関係を結んでいた強国・フランスへ渡り、パリ万国博覧会へ参加することを兄・慶喜から命じられるのです。

このとき徳川昭武は、日本資本主義の父と呼ばれることとなる渋沢栄一をつれて、フランスへと渡っています。

パリ万国博覧会へ参加

パリ万国博覧会へ参加した徳川昭武は、日本のトップに君臨していた兄・徳川慶喜の代理として、ヨーロッパ各国を訪れます

そこで、フランスのナポレオン三世や、イギリスのヴィクトリア女王などと謁見しています。

パリ万国博覧会に参加して、日本という国の威厳を世界に示した徳川昭武でしたが、そのころ遠く日本では、兄の徳川慶喜が大政奉還を実行して、260年以上続いた江戸幕府が崩壊していました。

それだけではありませんでした。

1868年、日本では戊辰戦争や江戸城無血開城が起こっており、明治新政府が誕生していました。

昭武は、明治新政府から帰国するようにと命令され、仕方なく帰国することになります。

フランスから帰国し、水戸藩主に就任

帰国した昭武は、水戸藩主をつとめていた兄・徳川慶篤が亡くなったため、その後継者として水戸藩主に就任

しかし、版籍奉還によって昭武は水戸藩主をやめることとなり、水戸藩知事に就任することになります。

その後、廃藩置県が起こったことで、昭武は水戸藩知事もやめることになります。

藩知事をやめた昭武は、陸軍の軍人として少尉に任官されて、陸軍学校で教官として活動しています。

その後、昭武はアメリカで開かれた万国博覧会に参加するため渡米し、そのままフランスへ再留学しています。

隠居した後の生活

帰国した昭武は、その後隠居して、趣味に没頭する生活をおくっています

兄・徳川慶喜もまた、将軍をやめたあとは、死ぬまで趣味に没頭する生活を送っていましたので、二人は良く一緒に写真撮影や狩猟をしていたようです。

1910年7月3日、徳川昭武は58歳で亡くなっています。


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まとめ

本日の記事をまとめますと

  1. 徳川昭武がどんな人なのかというと、最後の将軍・徳川慶喜の弟。
  2. 昭武は、渋沢栄一たちを連れてフランス・パリでの万国博覧会に出席さらに留学し、のちに最後の水戸藩主および水戸藩知事をつとめた。
  3. 昭武は、幕末という動乱の時代に、兄・徳川慶喜の代理として、フランスを中心に海外で活動し、明治以降は兄・慶喜とともにたくさんの趣味に生きた

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

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ありがとうございました。

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