皆さんは徳川昭武を、ご存知でしょうか?
実は徳川昭武について、くわしく知っている方は、それほど多くないみたいです。
この記事では徳川昭武を、わかりやすく、みじかく、カンタンに解説いたしました。
今は徳川昭武について、漠然としか知らなかったとしても、大丈夫です。
これを読めば、誰かに説明できるほど、徳川昭武に詳しくなれます。
この記事を読んで、徳川昭武の疑問をスッキリと解消していただけたら、これほど嬉しいことはありません。
歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。
どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。
この記事を短く言うと
- 徳川昭武がどんな人なのかというと、最後の将軍・徳川慶喜の弟。
- 昭武は、渋沢栄一たちを連れてフランス・パリでの万国博覧会に出席さらに留学し、のちに最後の水戸藩主および水戸藩知事をつとめた。
- 昭武は、幕末という動乱の時代に、兄・徳川慶喜の代理として、フランスを中心に海外で活動し、明治以降は兄・慶喜とともにたくさんの趣味に生きた
徳川昭武とは、どんな人?
徳川昭武とは、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜の異母弟です。
【名前】徳川昭武(とくがわ あきたけ)
【父】徳川斉昭
【兄】徳川慶喜
【生年月日】1853年10月26日
【没年月日】1910年7月3日
徳川昭武とは、何をした人なの?
徳川昭武とは、徳川慶喜の代理として渋沢栄一たちとともに、フランスのパリで開かれた万国博覧会に出席し、その後は水戸藩最後の藩主および水戸藩知事となった人物です。
徳川昭武は、日本のトップを務めていた異母兄・徳川慶喜の代理として、フランスやイギリス、イタリアやオランダそしてベルギーなどの国々を歴訪し、それぞれの国王や女王と謁見しているのです。
その後、徳川慶喜は大政奉還によって征夷大将軍を辞め、さらには戊辰戦争や江戸城無血開城で、江戸幕府は完全に消滅してしまいます。
江戸幕府が消滅したことにより、徳川昭武には日本へ帰国。
その後、昭武は最後の水戸藩主や水戸藩知事をつとめるも、その後の廃藩置県によって水戸藩知事をやめることとなります。
水戸藩知事を辞めたあとは、陸軍少尉として陸軍学校の教授として活動。
再度のフランス留学から帰国したのち、隠居して、兄・徳川慶喜とともに趣味に没頭する一生を送っています。
徳川昭武の年表
徳川昭武の生涯を、ザッと年表にすると、以下の通りです。
【1853年】、誕生
【1866年】、フランスへ。パリ万国博覧会に参加
【1869年】、帰国し、水戸藩主に就任
【1871年】、廃藩置県により水戸藩知事をやめる
【1874年】、陸軍少尉に任官される
【1876年】、フランスへ留学
【1883年】、隠居
【1910年】、死去
享年58歳
徳川昭武の生涯を簡単にわかりやすく解説
徳川昭武の生涯を、簡単に解説いたします。
徳川昭武・誕生
1853年、徳川昭武は、水戸藩主・徳川斉昭の18男として誕生しています。
昭武の兄である徳川慶喜は、若い頃から天才と呼ばれる優秀な人物でした。
幕末という動乱の時代に、兄の徳川慶喜は、江戸幕府15代目の征夷大将軍に就任。
そして弟の徳川昭武は、江戸幕府と友好関係を結んでいた強国・フランスへ渡り、パリ万国博覧会へ参加することを兄・慶喜から命じられるのです。
このとき徳川昭武は、日本資本主義の父と呼ばれることとなる渋沢栄一をつれて、フランスへと渡っています。
パリ万国博覧会へ参加
パリ万国博覧会へ参加した徳川昭武は、日本のトップに君臨していた兄・徳川慶喜の代理として、ヨーロッパ各国を訪れます。
そこで、フランスのナポレオン三世や、イギリスのヴィクトリア女王などと謁見しています。
パリ万国博覧会に参加して、日本という国の威厳を世界に示した徳川昭武でしたが、そのころ遠く日本では、兄の徳川慶喜が大政奉還を実行して、260年以上続いた江戸幕府が崩壊していました。
それだけではありませんでした。
1868年、日本では戊辰戦争や江戸城無血開城が起こっており、明治新政府が誕生していました。
昭武は、明治新政府から帰国するようにと命令され、仕方なく帰国することになります。
フランスから帰国し、水戸藩主に就任
帰国した昭武は、水戸藩主をつとめていた兄・徳川慶篤が亡くなったため、その後継者として水戸藩主に就任。
しかし、版籍奉還によって昭武は水戸藩主をやめることとなり、水戸藩知事に就任することになります。
その後、廃藩置県が起こったことで、昭武は水戸藩知事もやめることになります。
藩知事をやめた昭武は、陸軍の軍人として少尉に任官されて、陸軍学校で教官として活動しています。
その後、昭武はアメリカで開かれた万国博覧会に参加するため渡米し、そのままフランスへ再留学しています。
隠居した後の生活
帰国した昭武は、その後隠居して、趣味に没頭する生活をおくっています。
兄・徳川慶喜もまた、将軍をやめたあとは、死ぬまで趣味に没頭する生活を送っていましたので、二人は良く一緒に写真撮影や狩猟をしていたようです。
1910年7月3日、徳川昭武は58歳で亡くなっています。
まとめ
本日の記事をまとめますと
- 徳川昭武がどんな人なのかというと、最後の将軍・徳川慶喜の弟。
- 昭武は、渋沢栄一たちを連れてフランス・パリでの万国博覧会に出席さらに留学し、のちに最後の水戸藩主および水戸藩知事をつとめた。
- 昭武は、幕末という動乱の時代に、兄・徳川慶喜の代理として、フランスを中心に海外で活動し、明治以降は兄・慶喜とともにたくさんの趣味に生きた
以上となります。
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