織田信長と能楽「敦盛」の関係とは?信長が愛したのは《幸若舞》だった

この記事では「織田信長」が好んだという「敦盛」について、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「敦盛」を、カンタンに理解できます。

 

「織田信長」は「能の敦盛」ではなく、「幸若舞の敦盛」を好んで舞っていたのです。


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この記事を短く言うと

 

1,「織田信長」が好んだ「敦盛」の意味とは?

「人間五十年・・・」から始まる「敦盛」の意味は、以下の通り

「人の世の50年は、天界の最下層である《下天》における一昼夜にあたる。

人の一生は、まるで夢か幻のように、一瞬で過ぎ去ってしまうもの。

一度この世に生まれいでて、滅びないものなどありはしないのだ」

 

2,「敦盛」を舞ったという「織田信長」の逸話とは?

1560年】、「桶狭間の戦い」において、「織田信長」は出撃直前に「幸若舞」の「敦盛」を舞ったといわれている

 

3,「織田信長」が好んだのは「能」ではなかったのか?

信長が好んだ「敦盛」は、「能」の「敦盛」ではなく、「幸若舞」の「敦盛」だった

織田信長が舞った「敦盛」の意味を解説

戦国武将「織田信長」は、「敦盛」という舞を好んだと言われています。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

敦盛とは、平安時代末期の名将「平清盛」の甥「平敦盛」の最期を歌った演目です。


織田信長は「平清盛」の子孫を自称していたようなので、「敦盛」は「信長」の先祖の一族にあたると考えられます。

「敦盛」が「一ノ谷の戦い」で亡くなった際の様子を歌ったものなのです。

もともと「敦盛」は、とても長い演目なのですが、信長はそのうちの一部だけを好んで舞っていたようです。

その歌詞は、以下のとおりです。

「人間(じんかん)五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。

ひとたび生を得て、滅せぬものの、あるべきか」

これは、「敦盛」を討ち取った武将「熊谷直実」が歌った言葉です。

意味をザッと解説すると、こうなります。

「人の世の50年は、天界の最下層である《下天》における一昼夜にあたる。

人の一生は、まるで夢か幻のように、一瞬で過ぎ去ってしまうもの。

一度この世に生まれいでて、滅びないものなどありはしないのだ」

ということになります。

「人間五十年」については、「にんげん50年」と読み、「人間の寿命は約50年である」という意味で解釈する人がいますが、これは間違いであるといわれています。

正確には「じんかん五十年」と読みます。

つまり「人間の世界の50年」は、「天界の1日」に相当する、という意味になります。


「敦盛」については、以下のリンク記事をどうぞ。

「【織田信長】敦盛の歌詞と意味!名言「人間五十年」の「本当の意味」」の記事はコチラ


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「敦盛」と「織田信長」の逸話

織田信長が「敦盛」を舞ったという逸話ですが、信長の公式記録「信長公記」に残されています。

1560年】、「桶狭間の戦い」で「今川義元」を討伐する際に「敦盛」を舞ったとのことです。

詳しくは、以下のとおりです。


「織田信長は、居城『清洲城』を出撃する直前、「敦盛」を舞い、「湯漬け」を口にした」

と、「信長公記」に記されているのです。

信長は「人間の世の中の50年など、天界では1日に過ぎない。人の一生など、夢または幻のようなものだ」と自分に言い聞かせ、決死の覚悟で出撃したのでしょう。

その覚悟が効果を発揮したのか、圧倒的に不利だった「桶狭間の戦い」で、織田信長は名将「今川義元」を相手にして、奇跡的な勝利を手にすることとなるのです。


「桶狭間の戦い」については、以下のリンク記事をどうぞ。

「【桶狭間の戦いとは】簡単にわかりやすく解説!隠されていた真実に驚愕」の記事はコチラ


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「信長」が好んだのは、「能」ではなく「幸若舞」だった

実は「織田信長」が好んだ「敦盛」は、「能」ではなく、「幸若舞」であったと考えられています。

「能」とは、「能楽」の一種であり、主に「語り」で物語を歌い、足を踏み鳴らして拍子をとっている芸です。


それほど動きがない「能」に対して、「幸若舞」はもう少し軽い感じに舞っています。

「幸若舞」は、織田信長が生きていた「室町時代」に大流行し、後に「能」の原型となったとも考えられています。

信長の命がけの一生を描くには、軽い印象をあたえる「幸若舞」よりも、重々しい印象の「能」のほうがイメージにピッタリ一致していたのでしょう。

けれども信長が好んだのは、あくまでも「能」ではなく、「幸若舞」の「敦盛」なのです。

2020年】放送の大河ドラマ「麒麟がくる」において、俳優「染谷将太」さんが、「幸若舞」の「敦盛」を歌ったシーンがありました。

6/7放送の第21回「決戦!桶狭間」において、「染谷」さんが演じる「織田信長」は「今川義元」の軍団が迫る報告を耳にしながら、突然「敦盛」を舞い始めました。

このときの「敦盛」は、それまでの大河ドラマで、数々の俳優さんが演じてきた「敦盛」とは異なり、ちょっと軽めの印象を与えるものでした。

おそらく「幸若舞」を意識して、「染谷将太」さんは演じられたのでしょう。


「織田信長の先祖」については、以下のリンク記事をどうぞ。

「織田信長の家系図と子孫を解説!「きちょう」こと濃姫との子供とは?」の記事はコチラ


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織田信長が「敦盛」を好んだ理由とは?豊臣秀吉の辞世の句との共通点

なぜ織田信長は、「敦盛」を好んだのかというと、実は当時、「幸若舞」の「敦盛」が大流行していたからです。

そのため、新しい物好きな信長は、「幸若舞」の「敦盛」に興味を持っていたのでしょう。

先程申しましたが、「信長」は「敦盛」の「人間五十年・・・」の一説を、「人の世は夢のように一瞬なので、悔いなく生きよう」という意味で解釈していました。

しかし、元々この「人間五十年・・・」の歌を呼んだ「熊谷直実」は、そんな「いさぎよい意味」で、この歌を歌ったのではありません。


「人の一生などは、天界にとっては一昼夜に過ぎない、儚く虚しいものなのだ」

と、力なく、虚しい心をこめて歌われたものなのです。

信長も、おそらくこの「人の世・人の一生」の虚しさのようなものを感じ取ってはいたことでしょう。

ところが、苛烈な信長らしく、この言葉をまた違った解釈で受け止めたのだと考えられます。

信長が好んだ「夢幻の如く」という、この「敦盛」ですが、実は「豊臣秀吉」が残した辞世の句と、「共通する一文字」が出てきます。

秀吉は、死の間際に以下のような「辞世の句」を残しています。

「露(つゆ)と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」

(私の命もこの身も、朝露のように落ちて消えていく、儚いものであった。大阪での豪華絢爛な一生も、まるで夢のまた夢のような、一瞬の出来事であった)

信長の「敦盛」にも、秀吉の辞世にも、ともに「夢」という文字が出てきます。

1996年】の大河ドラマ「秀吉」では、この「夢」という言葉がキーワードとなって、物語が進んでいきました。

戦国時代という強烈な時代を生き抜いた「織田信長」も「豊臣秀吉」も、この世がまるで「夢」のような、そんな儚いものであるという、虚しさをどこかに感じていたのかもしれません。


「豊臣秀吉の辞世の句」については、以下のリンク記事をどうぞ。

「豊臣秀吉の辞世の句を超カンタン解説!秀吉最後の言葉と17年後の滅亡」の記事はコチラ


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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,「織田信長」が好んだ「敦盛」の意味は、以下の通り

「人の世の50年は、天界の最下層である《下天》における一昼夜にあたる。

人の一生は、まるで夢か幻のように、一瞬で過ぎ去ってしまうもの。

一度この世に生まれいでて、滅びないものなどありはしないのだ」

 

2,1560年】、「桶狭間の戦い」において、「織田信長」は出撃直前に「幸若舞」の「敦盛」を舞ったといわれている

 

3,「織田信長」が好んだ「敦盛」は、「能」の「敦盛」ではなく、「幸若舞」の「敦盛」だった

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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