織田信長についての歴史年表を簡単略式で紹介!小学生向け自由研究用

この記事では「織田信長」について「歴史年表」を、わかりやすく、短く、カンタンに解説しております。

 

これを読めば「織田信長の生涯」を、カンタンに理解できます。

 

「織田信長」が亡くなったあと、何が起こったのかについても、簡単に解説いたしました。


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歴史専門サイト「レキシル」にようこそ。

どうぞごゆっくりお過ごしくださいませ。

この記事を短く言うと

 

1,【1534~1560年】に起こった出来事とは?

1560年】の「桶狭間の戦い」。「織田信長」が「3千」の軍団で、「今川義元」の「4万」の軍団を撃破した。

 

2,【1561~1573年】に起こった出来事とは?

1568年】の「織田信長の上洛」。信長は「足利義昭」を連れて京都へ進軍し、京都周辺を支配した。

 

3,【1574~1582年】に起こった出来事とは?

1582年】の「本能寺の変」。織田信長は、もっとも信頼していた部下「明智光秀」に裏切られて討たれた。

織田信長の歴史年表【1534年 ~ 1560年】、「誕生」から「桶狭間の戦い」まで

1534年】(信長の年齢1歳)

「織田信長」誕生

尾張国(愛知県西部)の武将「織田信秀」の三男として生まれた。

幼名は「吉法師(きちほうし)」。

《織田信長》
「引用元ウィキペディアより」

1546年】(13歳)

元服(成人することを元服という)し、幼名の「吉法師」から「三郎信長」へと名前を変えた

 

 

1548年】(15歳)

織田信長は、ライバル「斎藤道三」の娘「帰蝶(濃姫)」と結婚し、「斎藤道三」と同盟を結ぶ

 

 

1552年】(19歳)

父「織田信秀」死去

織田信長が父のあと「織田家」の家督をつぎ、「織田上総介信長(おだかずさのすけのぶなが)」と名乗るようになる。

 

 

1553年】(20歳)

信長の教育係「平手政秀」が、「うつけ者」と呼ばれた信長の振る舞いを止めさせるために「切腹」し死去。

信長が、「聖徳寺(正徳寺)」で妻の父親「斎藤道三」と対面。

このとき道三は、「うつけ者」と呼ばれていた「織田信長」の本当の力を見抜き、「自分の子供たちは、信長に負ける」と予言した。


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1556年】(23歳)

「長良川の戦い」で、織田信長の義父「斎藤道三」が、道三の息子「斎藤義龍」に殺される。

8月、「稲生の戦い」、信長の弟「織田信勝(信行)」が、猛将「柴田勝家」たちとともに、信長に戦いを挑む。

信長と信勝の母「土田御前」の願いにより、信長は弟「信勝」と「柴田勝家」を処罰せずに許す。

 

 

1558年】(25歳)

弟「信勝(信行)」が、またしても信長を裏切ろうとする。

信勝が裏切ったことを知った信長は、病気のふりをして、見舞いに来た信勝を暗殺。

 

 

1559年】(26歳)

織田信長は、尾張国の支配者として認めてもらうために京都へ向かう。

「尾張国」の支配者に任命してもらうため、室町幕府13代将軍「足利義輝」に会う

 

 

1560年】(27歳)

「桶狭間の戦い」

駿河国の武将「今川義元」が、三河国の「松平元康(のちの徳川家康)」を先頭に立てて、織田信長が支配する「尾張国」を攻撃。

今川軍の数は「4万人」

「織田信長」の軍団は「3千人」

5月19日、「織田信長」が「桶狭間」で「今川義元」を討ち取る。


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【1561年 ~ 1573年】、「ライバル・斎藤義龍の死」から「弟・浅井長政の死」まで

1561年】(28歳)

ライバルだった美濃の「斎藤義龍」が病死する。

義龍の息子「斎藤龍興」が、斉藤家の家督をつぐ。

 

 

1562年】(29歳)
信長は、清州城で「松平元康(のちの徳川家康)」と「清洲同盟」を結ぶ。
さらに、近江国の武将「浅井長政」とも同盟を結ぶ。

 

 

1565年】(32歳)

「永禄の変」

「三好義継」「松永久通」「三好三人衆」たちが、室町幕府第13代征夷大将軍「足利義輝」を暗殺する。

暗殺された将軍「足利義輝」の弟「足利義昭」が、「松永久秀」の保護を得て、京都周辺の戦国大名たちに、「上洛(兄の仇討ち)」をしてくれるように頼む手紙を送る。

 

 

1566年】(33歳)

織田信長は、美濃「斉藤龍興」との戦闘で敗北。

 

 

1567年】(34歳)

信長は、美濃「斉藤龍興」に再び戦いを挑み、勝利。

これにより「美濃国」を支配し、「斎藤龍興」の城「稲葉山城」を奪い取る。

美濃を平定したのち、信長は美濃国に「楽市楽座」という「誰でもお店を開いて商売して良い」という政策を開始。

信長は「稲葉山城」を「岐阜城」へと改名。


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1568年】(35歳)

7月、信長は、越前国にいた「足利義昭」へ使者を派遣。義昭を「岐阜城」へむかえる

9月、信長、「足利義昭」とともに京都へ進軍開始し、敵を撃破して「京都」を支配。

信長の妹「お市の方」が、【1567年~1568年】の間に「浅井長政」と結婚。

10月18日、足利義昭が「室町幕府・第15代・征夷大将軍」に就任。

 

1569年】(36歳)

1月、「本圀寺の変(ほんこくじのへん)」

「三好三人衆」と「斎藤龍興」が、「足利義昭」が宿泊していたの「本圀寺」を襲撃。

「明智光秀」が「三好三人衆」たちを撃破

この頃から「足利義昭」の自分勝手な政治が原因で、「足利義昭」と「織田信長」の関係が悪化していく。

 

 

1570年】(37歳)

4月、「金ヶ崎の戦い」

信長が、越前「朝倉義景」を攻撃。

しかし信長は、同盟者であり義弟でもある北近江「浅井長政」に裏切られ、窮地に立たされる。(金ヶ崎の退き口)

6月、「姉川の戦い」

信長は「徳川家康」とともに「朝倉・浅井連合軍」と、近江国「姉川」で激突、勝利。

 

 

1571年】(38歳)

9月、「比叡山焼き討ち」

織田信長は、「浅井・朝倉軍」をかくまった「比叡山延暦寺」を攻撃。

 

1572年】(39歳)

3月、「松永久秀」が、織田信長を裏切る。

11月、「一言坂の戦い」で、「徳川家康」が「武田信玄」に敗北。

12月、「三方ヶ原の戦い」で、「徳川家康」が「武田信玄」に敗北。

 

 

1573年】(40歳)

4月12日、「武田信玄」が信濃国・駒場で病死。

7月、「槇島城(まきしまじょう)の戦い」

「足利義昭」が「織田信長」に敗北し、京都から追放される。

これにより「足利尊氏」が開いて、【1336年】から「237年間」も続いた「室町幕府」が滅亡。

8月、「一乗谷の戦い」で信長は「朝倉義景」を攻め滅す。

「小谷城の戦い」で信長は、義弟「浅井長政」を攻め滅ぼす。

信長の妹「お市の方」は、「茶々」「初」「江」たち3人の娘を連れて実家である「織田家」へ戻る。


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【1574年 ~ 1582年】、「長島一向一揆(第三次)」から「本能寺の変」まで

1574年】(41歳)

7月~9月、信長は「長島一向一揆(第三次)」を討伐。

この戦いで苦戦した信長は、兄「織田信広」や叔父「織田信次」などの親戚を数多く戦死させてしまう。

 

 

1575年】(42歳)

5月、「長篠の戦い」

「織田・徳川連合軍」が「武田勝頼」がひきいた「武田騎馬軍団」を撃破。

8月、「越前一向一揆」を討伐。

11月28日、信長は「織田家」の家督を嫡男の「織田信忠」にゆずる。

 

 

1576年】(43歳)

1月、「安土城」の築城開始。(3年後に完成し、安土城へ引っ越し)

 

 

1577年】(44歳)

8月、「松永久秀」が「織田信長」をまたしても裏切り、「信貴山城(しぎさんじょう)」へ籠城する。

「織田信長」の攻撃を受けた「松永久秀」は、10月10日、天守閣に火をつけて自害。

 

 

1578年】(45歳)

3月13日、「上杉謙信」急死。享年49歳。

10月、織田信長の部下だった「荒木村重」が、信長を裏切り「有岡城」へ籠城。 


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1579年】(46歳)

6月、「明智光秀」が、「丹波国」と「丹後国」を平定。

11月、有岡城落城。

「徳川家康」が、敵である「武田勝頼」と協力して「家康」を裏切ろうとした罪で、妻「築山殿」と長男「松平信康」を処刑する。(築山事件)

 

 

1580年】(47歳)

3月、関東地方を支配していた戦国大名「北条氏政」が、信長に従属(部下になること)したいと申し出る。

4月、「石山本願寺」が織田信長に降伏。10年におよぶ「石山戦争」が終わる。

これにより「石山本願寺」のトップ「本願寺顕如」が本拠地の「石山」を出ていく。のちに「豊臣秀吉」がこの「石山」の地に「大坂城」を築城する

 

 

1581年】(48歳)

2月、「明智光秀」に命じて準備をさせた「馬揃え(軍事パレード)」を京都で挙行。

 

 

1582年】(49歳)

3月、「甲州討伐」

「武田勝頼」死去、武田家滅亡。

5月29日、信長は「毛利輝元」を攻撃するために、安土城を出て京都へ移動し、宿泊所の「本能寺」へ入る。

「本能寺の変」

6月2日未明、「明智光秀」が裏切り、本能寺にいた「織田信長」を襲う。

信長も反撃したが、圧倒的な数で勝る明智軍に為す術もなく、本能寺に火をつけて自害。【享年49歳】


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織田信長が亡くなった後の出来事【1582年 ~ 1616年】、「明智光秀の死」から「徳川家康の死」まで

1582年6月13日

「山崎の戦い」

「羽柴秀吉」が「明智光秀」を撃破し、逃亡する光秀は、途中で「落ち武者狩り」に襲われて自害。

「清須会議」が開かれ、織田信長の後継者が「信長の孫」にあたる「三法師」に決定。「羽柴秀吉」は「三法師」の後見人(親代わり)になる

 

 

1583年

「賤ヶ岳の戦い」

「羽柴秀吉」が「柴田勝家」を倒す。

この戦いで、「羽柴秀吉」はほぼ完全に「織田家」を乗っ取ることに成功。

 

 

1584年

「小牧・長久手の戦い」

「羽柴秀吉」が「徳川家康」に敗北。

 

 

1585年

「四国征伐」

「長宗我部元親」が「秀吉」に降伏。

「秀吉」が、最高の位「関白」になる

 

 

1586年

「羽柴秀吉」が「豊臣秀吉」と改名

 

 

1587年

「九州征伐」

「豊臣秀吉」が「島津義久」を屈服させて、九州を支配する。

 

 

1590年

「小田原征伐」

「豊臣秀吉」が「天下統一」を達成。


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1592年

「朝鮮出兵・文禄の役」

 

 

1593年

秀吉の側室「淀殿(茶々)」が、「豊臣秀頼」を産む

 

 

1595年

秀吉の甥「豊臣秀次」が切腹。

 

 

1597年

「朝鮮出兵・慶長の役」

 

 

1598年

「豊臣秀吉」死去


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1600年

「関ヶ原の戦い」

「徳川家康」が「石田三成」に勝利し、「家康」が豊臣家をほぼ乗っ取ることに成功

 

 

1603年

「徳川家康」が「征夷大将軍」に就任し、本拠地である「江戸」に幕府(臨時政府)を開く

 

 

1605年

「徳川家康」が「征夷大将軍」の職を、三男「徳川秀忠」にゆずる

 

 

1611年

「徳川家康」と「豊臣秀頼」が、京都「二条城」で会見する。

一説によると、このときから「豊臣秀頼」と「徳川家康」の関係が逆転する。つまり「家康」が主君となり、「秀頼」が家来となった。

 

 

1614年

方広寺鐘銘事件がきっかけとなり、「大坂冬の陣」が起こる

「真田幸村」が「真田丸」という砦にこもって、徳川軍を撃破

「淀殿」の妹「初」と、家康の側室「阿茶局(あちゃのつぼね)」が交渉し、講和(引き分け)

 

 

1615年

「大坂夏の陣」

「豊臣秀頼」が再び「徳川家康」に戦いを挑むが、敗北。

「豊臣秀頼」とその母「淀殿」が自害。「豊臣家」滅亡。

 

 

1616年

「徳川家康」死去


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まとめ

本日の記事をまとめますと

1,1560年】の「桶狭間の戦い」。「織田信長」が「3千」の軍団で、「今川義元」の「4万」の軍団を撃破した。

 

2,1568年】の「織田信長の上洛」。信長は「足利義昭」を連れて京都へ進軍し、京都周辺を支配した。

 

3,1582年】の「本能寺の変」。織田信長は、もっとも信頼していた部下「明智光秀」に裏切られて討たれた。

以上となります。

本日は「レキシル」へお越し下さいまして、誠にありがとうございました。

よろしければ、またぜひ当サイトへお越しくださいませ。

ありがとうございました。


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